長尾メモ8氏が亡くなった。長尾氏からは相当に格闘技ジャンルの見方から『ONE PICE』の評価にまで影響を受けたのもあって、何と書いたらいいのかおぼつかない。
訃報を目にしてから、長尾氏のテキストでいちばん自分が影響を受けたテキストである「ジャッジを考えると競技がみえる」を読み直していた。2006年に書かれ、2011年にまとめなおされたこのテキストは、格闘技における判定基準を通して「興行と競技とはなにか」、「ジャンルが拡大するうえで必要なことは何か」を掘り下げたものだ。
これは連載が掲載された当時から読んでおり、MMAなどで判定がわからないことがあるたびにときおり読み返していた。だけどいま読み直していて注目がいくのは、長尾氏が長い連載を書くに至った背景だ。
連載の最終回には「この連載、総合格闘技のインサイダーとしての遺言のつもりなんである。」とある。「年齢的な問題、そこからくる体力的な問題。生活の糧にならないどころか持ち出し続けねばならない経済的な問題。当然それらの前提となるのは、自分の能力不足。すべてのベクトルで、運営者として自分には限界がきている。もう、そんなに長くは出来ない。ならば、せめて自分がやってきた仕事を、キチンと仕上げておきたい」そう続く。
長尾氏がスマックガールやVALKYRIEといった日本の初期の女子MMAの興行に運営としてかかわっていたことはよく知られている。それはまだジャンルが立ち上がる前に貢献した、といった評価に収斂されるのだろうが、自分がいま考えているのは「なにかを批評する側から、やがて作る側にシフトする」ということである。
2000年代の格闘技業界は見方を変えれば次々と批評する側が実際に興行を作る側に回る人々の歴史でもあった。紙のプロレスを立ち上げた山口日昇はPRIDEへ行き、そして当時のプロレスに対して批判的な団体ハッスルを作った。柳沢忠之はPRIDEやK-1に関わった。格闘技通信やSRS-DXの編集長を務めた谷川貞治は石井和義逮捕後にK-1の代表にまで成り上がった。
考えてみれば異様なことで、僕はビデオゲームやアニメーション関連で仕事をしているがファミ通だかアニメージュだかの編集長がゲーム会社を設立したり長編アニメーションの製作総指揮に転向するというケースはほぼないのだ。ましてや同時代の先鋭的な雑誌編集者が立て続けに団体のトップとして興行にかかわるケースは異様でもあった。
全員が論評を執筆している時代から現状に対するなんらかの代案めいたものを書いており、その裏にはなにか彼ら自身が何らかの表現をやりたがってるのも見えたものだった。そして実際に作る側に回ったというのは、まず作っているものが正しいかどうかよりもその思いの発露も大きいように思う。
そして長尾氏が格闘技興行に関わったのも、まさしく彼らのケースに重なるように思えた。2000年代とはブロガーが格闘技興行の運営に関わるケースまで生まれたわけである。ただ、いま長尾氏を振り返っていて、膨大な論評をインターネットにアップロードし続けたその裏で、何かを生み出したい鬱屈があったように感じている。
氏のテキストを読むと、格闘技の他に映画から音楽、そして演劇にいたる膨大なテキストが見当たる。「これは極私的な思いだが、自分は自分の感情を揺らしたくて、何かを観る。それは競技スポーツに限らずだ。いわゆるすべての「作品」を。」、「自分は多くの場合、自分の絶望を確認したくて作品を観る。あるいは、自分の流した涙を拭くハンカチが欲しくて作品を観る。ごく稀に、わずかな希望を繋ぎ合わせたくて作品を観る」と長尾氏は様々な作品に触れることについて書いている。
情緒的なファンとしての立場を書く一方で、そんな立場であることから冷たく距離をとっている面もあった。「大昔、プロ野球を扱った時に、大島渚が面白いことを言ったことがある。滔々と、選手の優れたパフォーマンスを見る喜びと、チームの応援のし甲斐を語るファンに向けて一言。「そんな人生は貧しい」きっぱり断言である。暴論ではあるが、圧倒的に正論だ。」これは先の連載の途中で挿入される、見る側に対しての論評である「ファンという貧しい人生」で書かれたテキストだ。
「応援というのは無私なモノであるべきであって、自己主張だか何だか、よくわからないようなネットの書き込みなどは、応援の風下において掃いて棄てるべき」そう書き切り、「チケットを買えばよい。たくさん買えばよい。どこも余っているんだから」「もっと支援したいというならば、それに加えて、スポンサードの申し出をすればいい」とまとめている。
辛辣な筆致はそもそもこの連載自体が亀田vsランダエタみたいな試合で見識もなくネットを甘い言説で荒らす平均的な格闘技ファンに対してなのもあるが、このテキストの最後に書かれている一文を読むとまた意味が変わってくる。
「貴方がそう言われて、悲しいなら、悔しいなら、腹が立つなら、貴方自身がパフォーマーの側に回るしかない。ほとんどの人間は、大した才能は持っていない。少なくとも、他人にパフォーマンスを晒してそれでお金を頂けるほどは。けれど、パフォーマーの側に回ってみて(勿論この場合のパフォーマーとは、競技者だけではなく、運営側やメディアも含めての広い意味で言っている)、さらに貧乏になっても、さらにボロボロになっても、自分は何の責任も取れないけれど、その時、改めてもう一度色々考えてみると、きっと、何かが見えるかもしれないとは思う」
いまここまでを読み直しながら、長尾氏が私財を投じ、何かを生み出したい鬱屈の結果だったのかなと思った。外での批評の立場では限界があった何かを見つけた成果がこれだったんだのだろうか。格闘技関係で批評から作る側に回って幸福になった人間はいまのところ見当たらない。(ライターからK-1のプロデューサーになった中村拓巳氏にはうまくいってほしいと願っている)。長尾氏が闘病中のテキストを見ると、その鬱屈はずっと続いていたように思う。
その鬱屈のなかに、なにかを生み出すことと何かを批評することが違うというコンフリクトに捉われ続けたのを見てしまう。興行と競技の相克と同じくらい、創作と批評の相克も深い。創作の側からすれば、もしかしたら批評だろうがレビューだろうがどれだけのことを書こうが他人の作品を消費している過程にすぎないかもしれない。映画評論家・町山智浩氏は「評論も作品なんだ」と徹底的な作品の情報を収集して論評するスタイルでそう言うが、それは彼が評論家として確かな立場で生きることに決めているからそういいきれているのだと思う。
この世には心の内で何かを生み出す側を望みながら、何かを評することに縛られてしまう人がいる。長尾氏のテキストを読み返しながら、それでも優れた批評を書く側が何かを生み出す側としてボロボロになるまで関わったら、その時なにが見えるのかについて考えていた。
訃報を目にしてから、長尾氏のテキストでいちばん自分が影響を受けたテキストである「ジャッジを考えると競技がみえる」を読み直していた。2006年に書かれ、2011年にまとめなおされたこのテキストは、格闘技における判定基準を通して「興行と競技とはなにか」、「ジャンルが拡大するうえで必要なことは何か」を掘り下げたものだ。
これは連載が掲載された当時から読んでおり、MMAなどで判定がわからないことがあるたびにときおり読み返していた。だけどいま読み直していて注目がいくのは、長尾氏が長い連載を書くに至った背景だ。
連載の最終回には「この連載、総合格闘技のインサイダーとしての遺言のつもりなんである。」とある。「年齢的な問題、そこからくる体力的な問題。生活の糧にならないどころか持ち出し続けねばならない経済的な問題。当然それらの前提となるのは、自分の能力不足。すべてのベクトルで、運営者として自分には限界がきている。もう、そんなに長くは出来ない。ならば、せめて自分がやってきた仕事を、キチンと仕上げておきたい」そう続く。
長尾氏がスマックガールやVALKYRIEといった日本の初期の女子MMAの興行に運営としてかかわっていたことはよく知られている。それはまだジャンルが立ち上がる前に貢献した、といった評価に収斂されるのだろうが、自分がいま考えているのは「なにかを批評する側から、やがて作る側にシフトする」ということである。
2000年代の格闘技業界は見方を変えれば次々と批評する側が実際に興行を作る側に回る人々の歴史でもあった。紙のプロレスを立ち上げた山口日昇はPRIDEへ行き、そして当時のプロレスに対して批判的な団体ハッスルを作った。柳沢忠之はPRIDEやK-1に関わった。格闘技通信やSRS-DXの編集長を務めた谷川貞治は石井和義逮捕後にK-1の代表にまで成り上がった。
考えてみれば異様なことで、僕はビデオゲームやアニメーション関連で仕事をしているがファミ通だかアニメージュだかの編集長がゲーム会社を設立したり長編アニメーションの製作総指揮に転向するというケースはほぼないのだ。ましてや同時代の先鋭的な雑誌編集者が立て続けに団体のトップとして興行にかかわるケースは異様でもあった。
全員が論評を執筆している時代から現状に対するなんらかの代案めいたものを書いており、その裏にはなにか彼ら自身が何らかの表現をやりたがってるのも見えたものだった。そして実際に作る側に回ったというのは、まず作っているものが正しいかどうかよりもその思いの発露も大きいように思う。
そして長尾氏が格闘技興行に関わったのも、まさしく彼らのケースに重なるように思えた。2000年代とはブロガーが格闘技興行の運営に関わるケースまで生まれたわけである。ただ、いま長尾氏を振り返っていて、膨大な論評をインターネットにアップロードし続けたその裏で、何かを生み出したい鬱屈があったように感じている。
氏のテキストを読むと、格闘技の他に映画から音楽、そして演劇にいたる膨大なテキストが見当たる。「これは極私的な思いだが、自分は自分の感情を揺らしたくて、何かを観る。それは競技スポーツに限らずだ。いわゆるすべての「作品」を。」、「自分は多くの場合、自分の絶望を確認したくて作品を観る。あるいは、自分の流した涙を拭くハンカチが欲しくて作品を観る。ごく稀に、わずかな希望を繋ぎ合わせたくて作品を観る」と長尾氏は様々な作品に触れることについて書いている。
情緒的なファンとしての立場を書く一方で、そんな立場であることから冷たく距離をとっている面もあった。「大昔、プロ野球を扱った時に、大島渚が面白いことを言ったことがある。滔々と、選手の優れたパフォーマンスを見る喜びと、チームの応援のし甲斐を語るファンに向けて一言。「そんな人生は貧しい」きっぱり断言である。暴論ではあるが、圧倒的に正論だ。」これは先の連載の途中で挿入される、見る側に対しての論評である「ファンという貧しい人生」で書かれたテキストだ。
「応援というのは無私なモノであるべきであって、自己主張だか何だか、よくわからないようなネットの書き込みなどは、応援の風下において掃いて棄てるべき」そう書き切り、「チケットを買えばよい。たくさん買えばよい。どこも余っているんだから」「もっと支援したいというならば、それに加えて、スポンサードの申し出をすればいい」とまとめている。
辛辣な筆致はそもそもこの連載自体が亀田vsランダエタみたいな試合で見識もなくネットを甘い言説で荒らす平均的な格闘技ファンに対してなのもあるが、このテキストの最後に書かれている一文を読むとまた意味が変わってくる。
「貴方がそう言われて、悲しいなら、悔しいなら、腹が立つなら、貴方自身がパフォーマーの側に回るしかない。ほとんどの人間は、大した才能は持っていない。少なくとも、他人にパフォーマンスを晒してそれでお金を頂けるほどは。けれど、パフォーマーの側に回ってみて(勿論この場合のパフォーマーとは、競技者だけではなく、運営側やメディアも含めての広い意味で言っている)、さらに貧乏になっても、さらにボロボロになっても、自分は何の責任も取れないけれど、その時、改めてもう一度色々考えてみると、きっと、何かが見えるかもしれないとは思う」
いまここまでを読み直しながら、長尾氏が私財を投じ、何かを生み出したい鬱屈の結果だったのかなと思った。外での批評の立場では限界があった何かを見つけた成果がこれだったんだのだろうか。格闘技関係で批評から作る側に回って幸福になった人間はいまのところ見当たらない。(ライターからK-1のプロデューサーになった中村拓巳氏にはうまくいってほしいと願っている)。長尾氏が闘病中のテキストを見ると、その鬱屈はずっと続いていたように思う。
その鬱屈のなかに、なにかを生み出すことと何かを批評することが違うというコンフリクトに捉われ続けたのを見てしまう。興行と競技の相克と同じくらい、創作と批評の相克も深い。創作の側からすれば、もしかしたら批評だろうがレビューだろうがどれだけのことを書こうが他人の作品を消費している過程にすぎないかもしれない。映画評論家・町山智浩氏は「評論も作品なんだ」と徹底的な作品の情報を収集して論評するスタイルでそう言うが、それは彼が評論家として確かな立場で生きることに決めているからそういいきれているのだと思う。
この世には心の内で何かを生み出す側を望みながら、何かを評することに縛られてしまう人がいる。長尾氏のテキストを読み返しながら、それでも優れた批評を書く側が何かを生み出す側としてボロボロになるまで関わったら、その時なにが見えるのかについて考えていた。
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