オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


ウェブ線上の弓取式・日本格闘技と「場」

Category: プロ格闘技   Tags: 相撲  プロレス  ボクシング  
フェーム

 いまや地上波にて生き延びている、方法や規模はどうあれ世間にチャンネルをとりあえずは開いている興行格闘技のジャンルがプロレスボクシングくらいしかない中、ついに大相撲も八百長問題から夏場所がNHKにて放映されることなく、「技量審査場所」という名称でニコニコ動画にて配信されるという状況となっている。

 すべての格闘技興行のドグマにある大相撲の、八百長問題を受けての地上波からネットへの以降はどういった状況を象徴しているのか?今回はそんな風に流れ着いた相撲に見られる、「地上波とネット」という、世間に露出する次世代型の形態なのかやっぱ追い詰められての方法なのか?のから、「日本格闘技が突出していたもの」ということの考察。 



<<幕間・本文に入る前の簡単な回想>>

 311前に「相撲が揺らぐと日本が本当にヤバい」という記事を書き、数ヶ月前とは言えこの時期は本当に今読むと何か切羽詰まってたなあ、と思う。相撲に限らず本当に地震前夜はものすごく低レベルな足の引きずりあいが泥沼化していて、煮詰まっている感覚が自分にもあったな、と。地震前に書いた最後の記事が「タイガーマスク・伊達直人の正体」という「もっとも人々に広まる善意はおしなべて偽善」なんて書いた矢先に、本当に日本にいるすべての人間の、真の意味での善意と悪意、そして愛情が試される事態が発生するという共時性にオレは驚くとともに、いかに震災前夜にどっかしら追い詰められていたのかなんて思う。そして震災の後にいかに善意や悪意というものの現在をも思い知らされたのかを今振り返って感じる。現在も追い詰められている状況には違いないけど、震災が起こる前はもっと煮詰まり切っていた。





 K-1もPRIDEもプロレスも、思うにそれらの興行格闘技が先天的にも後天的にもベースとなっているのは大相撲だと常々思っており、文化であり競技であり神事であり、本質的に八百長も内包していてこそのものというこのジャンルに、良いにせよ悪いにせよ日本格闘技を構成する要素が全て存在しているには違いないと考えている。(ミノワマン≒高見盛みたいな興行のアクセントみたいなしょうもない見立てのレベル込みで)

 そんで前に書いた「相撲が揺らぐと日本が本当にヤバい」はそのあたりの気分を元にしていて、格闘技興行がどんどん沈黙していく中で、遂にドグマの位置にある大相撲までもが地上波から消えるという事態は正直、この日本の格闘技の水準は限りなく底値に構造的なところから来ているというおっそろしい事態の証左だとか考えている。という話だった。

 それからの大相撲は現在、ニコニコ動画にて取り組みが放映されているが、これはやはり、格闘技の世間に向けた放映形態みたいなことで「地上波依存でおかしくなるから脱却しなきゃ」あたりがテーマとなって議論されることがあるんだけど、その代替としてPPV構成だとかネットなどを活用しようなどの話題が立ち上がるんだが、その意味でもこの「技量審査場所」の注目度はある。地上波といっても民放と国営放送ではまた意味が違うのは当然にせよ、相撲が「地上波格闘技」みたいな意味で見た場合、ほとんど盤石のものであったものが、こうして数々のスキャンダルの果てにネットに行きつく、みたいな話、どうもかつてのPRIDEの進路がそうなりかけたという事実も込みで考えると興味深い。

「キタナイ者の毒を吐き出せ」様より
「ニコ動生放送の相撲視聴者数を比較してみた」

ニコニコ動画といえば、あまり知られてませんが、PRIDEが2006年6月にフジTVの放送が中止された後、ニコニコ動画で生放送がひそかに決定していたんですよね。(ニコニコの開発者のブログ記事から一部抜粋)



われわれはネットでの有料課金が成功するとしたら、一番可能性が高いのはライブ配信だろうと考えました。
そのなかでもニコニコライブで最強の有料化可能なコンテンツは、総合格闘技PRIDEの生中継だろうと考えたのです。2007年2月、PRIDEを主宰するドリームステージエンターテイメント社との話し合いの結果、3か月後の5月の大会から3大会連続、ニコニコ動画がPRIDEの試合をネット独占配信することが決まったのです。
さっそく生放送バージョンのニコニコ動画の開発チームが別途編成されました。

http://blog.nicovideo.jp/nicolumn/2008/01/000833.html



UFCの買収で結局、この話は消滅しましたが、両者ともいいところに目をつけてたのかもしれませんね。 






 ウェブ上にてあらためて相撲を見直して思うのは、日本格闘技が真に突出していた部分とは実質選手の競技力以上に、「場」というものを構成していく部分それ自体がとてつもなかった、という今更な事実であり、マジな話大規模興行時のK-1でもPRIDEでもDynamite!でも行われる全選手入場や煽りVによる数々の演出といった、日本においての興行格闘技のそうした特徴の部分も、大相撲の興行中にて行われる数々の儀式の中に源流があったように思え、「日本人のファンは格闘家をリスペクトしてくれる」といった少なくない数の海外の選手の賛辞が出てくるその底には、相撲は神事でもある、みたいな側面が転移してきたものなのかな、なんて思う。

 K-1やMMAのような新格闘技の最終的な目的地は「どれだけボクシングに近付けるのか?」だと思っていて、UFCは凄まじいのは実質ボクシング興行の最大手のアメリカの土壌の中で、興行のベースに置きながら着々と全選手に保険を適用させるなどの新競技として独立させていく整備までさせていっていることで、ショウタイムが抜けきらないのは何がベースメントにあるのかハッキリしないことや(ここはオレの情報不足、認識不足はあるだろうが)、欧州においてのボクシングの意識や地位、キックとの関係などがわかんないあたりにある、というのが今の自分の雑な認識なんだが、 ここ日本ではプロ格闘技はプロレスがベースであり仮想敵であった、という認識だったけど、本当のところは相撲が持っている要素が時代ごとに対応した結果がK-1であり、PRIDEだった。みたいに今は思っている。

 日本のプロ格闘技はそのドグマにプロレスと、さらにその先のコアにある相撲の磁場にあり、だからこそ熱狂して、だからこそ「PRIDEには魔法がかかっているみたいだった」(ソース失念)とも評される「場」としての力を構成する能力こそが、こうした歴史の地層を振り返るに全世界中ぶっちぎりなのには違いなく、そしてここ日本にとってのボクシングとはいかなる位置なのか?といった疑問に繋がるのである。

 プロレスボクシングか、という分かりやすい対立ではなく、もちょい根深く「相撲かボクシングか」って一見対立しようのない対立こそが近い気がする。それで日本の格闘技の中で、世間の無意識下で一番なじんでいる格闘技のヒエラルキーは?というのはこの前のTBS「ガチ相撲トーナメント」の優勝順に並んでいるように思え、それは相撲、プロレス、そこに続いてK-1・MMA、ボクシングの順ってほんとそのまんまだよなと思え(もうとっくに忘却の彼方かもしれんが是非再確認を)、相撲が一番日本人に近く、ボクシングはスポーツ的な「世界との闘い」の文脈が無い限り遠く、新興格闘技が相撲であること、プロレスに近いことを避けようとして、「世界との闘い」の文脈のボクシングを下手に目指そうとすると去年のK-1MAXのファイナルのように本当に手痛い結果になり、そこのところのジレンマにぶち当たってるのが現在という感じだ。

 当の相撲がこうして「競技なのか文化なのか」のジレンマに落ち込んでいる現状のヤバさとはそういうことから自分は感じているし、そして新興格闘技たちは相撲かボクシングのどっちに行くのが正解なのか?はわからない。

  


 人気ブログランキングへ 
スポンサーサイト

テーマ : 格闘技    ジャンル : スポーツ

Comments

Leave a Comment

プロフィール

EAbase887(葛西 祝)

Author:EAbase887(葛西 祝)
mail: kyukakukaizoudo@gmail.com

人気ブログランキングへ

ビデオゲームというフィルターから俯瞰する、現代エンターテインメント総合批評
「GAME・SCOPE・SIZE」もやっております。ゲームの他に映画・アニメ・小説なども取り扱っており、興味があればこちらにも。

人気ブログランキングへ


ひっそりとド偏見アニメネタレビュー「14ー21歳のセックスか戦争を知ったガキのモード」「もスタートしましたので、妙に少なくない格闘技ファンとアニメファン兼用の方はこちらもよろしくお願いします。

TweetCasting

ツイキャス・LIVE放送中はこちらからでも視聴できます



 
検索フォーム
 
 
 
 
 
 
ブロとも申請フォーム
 
 
QRコード
QR