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パッキャオと亀田/21世紀における、王者の権威と、他競技にて輝く技術の地層としての「ボクシング」

Category: P・M・BOXING   Tags: ボクシング  王者の権威  パッキャオ  亀田三兄弟  UFC  It'sshowtime  
サイコラディカル

 まずは単純な疑問だけど、今現在の格闘技における強さと、それを示す王者の権威、というのはどうなってるのだろうか?

 最近のUFCやIt's showtimeなどのMMA、キックとこれらと平行して最近の海外のボクシングを見ていて、順接的にも逆説的にも強く感じるようになったのは、「やはり新興格闘技の中でもボクシングが醸成してきた技術の地層がいまや必須となってることや、また「日本の世界戦」の外側での、ドネアやガンボアやロペスなど海外の選手らの描く試合の振り幅はすげえな」という単純でいまさらなことであるが、同時に「新興格闘技はボクシングに近づいていくべき」みたいなことを前の記事あたりに書いたと思うが、当のボクシングの競技としての権威の現在や、王者の権威の現在とはどうなのか?という、 「競技と権威」 の章。

 単純な質問をもうひとつ繰り返すと、「格闘技の世界最強を示す王者の権威」というのを、今はハッキリだれがそうなのか認識できてるのか?ということや、何を持ってそれが証明されてるのか?が引っ掛かる。

 昔の書籍を手に取って見ても、ネットで簡単に検索していても、まだ階級が枝分かれする以前のボクシングの世界王者には、今よりも高い権威というのが存在していた、という気配はよく伝わるし、それは昔のプロレスラーの異形性だとか、空手家なんかが表明していた「最強幻想」あたりと、興行スポーツたるボクシングと一緒にするのもそれは違うだろうが似通ったものを感じる。

 現在のボクシングについてザックリ調べて見て、やっぱ引っ掛かってくるのは何と言っても団体乱立とものすごく細かい階級に伴う王者の数の多さや、それに加えて暫定王者・スーパー王者などなどの地位の乱立、というのが結果的に王者の権威を大きく低下させているという事実であり、このあたりはもうここ10年間で議論されつくしてるところなんだろうが、これを、ある格闘技が興行スポーツとして続いていこうとした結果の一つとして見ると意味深いものがある。

 それにしても、こうした乱立や暫定王者の登場など、かつてのボクシングの王者の権威の下落というのは何故起きたのか?みたいなところにアプローチしていくと、これもまた案外日本の格闘技ファンにはおなじみの「関係者の私利私欲、派閥や関係、興行優先の処置によってこんな風になってしまった」という団体の野合や分裂の結果に近いのではないか、やっぱ限りなく興行スポーツとして伝統あるボクシングにしても、格闘技というジャンルがプロ興行として行こうとする際必ず起きる分裂というものから逃れきれていない、という結論に達するのであった。

参考:IBFとWBOどうする?(2ちゃんの2003年のスレッド・8年前とはいえ現状の解説として池上彰ばりに分かりやすい解説の人がおり、当時のK-1との比較も必見。非常に長いが。しっかし「世界ボクシング秘密結社」って・笑)

 こうした現状を持ってして「もう最強という概念自体は、現代のように高度に細密化する情報の時代や誰でも情報を発信できる時代である現在には幻想として保持しておくことも競技として保持しておこうともかいたいされてしまうもので、すでにそれは骨董品になったものだ。大きな権威が無くなり市井の人間でもネット上の一世論となるくらいに小さな権威でバラバラになっている中で、取捨選択される数限りない情報によって全てをフラットにしてしまう作用自体が現代性、ポストモダンの格闘技という時代」みたいにシフトしそうになるが、ポイントはボクシングであろうともプロレス・格闘技的な「最強の幻想の崩壊」に近いことが起きていた、とも見え、しかもそれが表向きは興行スポーツである故に、大量の世界王者たちが存在するといういびつな現状に繋がってしまった、という。




 こうした現状で、もはや「世界最強の王者の権威」という意味自体が形骸化し、何階級制覇しようが選手の陣営側の政治的手腕によって可能になってきている時代でのスター、という、この時代ならではのボクシングのジレンマや問題に、競技能力的にも人種的な面にもおいて一つの答えを提示していると思うのがやはりマニ―・パッキャオだ。

 前にも書いたように(ってかウィキペディア丸のみだったんだけど・笑)、パッキャオがスターダムにのし上がっていく過程には、当時のスター選手たちと階級を越えて闘い、不利だろうという予想を覆して勝利してきたことというのが大きく、世界王者というのは後からついてきた、という実績や、「全てのパンチがノーモーションですから」とまで解説に評価される完成された戦型、ちっちゃい方が大きいボクサーを逃げ回らせて制圧してしまうみたいな、いまやミノワマンくらいでしか見られない試合の絵面も込みで、「王者の権威」というものが興行上のドメスティックな小さな目算によって形骸化した時代のカウンターとなっているのだと見る。


 そして、「王者の権威というものが大きく下落した現状を上手く突いて大きく名を上げる」という側面のみに絞って見れば、確かに亀田というのが「日本のパッキャオ」っつうのも間違ってはいないのだろう。ここ日本におけるスターの在り方という側面にまで比較可能かもしれない。
 「亀田によって王者の権威が汚された」のではなく、もう亀田が台頭してきた2004年ごろ、さっきの2ちゃんの記事が2003年の世界を示してたことを考えても、もう既に団体乱立、王者乱立という事態でとっくのとうに「王者の権威」なんてものが保持される基盤はぶっ壊れてたともいえ、日本のJBCなんかの問題なんかも加えて今日の亀田が成立しているに違いなく、どんな競技的に優れたボクサーよりも亀田が突出しているのはそのファイター像の成立に今日の日本と世界のボクシングのダーティな問題の全てが凝縮されていることだ。

 こうした意味でパッキャオと亀田を比較していると、誰だったかが言った「スターとはある意味で癌のようなものなのです」という言葉を思い出し、まさに現代ボクシングと思わせるのだった。




 そして、こうしたボクシングの世界に対してのUFCはじめ格闘技側の見どころとしては、やはり格闘技側の「王者の権威」というものにほとんど力があるとは想像しにくいのだが、しかし数多くのスターというもの成立や生みだし方などがポイントのように思う。

 特に、もうかなりのところにまで来ているUFCというのは、そういうボクシングへのカウンターとしても意味深く、さらには「団体経営式の興行スポーツ」というのが実際どこまで行けるかの試金石になっているように見える。

 K-1というのはそうしたボクシングの「王者の権威による、世界最強」式ではなく格闘技の物語性を重視した構造にしつつ、石井館長時代の全盛期はボクシングを強くにらんでた新興格闘技のパワーがあったと見えるが、興行の発表が伸び伸びになりSHOWTIMEの日本支部設立のトピックスなどこれは本当にキツいとこに来ていて、一時はあった「ボクシングのジレンマを突く」みたいなパワーよりももっとヤバいボクシングの団体乱立・王者乱立のミニチュアバージョンになりそうでー、ってもうなってるのか。





  7月にウラジミール・クリチコデビット・ヘイの、WBA・IBF・WBO世界ヘビー級統一戦が行われる。マニー・パッキャオの現代性に対してこちらはおそらく伝統あるボクシングによる人類最強の証明ということの現在、というレトロさが主になるのだと思う。「世界最強の王者の権威」というものの現代での意味。それが焦点となるだろう。
  
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テーマ : 格闘技    ジャンル : スポーツ

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