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ロングスパッツとステロイド/世紀を越えて転移する「八百長とガチ」への懐疑

Category: ウェブ線上の批評   Tags: ロングスパッツ  ステロイド  八百長  ガチ  
 かつての昭和の頃の新日本プロレスや、キックボクシングの沢村忠などがいろいろと言われた「八百長ガチ」というのは、一体どういうレベルの味わいでの疑惑だったのだろうか?そして表向きは「全てが真剣勝負である」プロ格闘技が浸透した現在において、「八百長ガチ」への懐疑は失われた(消し去られた)のだろうか?
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 かの時代のプロレスなどの八百長への疑いというものに関して、その頃の気分というのは想像するしかないのだが、当時のファンの証言なんかを探してみると「うすうすとは気付いていた」とか「まあそうだろうな」とか比較的子供が大人になっていくにつれ物事を理解していくようになるという、成長とともに現実を消化しているものを自分は数多く見ているのだが(猪木の延髄切りの効果がほとんどない演出技であることに激高し半狂乱になった人間の意見は今のところ見たことが無い)、通常のプロレスが「そもそも八百長なんて言わない、あれは筋書きを決めたショーでもあるのだし」と、そうした形で納得されていくことに関しては比較的すんなりと話が収まるのに対し、「真剣勝負というには何か変だな?」という疑問が一気に血生臭くなる瞬間が噴出するのはそうした既成のプロレスを否定し、「こっちこそが本物の真剣勝負である」ということを標榜する存在が現れてきた時で、「うすうす筋は決まっているだろうな、と思っていたけど、遂にすべてがガチの存在が現れた」という団体への巨大な希望に対しての反動であり、具体的に言えば新日本プロレスに対しての第一次UWFで、やはりプロ格闘技史を振り返って「八百長ガチ」への懐疑の基調にあると調べていて感じるのはこの「プロレスと格闘技」の関係の初期の相克で、そしてその相克による「真剣勝負」への強い理想と現実からの敗退に伴う団体・ファイターの真相の露呈による、「信じていたものが裏切られた」ことへの強い失望が、「八百長ガチ」への懐疑の基本形となっているように見える。

 そんなUWFから20数年後の細かい階級分けまで為されていくようになるほど競技化が叫ばれる現在では、そんな、「信じていたものが裏切られる」ことへの強い失望を恐れる、「八百長ガチ」への懐疑は無くなったのだろうか?MMAは、「信じていい存在」になったのだろうか?
 
前置きがやっぱり長くなったが、そんな現代においての「八百長ガチ」への懐疑というものの精神性は形を変えて今だ存在し、それどころか現在のタイプはかつてよりもはるかにタチの悪いものとなっているというのが見られる。
 最近のネット界隈にて噂される表題のロングスパッツステロイドについての、人によってはヒステリックなまでの拒絶反応を見るに、ここに現代の格闘技における「八百長とガチ」への懐疑の象徴があると思う。


 まずはロングスパッツがどうのの事から入ると、オレ個人としてはグラップラーがこれをルール上禁止されない限りは使用することを完全に肯定しており目先のスパッツ禁止を唱える人間は青木真也選手を批判するフックとして言っているようにしか見えず、本当に批判していくのなら最近の勝村周一郎選手や、場合によってはこの時の山崎剛選手、さらに言えば桜庭和志選手のテーピングなど、つまり批判の方便として使われる「滑り止め」というものに関してそもそもの話、どこからが不正になるのか?さらには完全にまっとうなルールと言う意味で半ばボクシングの機構を適応する北米(≒UFC)をドグマに置くこと自体を日本格闘技の批判として適用していないか?といった言及をすっ飛ばして目の前の不愉快なものを払拭したいという感情が先走ったものとしか見えないのだが、ここで打ち込んでいきたいのは実際の「滑りどめ」の効果の検証だとかを問題にするのではなく、そもそもなぜこうした強烈なまでの批判が生まれ、結果ロングスパッツがかつての「八百長ではないのか?」という領域にまで疑われることになったのかだ。

 無論それは先にも言ったように「DREAM」のエース青木真也への不信感が皮切りとなっているのは言うまでもないのだが、なぜルール上問題なく、秋山事件みたいに青木に敗北したファイターがコスチュームに対して抗議を出したということもない(とりあえず公になっていない)以上、こうまで批判される部分は薄い(無いわけではない)と思われるのに対し、ここまでロングスパッツ批判が青木批判の常套句とすら化したのだろうか?を考えるに、このロングスパッツが「不正=八百長」という疑惑、さらに青木にはレフェリングの保護に見られる運営側のプロテクトというのも強く批判されるのだが、この陰鬱さはそもそもの青木真也というファイターの評価がかつてのような「信じていたものが裏切られる」ことへの強い失望を恐れることからの「八百長とガチ」への懐疑という、幻想や物語の崩壊を元にした感情からではなく、事態はむしろ逆転し、「裏切られているのに信じることを強要される」という、すでに多くの人が失望しているのに乗れない希望を持つように強要させるという、青木のみならず、ひいては今のDREAM全体のうすら寒さの正体であり、そしてそれがこの時代におけるロングスパッツを皮切りとした「八百長とガチ」への懐疑の質なのだと思う。つまりロングスパッツへの懐疑は青木批判の最もミクロなものではなく、DREAMへのの不信感や不服感の最もミクロなものだと認識する。
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 「ガチなのか、最初から勝敗は決まっているのか」と言ったかつての時代のような懐疑と異なり、コミッションやルールの統一もなく競技団体が乱立する基本「ガチ」である時代においての格闘技への懐疑の質は、先のロングスパッツへの便利な批判に加え、ステロイドもまた非常に便利な懐疑からの批判の言葉として広まっている。
 こちらはロングスパッツ批判の構造的な入り組み方による陰鬱さと異なり、批判の言葉としての使いやすさとしてはネットレベルではかなり軽く、そしてかなり幼稚に使われているように思える。これはアリスター・オーフレイムのPRIDE時代と比べての肥大化という限りなく黒に近い例があるのを代表に、旧PRIDEファイターがアスレチック・コミッションの監査のあるアメリカのUFCに上がる中で肉体が縮小しているのではないかと見られるのに加え、専門誌などもしばしば話題にする中でこのような単純な「こいつはステ打ってる」みたいな方便がまかり通ってしまっているのだと見るが、こうした批判の質は「信じていたものが裏切られる」の非常に幼稚なレベルの批判として、それこそかつてのプロレスに対しての「八百長」みたいに使われやすいように見え、それゆえに凄まじく批評能力の劣る人間が使いやすいが故に言葉が広まりやすくなにか一種の勢力となってる感さえある。

 目に見える現実の違和感に対し、批評・批判する言葉として格闘技の「八百長とガチ」への懐疑というのは一つの視点という意味のたたき台として興味深いものがあり、「こいつはステ打ってる」の方便は見かたを変えれば巷に流通している批判の方便とほとんど同じで、以下に挙げるものはみんな「こいつはステ打ってる」とほとんど同じ方便だと思う。女優やアイドルへの「整形」歌手への「口パク」作家への「パクリ」などなど・・・
 
                                       ・・・・・

 莫大な情報が恒常的なものとなっている現在、かつてのような「信じているものが裏切られる」という経験において、そもそもの「信じる」という感情自体がなんでもすぐにバレるゆえに社会的に持続しにくく、それゆえ物語というものが生まれにくいゆえと自分は考える。「こいつはステ打ってる」のような批判の矮小さは、現代における社会的なレベルの「信じる」という感情のレベルの裏返しのようにさえ映り、やはり、「裏切られているのに信じることを強要される」不服感のほうがはるかに何かを信じたりすることを上回っているように思え、このロングスパッツとステロイドに見られる現代においての「八百長とガチ」への懐疑の質に見られる陰鬱さを考えて行くとそういうところに行きつく。

 では「信じる」ことのできる規範やシステムとして日本が適用するシステムとして、これまでにも日本の近代化と関わってきた欧州と米国は格闘技になにをもたらすか?ということで次回よりいよいよブログ本編・米国と日本についての章を始めます。突如として、ですます調ですが、やっぱり前置きは次回も長くなるでしょう。実を言うとそもそもここまでの6回分自体、前置きでした。
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Comments

そもそも
格闘技を含んだ広い意味での“闘い”に平等なんてものは有り得ないんですよね。

パウンド・フォー・パウンドとかって都合の良い表現法もありますけど、体重が同じだからって腕の長さや足の長さが違う時点で不平等ですもん。
屁理屈っちゃ屁理屈ですけどね。

そこら辺の中学生の喧嘩だって、片や前日に焼肉食って夜10:00に就寝した子と、片や昼にチキンラーメン食っただけで徹夜した子…「俺メシ食ってねえから、お前は蹴り禁止ね」なんてないですよね。

ですからロングスパッツ云々も小さな小さな事だと思うんですよね。
もう一つ角度を変えてみれば、もしも滑り止めを装着したことで、自らも足を取られて抜けなくなる可能性が高まりますしね。
キリがないですよね。
Re: そもそも
> 格闘技を含んだ広い意味での“闘い”に平等なんてものは有り得ないんですよね。
> ロングスパッツ云々も小さな小さな事だと思うんですよね。
> もう一つ角度を変えてみれば、もしも滑り止めを装着したことで、自らも足を取られて抜けなくなる可能性が高まりますしね。
> キリがないですよね。

そうっすよね。今エントリは実際のロンスパやステロイドの悪というよりかは、見る自分たちの問題ということをメインとしました。特に「競技性」が高らかに叫ばれる時代だからこそ、潔癖性の声ががかつてより大きいものになっているとみております。

> そこら辺の中学生の喧嘩だって、片や前日に焼肉食って夜10:00に就寝した子と、片や昼にチキンラーメン食っただけで徹夜した子…「俺メシ食ってねえから、お前は蹴り禁止ね」なんてないですよね。
>
なんで紫レガさんオレの中学時代の時田(仮名)との闘いのこと知っとるん!??その話、詳しくいうと時田とその話で揉めて、ルール決めでグダグダになった末にマリオカートでの闘いに・・・
何とか勝ったが・・・時田(仮名)は・・・今・・・どうしているだろうか・・・
別エントリーですが、「しょっぱい競技化を求める批判」この言葉を見て胸がすっとしました(笑)

ロンスパ論争は青木を叩くフックというのに同意です。
他にもスパッツ履いてる選手はいるけどそれだけ青木が悪目立ちするんでしょうね。一応メジャー王者ですし。


「信じているものが裏切られる」かあ。
信じてるものが多少胡散臭かったり、そういうのが透けて見えてたとしても、あえて乗っかって見るのが格闘技の楽しみ方の一つだと思うんですけどね。

Re: タイトルなし
> 別エントリーですが、「しょっぱい競技化を求める批判」この言葉を見て胸がすっとしました(笑)

みんな批判するのはいいけど、なんでコミッションとか監査機構の整備の問題ださねーんだろ?なあんでSRC持ち上げねんだろ?ということの疑問が今エントリの裏テーマでもありますです。

> 他にもスパッツ履いてる選手はいるけどそれだけ青木が悪目立ちするんでしょうね。一応メジャー王者ですし。

やっぱ、青木選手の人間性を叩きたいというのに加え、今のDREAMのメディアを含む体制が青木選手を「日本代表」と設定する中でそうした批判を封じ込めてしまうという作用がさらに批判を倍加させているように見え、本文中のロンスパ批判はDREAM批判のもっともミクロな形とはそういうことなんです。

> 「信じているものが裏切られる」かあ。
> 信じてるものが多少胡散臭かったり、そういうのが透けて見えてたとしても、あえて乗っかって見るのが格闘技の楽しみ方の一つだと思うんですけどね。

やっぱMMAは格闘技の最強を決める場、のもっとも競技に近づいた形態として、すでに今は「ガチが信じられるのは当たり前」ゆえに、「裏切られているのに信じることを強要される」という逆転現象が起きてんじゃないだろうか、というのがいまの自分の気分です。
 
初コメです。
ステロイド肯定派なんですが、元競技者の自分もステロイドは使いたかったです。
今のようにネットが無かったので買えませんでした。
ただ知らない人にも注意してほしいのが、ステロイドを使用したとしても厳しいトレーニングが必要です。
Re: タイトルなし
> ステロイド肯定派なんですが、元競技者の自分もステロイドは使いたかったです。
> 今のようにネットが無かったので買えませんでした。
今現在のネット上の言説の情勢として、ステ肯定を発言することは難しい中で、このような興味深い意見を
頂けただけでも本ブログを立ち上げた意味があった、と思います。

本エントリは「ロンスパとステの実質的な善悪の問題」というよりかは「それらを疑う、見る私たち側の「信じる」というメンタリティの問題」の、過去と現在の変化をテーマとした考察として作りました。

オレ個人としては実用的な効果と言う意味ではロンスパと違いステに関しては否定的なスタンスであり、それはステロイドの副作用の問題も既に公となっているから。最近も東欧の女性アスリートなどが過剰な薬品投与からホルモン分泌に異常が発生し、男性化してしまうというニュースを見て、人格を変容させてしまいかねないというレベルの問題に対する倫理感から否定しております。

> ただ知らない人にも注意してほしいのが、ステロイドを使用したとしても厳しいトレーニングが必要です。

これはカミプロのインタビューなどで長南選手なども同様の意見を発現されており、こうした意見の底には「ステロイドをちょっと打つだけでみるみる筋肉質になって体格が有利になる」というファンの甘い批判に対してのものと受け取りました。
先に書いたような「女性アスリートの男性化」というようなケースは角度によっては「ステ使用の過剰な例に過ぎない」とも言えなくもないと見えますが、刺青怪人さんにとっての競技者当時(ネット前夜との事ですから、80~90年代でしょうか)のステロイドの在り方とはどのようなものだったのか興味があります。
ステロイドは格闘技の括りでは凄く使い方が難しいと思います。
1、減量が困難(これはフィジカル優位に立ちたいと、パワーが欲しいとステ使用しても階級が上がっては元も子もない)
2、馬鹿力だけは勝てない(ステロイドを使った場合、ウエイトトレーニングに割かれる時間が多くなる)
3、過度の増量は自身の柔軟性、バランスを損ないスタイルの変更が必要になる
とまあ思いつくデメリットを上げてみました。
詳細は後日、当BLOGでUPしたいと思います。
刺青さん
暫定的な3つのデメリットを読ませて頂いて思ったことは、「ということは階級が重くなってくるほどにステロイドを使用している選手の可能性が多くなってくるのではないか?」と言う、若干当たり前みたいな意見ですが、逆を取れば細かい階級分けのある中・軽量級になってくるほどステロイド使用の可能性は低くなるのではないか、という仮説が思い浮かびました。

現在階級に関してかつての格闘技バブル時よりも厳密な処置がとられていると見え、(とはいえ興行の関係上先日のDREAMなどはキャッチ・ウェイトの対戦だらけになるという事態になりましたが)桜庭VSシウバのような10キロ近い体重差というアバウトな規定の「ミドル級」のころはやっぱ可能性は強かったのかもしれないな、とも思いました。

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ビデオゲームというフィルターから俯瞰する、現代エンターテインメント総合批評
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