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世間と闘うことの根底にあるコンプレックスの有無と葛藤(そしてその現在)

Category: プロ格闘技   Tags: 世間  コンプレックス  UFC  北米問題の現在地点    
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 プロレス・格闘技の現在は、どうあれ非常にマニアックなものになってしまっているのは確かであるが、たびたび誰かが書くような「世間にプロレス・格闘技を持っていくための闘い」みたいなことは果たして今はもう「競技化」だとか言われる現在別の話なのか?世間に打って出るというのは芸能の領域であって競技として見るべき現在とは本当に別の話なのだろうか?

 平均的な話ではないが、このプロレス・格闘技史の「世間と闘う、世間に向ける」という欲動。そのモチベーションが醸成されるその底にある選手や関係者のバイオグラフィの中にある何らかの屈辱や怒りからのコンプレックスの現在というのが気になる。というか、自分が純スポーツと別に格闘技から見出しているのはつまるところそこしかないんだが。

 ということで、先日の「UFC131」の小見川選手の判定の話を交えつつ、この「世間との闘い」などのモチベーションにも繋がる人間が時に存在する、このコンプレックスの問題の話。




 「コンプレックスをバネに」なんてとっくに使い古されて手垢でカビきっているある種の社会的成功者を評価するのに使われ切っている言葉だろうし、その成功譚としてに一般の視聴者が自らに照らし合わせるなりして感情移入しやすいフックではある。

 がしかし、個人的にこうしたありふれたフレーズの底にある意思の問題で、ある意味では格闘技は他ジャンル以上に最もその構図が生々しく露呈されており、話広げればそこんところの問題次第でジャンル自体が浮き沈みすらしているかに見える、そのコンプレックスの発生とそれからの「スターを目指す」とか「世間にプロレス・格闘技を持っていく」などの意思の醸成の関係というのは興行的にも選手のモチベーション的にも競技力の発達的にも興味深いものがある。

 


 そういうわけで、これまた手垢で腐りきっているフレーズで恐縮だけど戦後の力道山のプロレスの時代から、純スポーツ的には社会的にも伝統的にも弾かれ、単に競技的に強いだけでは現在に至るもジャンルとしての強度が成立しないプロレス&新興格闘技が興行として世間に仕向けられている場合には、その選手から興行主に至るまで、実人生の中で受けた何らかの強いコンプレックスがその興行や、スターとしての振舞いやファイトスタイルなどを形成する意思のベースとなっているという側面がよくある成功譚以上に強く関連していて、このあたりの事情はなにも日本のプロレス・格闘技に留まらず、アメリカのWWEのビンス・マクマホンやUFCのダナ・ホワイトの背景を見ていてもそういうことを感じる。
 コンプレックスというのが成功譚のフックとしてではなく、それがメインを形成している気配が強いのはこのジャンルの純スポーツから一段落ちるヒエラルキーにあるせいなのか?それゆえ永遠のコンプレックスを自覚してるせいなの?なんて思いもするが。


 こういう視点からすると、「世間に格闘技を広める、自分がスターになる」みたいな言葉を選手が発言した場合、それがどの程度の意思での発言なのか確かめる際、案外そういうコンプレックスの有無から逆算したら謎が解けるのかも知れない。世間的に価値の薄い格闘技を広めたいという意思を持つに至る何らかの経験ゆえのものか、実は「格闘技を広めたいというか、「格闘技を広めたい」と発言する自分が好きだった」というような違いが見えてくるようにも思う。そして現在、前者の意思が見え辛く、期待を寄せてた人間が後者の器に至ってしまっているってのが多数見える。

 


 というわけで、現在のそうした選手・興行主の中で、そのバイオグラフィなどが知りたいのはまずは立ち技の世界でサイモン・ルッツバダ、ペトロシアンはじめ移民の過去を持つキックボクサーらの、キックを選択するに至ったその欧州圏での背景。イッツ・ショウタイムの今後の成功というのを少なくとも自分が占う場合は、ルッツの背景というのがいったいどんなものなのか?というのが気になるっつうか。

 コンプレックスの有無どうので成功するかしないかなんて無論わからないが、少なくとも興行がどこに持っていかれるのか?を占う指針にはなる。ルッツは欧州圏全体に格闘技をメジャーにしていこうとする意志はあるのだろうか?そしてそれが実行できる器なのかどうか?そして、選手たちは。

 ショウタイムが欧州でのUFCになろうとする場合、やはり気にかかるのはそこで、UFCの場合はダナ・ホワイトの発言などを読んでいても仮想敵というか愛憎あるモデルとしてアメリカにおいてのボクシングのプロモーションに対してのコンプレックスの存在が見てとれ、サイモン・ルッツにそうした存在はあるのか?谷川氏や石井館長を反面教師とする程度で終わるのか?などの疑問はある。

(とか何とか書いていたら、ショウタイムがスイス投資会社と提携というニュース 。「キックボクシングスポーツ界でかつてない規模の資本提携」という微妙さもあるが(苦笑)、ここから何らかの進路に向けるための体制はできつつある、という状態にはなっていってるのか。期待したい。)



 そして、「コンプレックス」という観点から見直した小見川VSエルキンス。(さらに翻って福田VSデニス)この試合から感じるのは今現在の日本格闘技の気配は「もう日本市場で日本ルールでMMA続けるのは難しいでしょう、白旗上げて北米に学びなおしましょう」みたいな感じであるが、結局日本のメジャー格闘技バブルの違和感や問題に対しての、日本国内に視点が言ってる当てつけ的な内向きの問題であるという事実で、実質北米というのは安全性に関してなどのスポーツ性が日本より整備されている、程度で収まっており、別にアメリカに対してコンプレックス持って闘う選手や日本のメジャーの運営というのはいないよな、と。以前にも「五味や小見川やKIDのUFC、これ挑戦というか亡命みたいだよな」みたいなことを思ったし、やはり今現在もなお日本格闘技を取り巻くコンプレックスの問題は日本国内にあり、というか。北米問題とか言う段階じゃねえんじゃねえか。


 アメリカで闘いに出るには、「判定なら負けになる。絶対にKOか一本で勝つ」という意思を、現代MMAを熟知・習得したうえで持てる選手でなければ難しく、やっぱそれができそうなのは青木真也選手しかいないと思うんだが、日本国内のDREAMの関係各社の人間関係の問題でなかなか向かえないという現状。

 なにより、判定の問題でカナダ・バンクーバーコミッションに文句を届けるつもりもなく国内でピーピー喚いてる現状に飽きたというのもあるし、そもそもの小見川選手の、なんといっても技術的に圧倒している面が多々見られながらも、正直勝者としての自信を放出しているかのような気迫が全くなく覇気がない気配であった、ということが気にかかった。この表情の中に「今日本格闘技がコンプレックスを抱いているのは北米MMAではない」という 事実が刻印されているように映った。

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テーマ : 格闘技    ジャンル : スポーツ

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