オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


2011年上半期の総括(前篇)・世界プロ格闘技のエディプスとしてのUFC

Category: ウェブ線上の批評   Tags: アメリカン・スポーツ  移民たちのバレエ    
奥地

 日本格闘技の「メジャー」の第一弾興行が上半期の終わりにK-1MMA揃って行われた今、格闘技の世界の2011年の前半は何が始まり何が変わり何が終わり何が変わらなかったでしょうか?来月から意味変動のさらなる激戦区に入るポイントとなる試合が用意されているのを見るに、その前菜みたいにして「日本メジャー」を味わいつつの、上半期の総括。米国UFCと欧州ショウタイム、そして差し挟まれる「頭文字J」。




 
<<米国・ジョーンズの登場・メレンデスの変貌・グイダの進歩・UFCを中心とした、MMAのトレンドの更新構造の完成か?>>

 まあここまでにも繰り返し書くなりして思ったことだけど、北米・カナダ・白人性・洗練において代表的なGSPと南米・ブラジル・黒人性において代表的なアンデウソンの相克という、アメリカの音楽から映画に至るエンターテインメントの前線の領域に来るか来ないかくらいのレベルにまで、UFCというコンテンツのレベルは内外ともに底上げされているかに見える。

 しかもUFCを頂点として続々とその競技力の基本構造、これこれこうやっていけば勝ちに行けるというという戦法から減量法・肉体鍛練法に至るトレーニング方法まで構築され始めているかに見え、 特にジョン・ジョーンズの台頭や、メレンデスの変貌、五味・ぺティス戦に見られるグイダの進歩、そしてKID、ミゲール・トーレスを撃破したデメトリウス・ジョンソンなどの活躍から特に立体的に見えてくるものとして、選手の資質はもちろんながら、それ以上に気になるのは現代MMAで勝利しに行くことにおいて徹底したトレーニングや戦略のシステムやメソッドがかなりのところまで構築されていることにあると思う。

 そのあたりの厳密なリサーチはゴン格などの専門誌などを参考にするとして、「MMA」という新興競技が異種格闘技戦やヴァーリトゥードという出自をさらに超えた、「新興のアメリカンスポーツ」という領域に来ていること、ダナ・ホワイトのバイオグラフィにあるだろう「ボクシング・プロモーションへの憂い」みたいなものがさらに勢力をあげて実現されていることなど、やはり世界格闘技のパラダイムを見ていく上で今後も中心になるだろう。次の興味は「アメリカンスポーツとして収まるかそれともそれを越えようとするのか?」というレベルに入ってるかどうかにある。


 3・11という事態に格闘技がシンクロニティを起こしていた点としてUFCのストライクフォース買収・SRC収束・紙プロの休刊などが挙げられ、そしてその後の川尻VSメレンデスの凄惨な結果から見えるものは、「アメリカンスポーツというものの日本人が解釈できる限度」や「メジャーが無くなることで、MMAというものの前線を咀嚼していく掛け橋になるものがなくなっていく」などのテーマが含まれているように見え、そのあたりの過渡期の構図がモロに現れたのがDREAMと、判定の違和感にまで繋がっていくという流れ方に見える。

 そうした「判定の違和感」の源泉として、ボンヤリ追ってるだけでも半ば蔑視に近い形で公式化されたとすら思える、現在のDREAMをはじめとした日本メジャーにかぶせられる「ジャパニーズMMA」という名称、90年代には一つの広告的意味として公式的なものであれ一つのフックとしてであれ、JPOP・Jリーグ・J文学だとかに至るまで頭文字Jというのはその意味で象徴的な命名だったと思うが、ゼロ年代格闘技バブルアフター・日本の旧態依然とした構造がガラパゴスとか何とかいって批判されたりする時代の中で付いた「J」の意味として印象深い。その90年代からの「J」もある意味では引きずっていただろう、本場を尻目にしたキッチュな意味ばかりが強調される「J」としての初めての存在のように「ジャパニーズMMA」は見える。

 所英男選手というのは頭文字Jの良質な部分も本場ものばっか見てるマニアみたいなのが批判してる感も(洋楽にガチガチの人が「JPOPとかいってミスチルもポルノもパクりばっかじゃねーか」っつう批判みたいな。あった光景です。)ちょうどハーフな最上級の選手であることをDREAMバンタム級トーナメントにて復権させただけに、そうした構図が特に目立ったっつうか。冗談抜きで山本篤戦をほぼ完封してリベンジして旧知の先輩である今成との決勝。という流れ、日本プロ格闘技お家芸のワンデートーナメントのドラマツルギーが爆発した形ですげえいいとは思うんだが、同興行周辺の、もはや目の肥えた客たちが完全に主になっている中での違和感のある判定やジャッジのストップなどなどのおかげで乗りきれない感じが漂うあたりに、日本人が主食として咀嚼できる基準たる「ジャパニーズMMA」という名称に課せられる諦念と悦楽の配分が凝縮されているなどと思うのであった。

<<欧州ショウタイム時代への期待と、あるいは約束の地の可能性の一つとしてのスペイン>>

 MMAというのが完全に日本の地上波基準のカルチャーに合致した格闘技たるPRIDE時代から、UFC時代になって大きく変化したのはやっぱそんな風にアメリカのカルチャーに、競技性ともコンテンツともシフトしてしまってる、という今更でありながら現在もなお進行している事実であって、ならば立ち技が今後変化する際、日本の地上波基準のカルチャーに格闘技のレベルを引き上げたパイオニアとしてのK-1が欧州ショウタイムにパワーバランスが寄ってしまう場合どうなるのか?

 これがまたコンテンツやジャンルの進化という意味での未来図が見取り辛く、単純にショウタイムの位置つうか欧州圏におけるプロ格闘技興行の位置やサイモン・ルッツの目的、戦略などなどがこれからなのだろうが見えにくい印象がある。

 個人的に本当に欧州カルチャーに適応する格闘技、ということで国際連盟組織の設立やそれにともなった所属選手のランキングの設定、そして主要国を回っての、ワンデーでなく日にちわけてトーナメント式でチャンピオンを決定していく、早い話テニスの構図に近いところに設定していく、みたいになりゃUFCのアメリカンカルチャーとの鮮やかな文化的対比。ここ100年の欧州米国のオーソドックスな文化的対比の格闘技版の光景は?みたいな視点にまで到達したならそれは面白くはなるんだが、無論現在では夢物語でいまから本当にそれに向けて動いても10数年くらいかかんのかなあ、などと思ってしまう。

 どちらかというと、ショウタイムジャパンの設立に代表される金銭問題によるK-1FEGとの関係の亀裂など、ドメスティックな部分にウェイトがかかっているように思われ、うわあこれはヤバい。などと思っている内に行われた先日のK-1ライト級、大和、久保、卜部など単純に大舞台を重ねることで華も出てくるだろう選手たちが、こうして実質通常のキック興行と大差ない舞台に収まってしまうことでくすんだ印象を残しているのに対し、HIROYAと野杁というK-1甲子園組がUSTという舞台と合わさって開陳してしまった電脳ムエタイとしか言いようのない、金も賭けているわけじゃないのに観客たちが殺伐とし、判定が連なると言う光景が出現したのを見るに、デッドライン踏み越えてる状態というのが見事に結実していた。

 勝手すぎる見解でいえば昨年と今回K-1の大会結果の差は、ある種日本のキックボクシング界を締める意味もあり、無論問題ありながらもメジャーの場としての頂点を設定する意味もあったろう昨年に対し、現在の混迷するFEGによる成り上がる頂点としての場の崩壊などなどが確実に影響を与えていると思われ、絶対に「軽量級で技術が拮抗してしまったからKO劇は見られない」という文脈ではないな、と感じる。

 こうした試合に至るの背景と、そしてそこから起こりうるだろう結果の関係というのは案外バカにならず、来月に行われる「日菜太VSペトロシアン」というのはこうしたメジャー亀裂の上にあり、ドラスティックに競技力だけ測るのならば当然ペトロシアン優勢だろうがこれもまた分からない。


 そうした国内のサードワールド化とか思ってしまう現状の中で、ショウタイムのスペイン興行のアブラハム・ロクエニをはじめとした、海外キックのファンの方が言うには、かの地ではボクシングとキックを平行して行っているという選手が数多く存在するという状況らしく、結果それらが器用に混ざり合うというスタイルが実現されている選手が生まれている、というらしく、それが現在のK-1ルールが今後も適応されるのならば「キック・K-1 WIKI」様のこの見解に嵌まる、アンディ・サワーなどを代表とするオランダスタイルとの対構造となる、ボクシングというものをベースに置いている次世代型のK-1に適応する人材が輩出される可能性がスペインにはあるのではないか?という軽い夢想を抱いたというか。

 さらに大きく考えて、サッカーのワールドカップの如く、欧州トップスポーツの競技力のしのぎ合いとしてのオランダとスペインになりうる構図にまで成長する、というところまで行くなどして、各国の選手層を発掘していくみたいな流れに一歩でも近づく方向になれば、立ち技の次の風景も変わってくるように思う。

<<新興格闘技の近未来としてのボクシングと、ボクシングの近過去としての新興格闘技>>

 とりあえず、MMAにせよK-1にせよ、その競技を統括する組織や権威の構造、そしてその歴史なんかは全くことなるにせよ、その新興格闘技の競技力が進歩していくごとに、日に日に試合の光景がボクシングに近づいていくかに見える。

 ある部分ではK-1・MMAなど新興格闘技は、プロボクシングがフックとしていたバイオレンス的な部分・王者の権威の部分・物語性の部分などもろもろが、ボクシングが時代の中で認定団体が分裂していき王者が乱立していく時代の中でこぼれ落ちてしまっていったものを拾っていったかにも見える歴史を編んでいる。

 7月初頭の大会で、世界ヘビー級・三団体統一戦という、王者の権威、ということではこれがおそらく、この時代のボクシングにて、あるいは格闘技にて、化石の概念とすらなりかねない「世界最強」という概念の現在がジャッジされる「ウラジミール・クリチコVSデヴィット・ヘイ」の一戦が行われる。現在の世界プロ格闘技の奔流から見てこの一戦から感じるのは新興格闘技たちの近未来の光景と、近過去の郷愁がハーフになった感覚だ。UFCヘビーの王者&SFトーナメントの優勝者の統一戦が今後行われるとして、それはこのクリチコVSヘイにどれだけ似通うのか。今後の立ち技は例えばセーム・シュルトを「ドラマツルギーを消してしまう巨人」から「世界最強のキックボクシング王者」に変えられるのか。そうしたテーマがあると思っている。

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テーマ : 格闘技    ジャンル : スポーツ

Comments

>絶対に『軽量級で技術が拮抗しているからKO劇が見られない』という文脈ではないな

選手の心理的な要素とは別に考えて、私としましては競技力ということで詰めて考えた場合、MAXの過去の試合においてもトップクラスの試合は判定の拮抗したものが多かったですし、今現在のK-1において諸々の問題になっている部分(競技力の停滞・ラウンド数が少ない事による見せ場の減少・拮抗した試合展開による判定の不可解さ)といった部分を全て解消するためにも、K-1の競技的な頂点としての『場』というのは、ワンデートーナメントよりもタイトルマッチ5R制が最も適切なのではと。
K-1の面白さ、スターを生み出すシステムの適切さを考えて、主催者側も、そしてファンもそれを捨てきれない部分があるでしょうけど、ヘビーは残しておいてもいいとして、停滞を打破する意味でもどこかでメスを入れなくてはいけないと思うんですよね。
Re: クッキンアイドル(※1)銀ちゃんさん
 確かに地上波コンテンツにアジャストさせる意味の無いワンデートーナメントは、実質僻地のネット動画界隈の中で意味を失い、それどころか蔑視のコピーとして一部に広まってるダッチムエタイのK-1光景(※2)ってのがシャレにならない形で現実化してしまった。というのが自分の評価で、動画サイトだろうが金を取って意味あるワンマッチとチャンピオンシップにシフトしてくれ、というのも分かる気がします。

ここ日本においての、米国ボクシング興行に近づく形の興行(UFCを代表としたような)というものは咀嚼可能か?はともかく、先のこの記事の「そういう文脈じゃない」というのはちょっと興行システムに関してのアプローチというのに違和感あって、やっぱ気になった試合のレビューを軸にして考えないと辛い面があったからです。このブログの傾向として、何か試合内容とか度外視されがちかもしれませんが(笑)基本全て実現した試合から逆算した結果で見てます。(あ、そーじゃないのもあるかも知れません・笑)

(※1 福原愛さんですっけ?目を覚ましてくださいッ)

(※2 これは観客から試合内容までに。自分はK-1甲子園という企画の最高の結果の一人といっていい、野杁選手がK-1ファンの皆さんにはどういう評価だったのか?というのが気にかかります。これは大会一月前に壮絶なKO敗戦をして上がることから既に梶原選手を完封してしまう実力まで含めてどういう印象だったか?というか)

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