オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


ウラジミール・クリチコVSデヴィット・ヘイ 「世界最強」の価値の現在と、新興格闘技たちの近未来

Category: P・M・BOXING   Tags: ボクシング    
P1010270.jpg

試合の後半に、「というか、リスクを取りあっていたのがかつてのヘビー級なんですけどね」と解説の香川照之氏が言った。

 ヘビー級のWBA・WBO・IBFの三団体統一戦、これを制したならばその歴史的権威や構図から言っても現在の「世界最強」「最大の王者の権威を保持する選手」を証明することになる。そして、その光景はいかなるものなのか?それはK-1・MMAなど新興格闘技の近未来の姿なのだろうか。あるいは過去の「世界最強」という概念が再証明された形なのだろうか。


 2010年代、ボクシング世界最強の闘い
「ウラジミール・クリチコVSデヴィット・ヘイ 見立ての格闘観戦記録」



「The Beatles-Strawberry Fields Forever」


 WOWOWでの視聴だったんだけど、ゲストとして登場した香川照之氏の解説がヘビーのボクシング史も振り返ったものでものすごく分かりやすく、その中でも「アリの時代から変わってここまで白人選手が長期に王者になる時代になるとは思わなかった」といった発言は興味深かった。

 そういった香川氏の見解も込みで、自分はこの対戦を見ていて、途中からこれは、あのK-1の試合を深海に沈めて100年を経過させたような、というか、トレンドに沿ったSF風の例えにするならば平行世界での「セーム・シュルトVSバダ・ハリ」としか思えず、それはクリチコとヘイが対戦に至るまでの舌戦の経緯や、固いスタイルによって長期政権を築くクリチコ兄弟と闘える可能性を期待されての、突破力のあるヘイという構図までかなりのところ両者のコントラストはK-1のそれに似通っている。

 ただ異なるのは、自分にはクリチコにもヘイにも、4万人以上が集まったドイツのアリーナの観客たちは、声援もブーイングもどちらにせよ半々に送っていたように見えたという、K-1におけるセーム・シュルトを迎える時にファンが受けている諦念や脱力感とは別のものであるということぐらいだ。日本の、神事としての相撲を核にもつイベントとしての格闘技の「場」と、興行全体で演出しようとするドラマよりも王者としての価値を持つチャンピオンシップというものそれ自体が、時にフックとなり、価値を為すという差だ。

 しかし、ほとんど全世界のプロ格闘技の中でも公式と言っていい「世界最強」を決めるこの闘いのこの内容と結果に関して思うのは、「K-1のシュルトVSバダも、ボクシングという歴史があり、他団体とは言えこうして主要団体3つを統一するということで公式に世界最強を決める場ならまた意味があって、これでいい」みたいなどこまでもボクシングの歴史と権威に寄った評価の気分もあるし、先の香川氏のように古くからボクシングのヘビー級が見せてきた世界最強を決める、リスクを取りあって闘っていた凄みを知っている人なら「評価せざるを得ない」ということの苦々しさと薄い諦念を感じているのかもしれない。

 自分が思ったのはこれが新興格闘技の一種の近未来的な光景になるのだろうか?ということだった。最終的には選手層を厚くさせて行った中で、ドラマやイベントとしての完結を越えて、チャンピオンシップというものが大きく価値を持つ世界になっていくことは、これからの新興格闘技が次の段階に進む上で問われることだと思われ、現在UFCだけが次のその問題に関してどうなるのか?というレベルに達しており、K-1・ショウタイム提供の立ち技界隈は、K-1の失墜を上げるまでも無く、ショウタイムが次行う興行もワンデートーナメントを採用したものであるし、膠着が根深く、こっちは20年前の状況になるかも分からない感じというか。



kabekami6.jpg


 「世界最強」という概念は、結局何らかの権威や興行を成立させるためのフックなりとするための虚構だ。

 よく格闘技バブル直前くらいのプロレス・格闘技誌が使っていた「極真幻想」「グレイシー幻想」とか言う感じで使われていた「幻想」という言葉と、新興格闘技側が提供する「世界最強」の概念は密接に関係があったと思うし、そうすると「ある格闘技が世界最強であるという幻想」を保持しようとする場合、これが兎に角、バレないように闘わないことにする(ヒクソン・グレイシー、前田日明エトセトラエトセトラ)ことで基本、価値を保っていたわけで、単純に代表が敗北するおかげで団体や競技がブッ潰れるリスクが当時存在する以上当然のことではあった。しかし、当時の新興格闘技の緊張感(とりあえず日本を軸にして)というのはそうした背景の中で成立していたと思う。

 そうした団体間の緊張の中で少しずつ試合を実現していきながら時代が下り、競技を統括するという構造自体はまるで合わさってないけど、展開される試合内容自体は日に日にそういう幻想どうこうを過大なフックとしない、新興格闘技の中でどう有効か?というドラスティックなものへと流れていくことで、結果、現在は「幻想」というものは無くなり、選手たちの価値を保持するものはむしろ戦績から逆算された時価に変わったように思う。「幻想から時価に。」というのが、今のK-1・MMAの選手たちに共通して感じることであり、その現状に対して人によっては「幻想があったころが面白かった。その頃に還れ」といったり「もう競技として見るべきだ。階級無視の打ちあいや決まらない一本狙いだとか意味は無い。スポーツなんだから」みたいな意見と対立したりする。




 こうしてクリチコ兄弟というのが現在の「世界最強」ということになるようなのだが、こうした光景に今後のUFCによるMMAが近づいていくのか定かではなく、今後ケイン・ヴェラスケスVSジュニオール・ドス・サントスの勝者と、ストライクフォースの優勝者との統一戦が行われるとして、それはどれだけこの試合の光景との符号が見られるのだろうか?

 自分が見立てたクリチコVSヘイに見られる、ヘビー級の人類最強の闘いの「世界最強」の概念の現在とは、競技的権威の側でも、ある人物や団体や格闘技が保持したい幻想の側も共に、その試合の、内容から背景に至るまでの緊張感というものを決定付けるための意味というのが下落している、という印象であり、それはもう「人類最強」とか「世界最強」が決定付けられる闘いの緊張というものが欠落している、という感じで、クリチコ兄弟が世界最強の座に居座っていることに関しての、見る側のカタルシスの差の中に真実があると思う。

 どうあれ、「世界最強」というものに関して、競技の歴史あるボクシングにせよ、K-1・MMAなど新興格闘技にせよ、そしてプロレスにせよ、20世紀が終結して10年目の現在においてはそれが興行的なフックになるにせよ権威や価値に基づいたものにせよ、単純にその概念を取り巻く緊張感というものが欠落してしまった、ということが、少なくともオレ個人の感想であり、現在の格闘技の前線のリアルな緊張感を保持しているのはやはり「正当な王者」と評されるマニー・パッキャオであり、MMAにおいてはダナ・ホワイトの意識と、GSPとアンデウソンの対照によって加速するUFCにあるな、という感想だ。

人気ブログランキングへ
スポンサーサイト

テーマ : 格闘技    ジャンル : スポーツ

Comments

Leave a Comment

プロフィール

EAbase887(葛西 祝)

Author:EAbase887(葛西 祝)
mail: kyukakukaizoudo@gmail.com

人気ブログランキングへ

ビデオゲームというフィルターから俯瞰する、現代エンターテインメント総合批評
「GAME・SCOPE・SIZE」もやっております。ゲームの他に映画・アニメ・小説なども取り扱っており、興味があればこちらにも。

人気ブログランキングへ


ひっそりとド偏見アニメネタレビュー「14ー21歳のセックスか戦争を知ったガキのモード」「もスタートしましたので、妙に少なくない格闘技ファンとアニメファン兼用の方はこちらもよろしくお願いします。

TweetCasting

ツイキャス・LIVE放送中はこちらからでも視聴できます



 
検索フォーム
 
 
 
 
 
 
ブロとも申請フォーム
 
 
QRコード
QR