オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


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金網と鉄条網・ケージと米軍基地

Category: 米国基地   Tags: ケージ  リング  米軍基地  
金網
 金網の中のシウバやノゲイラ、そしてミルコは「PRIDE」が、日本の「格闘技バブル」が終わった光景だったが、金網の中の五味と青木という光景には「米軍基地」を想起させられた。そのケージの金網が基地の周りに張り巡らされる鉄条網のように見え、展開される闘いはふたりとも「日本」ではなく「アメリカ」であるという自らの格闘史観が転倒する違和感があったことにそうしたことを思ったのだと思う。

 日本史というものの認識が寸断された決定打となった戦後より半世紀以上経つ中で、今だ局面にて「アメリカによる日本史の寸断」というこの国の近代史の基調のデフォルメのような事態が頻発する。「ケージかリングか?」という青木真也のストライクフォースでの敗戦を皮切りに論じられるこの問題こそ、まさしくそのデフォルメのこれ以上ない例であると思う。

 いま、MMAの存在というものがPRIDE崩壊以降UFCがシーンを牽引することにより「あらゆる格闘技の世界最強を決める場の実現」という、日本格闘技史のアントニオ猪木や大山倍達らが提唱してきた「異種格闘技戦」という出自を完全に忘却させる、MMAを州ごとに解禁することを進めるほどショーから競技化を推し進める流れとなっており、ただでさえボクシングを基調としたラウンドマストという構成が、興行として打ちあう、極めあうといった姿勢を軸とした「世界最強」を演出するショーとしての格闘技を優先させた時代を基調として格闘技を見てきた人間にはなじみづらいものとなっていっている。BJ・ペン対フランク・エドガーの試合に「日本格闘技史観」を見出すことは困難だろう。
 青木真也の敗戦により騒がれるケージ・リング論争も「リングの方が面白い」とか「ケージは暴力的すぎる」とか「結局はKAMIPROの煽った自作自演の産物」など様々な意見が飛び交ったが、自分が思うのはファンも、そして紙プロはじめとするメディアにしても、共通して感じているのは「日本格闘技史の断絶」ではないだろうか。自分たちが見ている光景が明日から全く異なるものになってしまう恐怖、歴史、あるいは記憶が書き換えられる、上書きされることの恐怖や違和感がそうした感情の元となっているように思え、リングかケージかといった舞台の問題の議論などは表層的なものでしかないと思う一方、しかし現在の事態の象徴「アメリカか日本か」の選択という意味では分かりやすい。
 自分は「グレイシー柔術来襲時代による、プロレス史の断絶」がリアルタイムで展開されていた頃には一切の格闘技の興味が無かったためにその頃の気分というのは全く分からないのだが、過去を調べている限り、まだあの頃は「プロレスから本当のガチの時代に完全になるんだ」という前時代が壊れる憂鬱とともに来るべき未来まであと一歩で到達するという期待感もあったし、またグレイシーというのが前田光世から習った柔術を独自発展させたなどの由来をとりあえず持っていることから、ある意味では「日本格闘技史の帰還」とも見えなくもなく、時代の巨大な転回点には違いなかったが少なくとも「日本格闘技史の断絶」に当たるほどのショックはなかったと思われる。
 今は場合によってはその時よりはるかに危険な事態であると思うのだが、現実的にはそうした危機感が今のメディアから感じにくいように思う。メディアの煽る危機感と言う意味でグレイシー時代と現在とでどちらが強かったのかは、できれば当時を知りながら格闘技ファンを継続している方にぜひコメント欄に書き残していってほしいと思うのだが、そもそも今危機というものが目前に迫っているにもかかわらず、心の奥から「危機感」というものが感じづらいことが問題と思われ、「日本格闘技史観」の断絶、という事態は今後の「MMA」というジャンル自体の認識というものが本来フレキシブルに展開を織り込めるジャンルであったのに非常に一律なものになってしまうという危惧がある。(競技化、というのは一律化の最も端的な例ではあるが、ここではアメリカに断ち切られる日本史をテーマにしておりますです。)

 その一律化を強く感じさせるのが、もう今の「MMA」の歴史認識の基本形が、アメリカのUFCがシーンを牽引することによるアメリカンフットボールやバスケットボール、またはアイスホッケーのような「アメリカンスポーツ」と化してきている事であり、現在の情勢が続く限り将来的には「日本人がMMAをやっている」ということが「日本人がアメフトやっている」などと同じようなものになり、その底にあるのは「アメリカが作り上げたスポーツをなんでか日本人がやっている」という感情だ。
 「リング」派がケージを否定したい感情はおそらくそれだろう。MMA史というものは決して単純なアメリカンスポーツでしかないという歴史だけで構成されたものではなく、「最強」を求める幻想や想像力、そして様々な格闘技の代表的な人間がそれこそプライドを賭けて闘う場としてのMMAというものを編んできた日本格闘技史というものが大きく関与していたものであり、アメリカ側に歴史を構成されるという事態に違和感を持っているのだと思う。
 そういう意味では「PRIDE」が単に潰れたわけではなく、UFCに一切のコンテンツを売り渡した、という事態が「歴史編纂」という意味で地味に効いてくる。ミルコやノゲイラをはじめ旧PRIDE勢のUFCのビッグマッチの煽りにて、今だかつての「リングMMA」時代のPRIDEの映像が使用されているのを見て、20世紀までの日本格闘技史の総決算とも大げさにいえば受け取れたPRIDEの、「アメリカのMMA史」に組み込まれた光景は、記憶の断絶を示すとともに歴史編纂というものの違和感が形になっているようだった。
 ある意味ではこうしたPRIDE史を獲得したことによって、「UFCが日本に上陸していくこと」が本格化していくことに伴う本格的なアメリカ化の根拠ともなったともいえ、アジア市場の展開においてファイターのタレントのレベルとして知名度・実力あわせて起点になるだろう秋山成勲選手を第一に日本市場を契機としていくのだろうが、そうなってくるといよいよ「米軍基地」のアナロジーがシャレにならなくなってくる。日本を拠点としてアジア圏内にアメリカの軍事力を配備するという構図の相似形を描きはじめつつあるともいえるからだ。
 さらに話を広げて行けば、では便宜上日本の軍備である「自衛隊」はどの団体が当たるのかを考えるとプロを憎んで純競技化を完成させるという矛盾を孕んだ「修斗」がそれに当たるようにさえ思え、そうすると「憲法9条」すらもこうした国内の矛盾を探る中で見出せそうだ。

 日本自体が代案もなく凋落を始めつつある現在、旧来のシステムが機能しなくなりつつあることの代案としてなし崩しのようにアメリカ化が受け入れられてしまっているという事態が各所にて見受けられ、自分の地元に次々と出現するショッピングモールだとか、裁判員制度などはそういう風に映る。「ケージ・リング問題」に映るアメリカ化の不快・違和感は、「アメリカのシステムを選択した」という結果が問題ではなく、旧日本システムが敗退することによってなし崩し的にそれを選択した、というスタンスが少なくとも自分にとっては元となっている。
 自分は国内MMAの舞台がケージになっても一向にかまわないし、団体側に戦略があるのならこんな話題になる前にとっくにケージにするべきだったとさえ思っている。歴史ある国が国際規範の近代化を選択するのにひとつの勇気はいるだろうが、こうして時期を逸したおかげで「なし崩し的にアメリカにせざるを得ない」ようにしか見えない事態となり、「日本格闘技史を継承しながら国際化を達成する」意味のケージではなく「アメリカ化をしかたなく受け入れてしまったことによる属国化」という意味が強まってしまった。MMAをはっきりスポーツとして捉えているGCM代表久保氏が主催する「CAGE FORCE」は前者のスタンスによって立ち上げられているように見え、DREAMはじめ国内メジャーの陰鬱さは後者のスタンスが起因しているように思う。少なくとも、「日本格闘技史」というタームからMMAを評価しているのは、やはりニック・ディアスのような修斗でも闘い、PRIDEを見てきて、出場もした外国人選手だということが、様々なことを示唆している。なし崩しでなあなあのスタンスを隠ぺいするように「ガラパゴス」とか抜かす胸糞悪さで血管がブチ切れそうになるほどだが、格闘技においての「米軍基地」の問題は、秋山選手が重要人物となるだろうが、どうなるだろうか。
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Comments

こんにちわ。初コメです。

今エントリーをまるっと読ませていただきましたが、なるほどなぁと思います。

そこから思い浮かんだことですが、
日本でもアメリカでもMMA(ヴァーリトゥード)黎明期は「フリーファイト最強は誰だ(何だ)」という誰にでも分かりやすいテーマ設定があり、階級も無差別級しかなく、実にシンプルでしたね。
そして、そのことにみんな興味があった。

今は「最強は誰か」にあまり興味を示さない時代ですよね。つまり、個体として強い人間も、結局は札束で頬を叩かれたらかなわない資本主義全盛期ですから。MMAもPRIDEが外国人に札束でぶんなぐられて死んじゃって、ああ最強とは金を持っている者なんだ……。みたいな空気感があるような(笑

現実的に体一つでのし上がれるような時代じゃないんで、「フリーファイト最強」の相対的価値が下がったのが今の日本MMAの裏の衰退理由じゃないでしょうか。殴り合いの喧嘩なんて小学生ですら、誰もしなくなりましたし。

なんて思いました。
Re: タイトルなし
> 今は「最強は誰か」にあまり興味を示さない時代ですよね。つまり、個体として強い人間も、結局は札束で頬を叩かれたらかなわない資本主義全盛期ですから。MMAもPRIDEが外国人に札束でぶんなぐられて死んじゃって、ああ最強とは金を持っている者なんだ……。みたいな空気感があるような(笑

やっぱPRIDE崩壊が「最強は誰か」を示す、競技ではなく見立ての時代、誤解あるかもしれませんが「全ガチのプロレス」の時代(これはPRIDEのみならず、同時期のK-1も自分はそうだと思っております。つまりゼロ年代の格闘技バブルというものそのものが結局のとこそうだったと見ております。)の終わりで、K-1・MMA共に日本人軽量級がクローズアップされる実質的な新興競技の整備が始まる時代が現在と認識しております。場合によっては、K-163Kg級が、過去のミルコの時代を破壊する。自分はそれくらいの思いでK-1ライト級に期待しています。

> 現実的に体一つでのし上がれるような時代じゃないんで、「フリーファイト最強」の相対的価値が下がったのが今の日本MMAの裏の衰退理由じゃないでしょうか。殴り合いの喧嘩なんて小学生ですら、誰もしなくなりましたし。

先の状況に伴い「幻想の現実化としてのプロ格闘技」という夢から「数値的・科学的精微さを重視した競技格闘技」という現実性へとシフトすることに伴い、「格闘技最強」や「世界最高」の志向が失われたのだと見ております。PRIDE体制というのは「このルール競技を標榜するには粗すぎないかな?」とか「プロテクトはどうなんだろ?」など、競技化に流れて行くとしたらそうした疑問が不可避になる中で、疑問が現れはじめる直前で見事に崩壊したように見える。

> 今エントリーをまるっと

自分は「トリック」仲間由紀恵さんより「ケイゾク」中谷美紀さん派であります。さらに関係ないが語尾に「~であります」を付けるキャラが出てくるゲームに萌え狂っているであります。

あとワールドカップでアップセット起こりまくるのが凄まじいでありますです。南アがフランスを破り、スロバキアがイタリアを破るとは・・・
こんばんは!ブログ解説おめでとうございます!

ケージを取り入れ始めた「DREAM」。これかつて、プロレス界が総合格闘技を取り入れようとした過去とダブるんですよね。今、支持されているっぽい物を導入してみたって感じなのかな。もう少しリングにこだわってもいいかなと感じたんですが、ケージを導入した以上は中途半端な形では終わって欲しくないですね。いずれはリングに戻すのもアリかなと思ってますが、それはDREAM勢がケージで結果をだしてからにして欲しいところです。

それでは、今後もよろしくお願いいたします!
Re: タイトルなし
うおーありがとうございます!「開設」が「解説」になってますけどいいよいいよナーイスコメント!
H・Tさん、リンクサンキューな!

と、ちょっとモノマネしつつコメントしてみましたが、近々中邑真輔選手あたりを題材にしてプロレスネタも織り込んでみたいと考えております。
ケージ問題はボタンの掛け違いを払拭させていってほしいですね!

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EAbase887

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ビデオゲームというフィルターから俯瞰する、現代エンターテインメント総合批評
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