オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


ウラジミールとビタリ・「世界最強」の価値の現在と、新興格闘技たちの近未来・2

Category: P・M・BOXING   Tags: ボクシング  ヘビー級の存在意義  
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「クリチコ弟VSヘイはヘビー級最後のビッグマッチになるのか!?」「アメリカのヘビー級」の主役たち 栄光の日々はもう戻らないのか」(ボクシング・ビート誌2011年7月号より)

 何か書き足りてない感じがあったので前回の続きになる。とりあえず競技的歴史とチャンピオンシップの権威も強いだろうボクシングのヘビー級による「世界最強」の現在がこうである中で、K-1・MMAなど新興格闘技側が近未来的にボクシングに近づいてくる場合に、その光景は?そして、全世界的に「プロ格闘技が競技性を遥かに増した」した世界におけるヘビー級の存在意義とは?そして、新興格闘技が現状のボクシングにカウンターを打っていると思われる点とは?の、第2のエントリ。


「The Beatles  Fool On The Hill」


 今更クリチコVSヘイの前に特集を行ったボクシング・ビートの7月号を立ち読みしていていたら、冒頭にあるように「これが最後のヘビーのビックマッチになるのか」といった記事が載っており、この雑誌がボクシング的に急進・保守・中道のどの位置を占めているのかはあまり分かってはいないながらも(WBAのベルトの価値の下落を糾弾する文章も記載されていたので、プロレスにおける週刊ゴングあたりの位置かと思われる)、この前の香川照之氏の解説がこの雑誌の論旨にかなり寄っていたこともあり、あるサイドからボクシングを見続けている方にはこの3団体統一戦ということにまつわる「世界最強」の証明以上に、「世界最強」という闘いの緊張や興奮がクリチコ兄弟が支配する現状にて鎮火していることへの憂いのほうが強く出ている。

 記事は、アリやフォアマンが活躍していたかつてのアメリカのヘビー級の黒人選手たちが「世界最強」の座を競い合っていた頃の回顧へと続く。日本人ボクシングファン見てきたと思われる、栄光のヘビー級の歴史を示す写真群には、「かつて、被差別の扱いを受けていた黒人ができるスポーツということでボクシングに人材が流れ込んでいたが、時代は変わり、黒人の社会的地位も解放されていくにつれ、NBAなどをはじめ選択肢やスターになれる場、身体的に恵まれている黒人青年がボクシングに流れ込んでいくことは少なくなった。今やアリやフォアマンらが見せた黒人によるイノベーションを見せているのは、マイケル・ジョーダンであり、バラク・オバマだ」といった論旨の文章が添えられていた。




 少なくともここ日本におけるあらゆるプロ格闘技の歴史観に意識的に・無意識的に立脚した視点から、現在の世界のプロ格闘技の近未来というのを想像すると、「ヘビー級、ないし人類の最強を披露する無差別級」というのは、こうして協会や連盟を設定し、各選手のランクを厳密に設定していくような社会的なレベルでの認知を得るようなレベルと別として、単純に試合の競技能力が加速していき、特に選手層の厚い中・軽量級などにその速度が移っているかに見える現状の中で、逆説的な形で「格闘技とは、見せ物である」という一つの出自を思い知らされる階級となっている。

 というのも、前回も思ったようにこのクリチコ兄弟が世界一であることに関してのカタルシスの質は、かなりのところセーム・シュルトを見ているときの質に近く、ボクシングという、チャンピオンシップを重んじたジャンルの歴史と構造によるフォルムのおかげでかなりのところ保たれているように見え、現地ドイツでのプロモーションがこうして強く力を入れてるのを見てもそう思うし、欧州の世界最強の兄弟というのはそれだけで確かに現地でのスターとして成り立っているには違いない。だが、ヘビーがこうして恵まれた体格を生かして勝ちに徹した場合のこの気の抜けたサイダーを飲んでいるかのような感じは、もう心理分析にも掛けてみたくなるくらいに不思議なんだが、とりあえず自分にはプロ格闘技というものの競技性というものが急速に回転し始めた場合の、見せ物としての部分、それは「世界最強」「人類最強」みたいなフックとなる、ドラマになりうる部分が欠落していくことの味気なさ、というの噛みしめる。

 これは何だかんだで何らかのスペクタクルが期待されている「プロ」格闘技だからこそのヘビーおよび無差別級の競技力の加速化・選手層の薄化の問題のように思え、最初から競技としてのみの存在である「アマ」、そしてその頂点のオリンピック、などのほうがあるいはヘビーによる世界最強というものの印象を保持できているのかもしれねえなあ、なんで脱線して思いすらしてしまう。国際的に認定された格闘競技で、実績と結果そのもので評価されるわけだから(※2)。

(※ 前々から思っているが試合内容それ自体のKO・一本を代表とした面白い・つまらないの問題はかなりの奇跡的な内容にならない限り、マニアの問題であって、一般人を引きつけるフックとしては別と言えば別でもあると思う。スターとして成立させるためのフックが問題だ。「クリチコの試合はあんなつまらないのに日本で人気が出るわけない」みたいな批判は5%だけ同意だ)

(※2 ここで石井慧の問題なんかも書きながら思いだしたりするが、ここにも「世界最強」の虚構のズレの例があるよなと思う)



 こうして世界のプロ格闘技が「競技化」という側面で、ある種ボクシング的な光景に近未来的に収束していくのだとすると、奇妙な形でヘビーおよび無差別級というのが、「世界最強」ということの神秘性・緊張感・権威を越えて見せ物としてのフックである側面というのが、味気無くなるかサーカスになるか?という風になっていき、ボクシング史をザックリ振り返っていても意外にその見せ物としてのフックのでかいヘビーこそが不人気な階級になっていく。という風に今後のなっていく可能性はあるなと思った。


 そうしたボクシング―MMA―キックなどなどの相関関係の中で、実のところ、ボクシングのヘビーに望んでいたものが時代の中でこぼれ落ちてしまったものが、ある部分より隔世遺伝したのではないか?とすらこうしてクリチコVSヘイの現状から2011年代の格闘技をふと振り返ってみた時に、顔をのぞかせたのがあのUFCライトヘビー級の王者の、ジョン・ジョーンズだったりする。

 これはその現代MMAの基礎技術を踏まえた上での革新的な動きに合わせ、完全に圧倒してしまうファイトを目の当たりにして、自分は直感的にマイク・タイソンが出てきた時、モハメド・アリが名を上げてきた瞬間というのはこれと一体どれだけ近いのか、とさえ思ってしまうほどで、ここにかつてアメリカ黒人ヘビー級が見せていた凄まじさが形を変えて運ばれてきたとしか思えず、その意味でUFC自体もまた味気なさかサーカスか。みたいな壁に当のヘビー級自体が陥ってるにせよ、現在のボクシングに対しての一つのカウンターとしてのMMAの光景をこうして創出させたことは大きい。
 UFCのライトヘビー級こそ、競技性・タレント性・そしてある程度の見せ物性まで含んだ、かつてまでのボクシングの「世界最強」のコピーが持っていた緊張感を再生させるに至っているように思う。もし何らかの形でボクシングファン・キックファンが本エントリを閲覧されているのならば、一見することをお勧めしたい総合格闘技の選手だ。
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テーマ : 格闘技    ジャンル : スポーツ

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