オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


K-1と「FIKA」・サッカーと「FIFA」/「世界」の規範とはなにか?

Category: 欧州構造体系   Tags: K-1  欧州  キシェンコ  サワー    世界ケンカ旅  
大道
 リンクさせて頂いているかかとおとしさんのツイートの、「今の格闘技ファンは「世界最高」を求めるロマンを忘れて、キャラクターや口喧嘩ばかり気をとられている。つまり、ワイドショー的な低いほうへと流れている気がする。MMAに関してはもう日本で世界を求めるのは不可能になったけれど、K-1はそうなってはいけないんじゃないか」という危惧を読んで、そもそもの誰もが簡単に使う「世界」とは何なのだろう、という、誰もが今更定義しなおさないだろう事について考えてみる。特に日本の格闘技においては国際的に統一された規範や組織を持つスポーツと異なり、それがかなり入り組んでいると思うからだ。    

 これを読まれている皆様は、石井館長のブチ上げた「FIKA」構想についてどう思われているだろうか?そのあからさまな、元々の「K-1」という名前自体が「F-1」を元にした時のような、世界同時不況下であってさえもダメージが薄かったというほどの資金力とそれを維持する体制に加え、オリンピックをも上回るとも言われる世界最大のスポーツ連盟であるサッカーのFIFAをもじったゴロの悪さに対して失笑しているだろうか?
 「フィカ」と口に出した瞬間に感じる一種の脱力は、かつて始まった初期の「K-1」を口に出して読み上げた時に「けいわん」という近頃流行っているらしい、ネット環境に触れてるかぎり嫌でも知ってしまうアニメのタイトルに酷似する脱力と同じようなものだろうか?K-1の初期にも、「けいわんって・・・」という脱力があったのかどうかは、その単語とイベントが携帯の予測変換ですぐに変換できるほど浸透した現在からでは不明だ。

ジャケットリミックス
  
  格闘技においての「世界」という言葉がどのレベルから判断された言葉なのか?という謎は、「FIKA」を口に出して「フィカ」と読み上げた瞬間に自分の周りの空気が粘液のようになったかのような脱力感と呼応している。今や格闘技バブル崩壊後の「MMA」がUFCをヒエラルキーの頂点の舞台と設定されることによって「格闘技の米国」を達成する一方で、「格闘技の欧州」の代表的イベントとしての「K-1」は、「立ち技の世界最強を決める」という、「世界ケンカ旅」を行ったらしい「地上最強のカラテ」を標榜した大山倍達氏をドグマとした「異種格闘技戦」という日本格闘技史の基調がある中、去年の魔裟斗不在のK-1MAXの「サワーVSキシェンコ」や「ペトロシアンVSサワー」に見られたような、「K-1」という圏内においてその技術を極限まで高めたことによる、まるでクラシック・バレエであるかのような構築された技術の完成系、つまりバイオレンスではなくアートやクラシックの領域にまで踏み込んだかのような「欧州の格闘技」という、「世界」を規定していく構造を形作っていくという歴史を編んできた欧州圏の記憶が伝線したかのように映ったのだが、問題は一切の権威もなにも関係のない視聴率第一のTBS地上波プライムタイムにはそぐわない退屈さだった。 
 「FIKA」が本当に口に出して読み上げて失笑する感情が起こらないほどの国際的にイベントを統括する機構を持ち、「K-1」が本当に競技的インフラが完全に整備され新聞やニュースに試合結果が載っても問題ない未来が仮に来たのなら、「サワーVSキシェンコ」などは欧州サッカートップクラブチームの決勝ほどの価値を持つだろう。またサッカーの「FIFA」の存在しない未来が仮にあったとし、今「ポルトガルVSブラジル」を見ながら本エントリを打ち込んでいるのだが、この試合も興行を優先させたコミッション不在のショーの圏内なら「退屈」の一語で一蹴されるかもしれない。
  現実には「FIKA」は失笑されるほど、ほんの少しの具体性さえ全く見せる気配はなく、TV地上波プライムタイム的には「サワーVSキシェンコ」は使えない試合と思われ、世界最大のスポーツ国際連盟「FIFA」下の「ポルトガルVSブラジル」は、その技術による膠着すらも具体的な「世界最高」の権威と機構の元に観客たちに咀嚼されているように見えている。

  つまるところ、「世界最高」の根拠は歴史の中でほぼはじめて「国際的」な「世界」を構成した欧州圏による、具体的な機構・連盟を組織することによる一種の権威の創設が元となっており、「FIFA」というのはスポーツという形でデフォルメされた欧州圏による「国際」の権威のようにさえ見え、また逆に「スポーツ」を「世界最高」と納得させる基盤にはほぼ必ず確かな連盟や機構による、監査や歴史の保持が見られ、それらが「スポーツ」の根拠となっていると思う。
  問題はここからで、国際的な連盟・統括機構による裏付けもない「K-1」は純粋な「スポーツ」というには穴がありすぎ、単純な公式のランキングすらも設定していないくらい(ぜひ「K-1 ランキング」で検索を行ってもらいたい。少なくともOCN検索だと壮絶な結果が1番上にに現れる)で具体的な「世界最高」を掲げるには難しいと思われるのだが、先の、とりあえずの欧州圏内のK-1のトーナメントを勝ち残ってきた選手たちが日本にてトップを決めるという構図を作りあげていることから「世界最高」の根拠があるかに見える。しかしそれも悪く言ってしまえば具体的な「世界最高」ではなく、やはりかつてのプロレスや、PRIDEに近い幻想の「世界最高」側なのだが、そう思わせず「欧州スポーツ並みの権威ある世界最高」と思わせるフェイクであり、それこそが創設者である石井館長の仕掛けの真骨頂であると思う。そしてそれが、MMAとK-1ファンの傾向を暫定的に振り返った場合に、K-1側の方が「世界最高のスポーツの格闘技である」ということを表明しがちな理由だと思う。

 いま、K-1の「世界最高」の説得力というのは「バレて」いないのだろうか?「無差別級世界最高」から、さらに厳密化した階級も整備されつつあるほど、競技性の根拠が求められつつある流れの中で「世界最高」を標榜するには難しい中、やはり石井館長の「FIKA」構想は正しいとは思う。やはりフェイクの圏内でしかない「世界最高」を根拠ある「世界最高」にしていこうとする試みだからだ。
  そんな中でのK-1ライト級は自分は非常に期待している。パッと見常人に近い人間による選手たちの階級で、しかも日本人が主体ということで「超人性」やフックとしての「世界最高」の気配が大変薄いソフトと見られているが、自分はまったく逆で、プロ格闘技の下層ヒエラルキーに属するキック選手の層というものが、これからの「K-1」が純競技を標榜する上での「アマの上がりとしてのプロ」という、格闘技バブル時に完全に抑圧されていた「日本人がスターとなっていく土壌とシステムの問題」を解決する仮説として見ていて、またFEG側もかなり競技的な根拠を元にしていこうとしているように思う。ある意味ではここから本当の競技的な根拠のある「世界最高」を形成する契機としていると思われ、谷川氏がライトの選手たちにかけたという「君たちに今後10年のK-1がかかっている」という言葉は、別にライトに限らず日本人選手みんなに言ってるのかもしれないがオレはマジに捉えている。

 国際的に説得力ある具体的な組織・機構を元に歴史を総括することによって発生する「権威」によって欧州圏は国際的な「世界」の概念を形成する一方で、何から何までまるでそのカウンターのような形で、そうした欧州圏による具体的な組織・機構を元に歴史を総括することによって発生する「権威」を生むシステムを換骨奪胎し、自らを「世界」とする帝国たる米国の側についての言及も必要だろうがそれはまた今度ということにしておくが、少なくとも「K-1」には目立ったアメリカ人は少なく、出場する人間もMMAと兼業していたりする。メジャーリーグという自国が標榜する資本の世界市場を持ち、国際ベースボール連盟に一切加盟しないという、「欧州圏の組織する世界」に対してアメリカは黙殺するかのようなスタンスを取る。「欧州の規定する国際性の裏付けのある「世界」の規範」と、「米国のなにもかもを興行として資本を集中させることによって形成される「世界」の規範」という二極(やっぱやや短絡的な見方であるが)がこれからも世界を牽引していくだろうが、「格闘技」というのは歴史を振り返ってみるとそうした二極に対して日本がものすごく特殊な形でアプローチした希少なものとも思う。「世界最高」の解釈の入り組み方の中にそういう特殊性を打ち込みながら感じた次第だ。
スポンサーサイト

Comments

はじめまして。
63Kg級は競技性というよりかは、初期MAXの時のようなマサト特需の2番煎じのように私は感じるんですよね。
もし競技性の方向に完全シフトするのであるならば、2008年に「疑惑の優勝」を果たしたマサトを無理矢理持ち上げようとはせず、ペトロシアンやサワー、ブアカーオのような選手をもっと重宝していたと思います。実際に今の現状を見てみますと、公式の煽りでは選手や関係者の口からやたらにマサトの過去の実績、栄光ばかりが強調されて、他の歴代王者達はその存在すらも無かったかのような扱いを受けています。
完全競技の方向性で行くよりかは、ある程度エンタメの方向を残していったほうが主催者としても色々といじくりやすい。MAXの外人選手大好きなコアファンの声を封じ込め、プロレス的な煽りで盛り上げた「マサトVS川尻戦」が大成功を納めてしまった以上、63Kg級がすでに少数派となってしまったコアファン層をないがしろにする興行になることは間違いないでしょう。私としては悲しいですが。
[色:00FF00]>銀玉さん

 たしかに63Kgという設定の時点で、すでに主催者側の興行を打つ都合が優先されている気配があるし、結局競技性を表向き吹聴しているだけで、実質的には低予算での第2の魔裟斗興行を生み出すためのフェイクであるトートロジーでしかない、という辛辣な見方も納得だし、自分もなんで>ペトロシアンやサワー、ブアカーオのような選手をもっと重宝していかんかなあ、CMにだせるくらい売り出していけよ!フグやバンナにするんだよ!と思っておりました。
 
 とはいえ、>公式の煽りでは選手や関係者の口からやたらにマサトの過去の実績、栄光ばかりが強調されて、他の歴代王者達はその存在すらも無かったかのような扱いを受けています。というのは銀玉さんは「連中はマサトシステムでプロテクトしまくった添加物競技世界を望んでいるのか?」と解釈されているのでしょうが、自分は「ジャンルを背負い、物語をある程度創設した魔裟斗」個人は支持しており、無論、プロテクトへの違和感がやり玉に挙がるが、誰よりもそれに対抗しようとしたのも他でもない本人だと見ております。やはり格闘技バブル時代の最高傑作の一人ではありますが、高い人気を持つと同時に本質的な競技面を代表とした問題は未解決でもある、という姿を引退試合にて「バラし」たように映りました。

 

Leave a Comment

プロフィール

EAbase887(葛西 祝)

Author:EAbase887(葛西 祝)
mail: kyukakukaizoudo@gmail.com

人気ブログランキングへ

ビデオゲームというフィルターから俯瞰する、現代エンターテインメント総合批評
「GAME・SCOPE・SIZE」もやっております。ゲームの他に映画・アニメ・小説なども取り扱っており、興味があればこちらにも。

人気ブログランキングへ


ひっそりとド偏見アニメネタレビュー「14ー21歳のセックスか戦争を知ったガキのモード」「もスタートしましたので、妙に少なくない格闘技ファンとアニメファン兼用の方はこちらもよろしくお願いします。

TweetCasting

ツイキャス・LIVE放送中はこちらからでも視聴できます



 
検索フォーム
 
 
 
 
 
 
ブロとも申請フォーム
 
 
QRコード
QR