オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


9・25同時多発格闘技興行曼荼羅

Category: 「見立て」の格闘観戦記録   Tags: 五味隆典に泣く  アントキの猪木が怖い  時空から切り離されたK-1  この退屈な国にはもうお金がないわ  
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その番組はしょっきりなのかと思ったよりも苦い印象で、
その大会は日に日に進化する瞬間を盤石に見せ続け、
その興行は動画の中に生き伸びドラマを静脈に注入し、
そのトーナメントは立ち技の未来図を問われなおす
<<9月25日・UFC・ガチ相撲トーナメント・K-1MAX・ショウタイム無差別興行観戦記録>>







 ガチ相撲ニアイコールハッスルという目で見てると、こーいう出し物の場合はまず運営とか作り手の側の方が出場する選手よりもはるかに愛情とか批評とか理解とか強く出がちで、番組開始早々に「昨今の地上波放映の無い日本メジャー格闘技界の現状」を説明した後に「キッズ・リターン」のBGMと共に「オレ達終わっちゃったのかな」「バカ野郎、まだはじまってもいねえよ」という映画のラストシーンのパロディとともに始まるあたり、ほんっとシリアスに格闘技番組を作るリスクを背負わない、趣味の範囲を保っていられるだけに作り手サイドの愛や理解の大きさの面は安心させられる。格闘技界隈にフォローする範囲も非常に広く、相撲芸人あかつを通しつつ地下格闘技の存在を取り上げてるところから柳龍拳のカルト武道まで網羅しているくらいなのも、ホントに無償の愛というか。

 だが、格闘家サイドにおいてのこの番組傘下の意味は、プロレスラーにとってのハッスル出場、にある意味で符号があるように思うのであった。


 五味選手は血色が良いように見える。ネイトとは連敗同士との試合だから後がないゆえの気迫のある勝負になるという解説が入る。

 試合が始まった瞬間から、五味選手の18番のパーリングから一気に一発を狙うスタイルは、みるみる内に戦法を読まれ、距離を作られ、ケージに追い詰められ、完全に長いリーチからのジャブ・それからのワンツーというを恐ろしいまでの基礎技術によって立ち技でも制圧され、明らかに逃げるかのようなタックルからネイトにサブミッションを決められる一連の流れは、びっくりするぐらい悲しく、動く内容は面白く、UFCではもうほとんど見られなくなった防御技術に比重が置かれていない、大穴一発賭けの試合だった。



アントキの猪木の肉体がマジに全盛期猪木の体型にまでモノマネしていて、番組に出席してる水道橋博士の「猪木はカッコウの鳥」のコラムを思い出して、笑うというか怖くなる。ブルース・リーの記事書くときに色々ネットなどでも調べ物したんだが、そこでもリーに肉体から精神まで同化しようとしているとしか見えないジークンドー・アーティストをうようよ見かけたのだが、その怖さに近い。パロディを越えて本当に怖い領域に入っている(笑)


 ニコニコ動画の中のK-1MAXはオープニング・ファイトの劇的な逆転勝利によって幕が上がる。わりとコメント欄も今のところハピネスな感じになってるのは前回がひどかったせいだとか元々の興行的フックが弱いせいか、単に動画運営サイドが汚いヤジに当たるコメントを省いているせいなのか?

 パチンコのフィールズから打って変わって、新日本プロレスのスポンサーなど昨今はプロレス格闘技サイドにからむのがカードの会社だったりギャルゲーの会社だったりのウェブ線上のオタ寄りの変化の意味するものとは。(と書きながら考える気は無し)



 クリス・ナギンビとディレッキーの試合、基本キックの距離で普通攻撃の取捨選択しながら距離を制しつつ闘いそうなところを一発賭けみたいな突っ込んだパンチや飛び膝放つけど、ガードされたりヒットしなかったらクリンチみたいなグダグダなシーンが続く。もったいねえなと思う。

 ペトロシアン代役のロスマレンはそういう意味ではパンチ主体でかなり的確に打ってんなあという印象がある。



 マーク・ハントこそガチ相撲に出れば嵌まるのに。みたいにかなりバカにした見方になってるけど、意外なくらいMMAの練習しているようなのが不思議だ。とか思ってたらなんと十字に行ったりの光景も不思議。途中からCGのように感じた。


 それにしても、K-1MAXにて日本の70キロ級で屈指の制するキックスタイルである佐藤選手が清野アナウンサーと共にまどか☆マギカネタとかいじりつつ、ニコニコ動画の冥府魔道のネット層にかなり適応した解説をしている一方で、


    キックの距離にボクシングスタイルで闘う魔裟斗がショウタイムの解説をやっているってのも不思議な話ではあるよな。とも感じる。


名城が試合の終わりにハイキックでクラウスからダウンを取った。判定勝利が告げられた。名城は佐藤嘉洋戦でもかなりアウトボクシングから一気に詰めて撃ちにいくというシーンが印象深かったが、そのスタイルが上手く嵌まったのか。
 
 単純な実績や技術から言って、現代立ち技の前線から比較して完成度に関して難がある選手らが意地や根性によるドラマを発現させる試合が続く。特に健太など、名城と同じく踏みこんでの打撃を得意にしていると思われるスタイルの選手が、野杁や久保ほどには距離を制していくキックスタイルを完成させていない城戸や森田、そして優弥などを破れていることなどもドラマ発現に加担してると思う。

 この理屈に流れてはあれだがK-1ライト級の方がMAXでは平均して高い技術があるだろうし、それゆえの膠着や拮抗によってドラマの発生を抑えてしまう(どんだけ抑えようが当ブログは探り出すが)可能性が上昇してしまうということに対して、ドラマの発現は欠陥の多い選手らの方が起きやすい。というのは良くある話だ。





 マッスル坂井がグレート・サスケにインタビューした本「グレートサスケの飛ぶ教室」に、ハッスルに出場したレスラー側の解釈「高田さんはじめ、川田さんやTAJIRIさんも引き際というものを上手く作れなかった人がハッスルに集まってきていた」(※記憶から書き出してるので間違ってたら申し訳ない)という興味深い一節があり、今回のガチ相撲でヤバいなこれは、と感じていたのはまさにそこで、出場している格闘家サイドを冷静になって見直して見ていただけると有難いのだが、田村潔司、シウバ、その代役の菊田早苗、鈴川真一、ミノワマンと昨今の日本格闘技界での歴史的な実績や地位的にも、プロレスと格闘技を越境してきた選手でもある彼らはほぼ全員、近年の戦績を見てもキャリアの終焉に近い選手たちであって、そういう意味でこうした場に来ていることは、先のハッスルに出場した引き際を決め切れなかったレスラーたちの話を思い起こされ、番組がトーナメント本戦に入ってからの微妙な苦さというのは、そういう引き際を問われている現状にある格闘家たちと、そしてメジャー格闘技自体の引き際の決めかねている感じというのが重なるせいなのかもしれない。


 自分はMAXでワンマッチで行われた「サワーVSキシェンコ」を「まるでクラシックバレエのよう」と感じたのだが、もう少し技術的な側面でみるに、これはその当時の立ち技のオーソドックスな展開を突き詰めたことによって生まれた光景からこうした感想を持つに至ったわけで、基本防御は正確なブロックを主体にして、打撃のコンビネーションの終わりにすぐさま攻撃を返し、それを正確に受け止め、同様に返していくという応酬からそう思ったのだった。

 しかし今回のショウタイムのトーナメントで実現した再戦でのキシェンコは、もうブロック⇒返しの応酬ではなく、ボクシングのダッキングやウィーピングなどのかわす動作から攻撃を返していくというスタイルで圧倒しており、どうしてかボクサーのセルジオ・マルティネスやビクター・オルティスを想起させるスタイルにてサワーを圧倒していた。見過ごしているだけかもしれんが、畳みかけていく時にアッパーを打っていく動作も織混ぜているのは
あまり見られなかったような気がする。

 これはサワーが老いた、というよりかはオーソドックスな立ち技の距離での高速での攻防の取捨選択という試合ではなく、ペトロシアン戦・ロクエニ戦とこうした上体を振って攻撃をかわしていく、ボクシング的な攻防相手には待ちを外されているせいではないか?と見え、仮にナギンビ相手だったら即刻サワーは制する闘いで勝利すると思われ、キシェンコの今回のスタイルに、さらにリング全体の場を効果的に使うステップが加わる流れになるのなら、バレエ的な光景のその次の光景になるのだろうか。という仮説を思いつく。

 同時にそれは現行のUFCや、パッキャオ・メイウェザーを中心としたボクシングの光景に隣接する可能性も、と飛躍していくのだが、新興格闘技、というか全ての興行格闘技の洗練が行きつく先の試合の光景は似通っていく、なんてことはあるのだろうか。





 長嶋自演はK-1の問題で試合間が大きく開いたり、プロレスに出ることに体型の変化などがあったことで去年のようなパフォーマンスができなかったにしても、意外に拳月に手こずった、というのは、これは実は相手が通常のキックの距離ではなく、ウィッキーや松本晃市郎(引退が惜しまれる)などの、相手の制空権から外れる距離を取り、隙を見て高速で踏みこんで打ちこむ打撃主体総合格闘家の精度の落ちたバージョンだったようで、今までMMAの距離でキックを翻弄して闘っていた自演が、逆に今そうしたMMAの距離の奴と闘った場合どうするのか。という試合に見えた。自演乙安全パイだろと思いきやコロンブスの卵的にヤバいスタイルの相手で盲点突いたかも、という感じ。

 解説で佐藤選手も言ってたように自演が的確なボクシングまたはキック技術でジャブや前蹴りなどで踏みこませないよう距離を制していく方法を選択すればもっとスムースにカウンター取りに行けたのに、拳月は打撃の精度がもっと高ければアップセットできたのにと両選手ともにもったいない試合だった。



 コスチェックの構えを見ながら、この前のフィリオと闘った石井慧の試合でもああした上体を下げ、後ろ足のほうに重心を寄せるあの構えをやっていたのを思い出しつつ、現代MMAの洗練の中で導き出されただろうあの構えがポピュラーになっているのだろうか。

 ボクシング&レスリングというアメリカの打撃&組み技の国技の混合というのがMMA技術進化史のトピックスとして大きなものに当たると思うが、今はそれをさらに押し広げたものになっていっているというのは大した話でもないが、ヒューズとコスチェック二人の構えを見比べながら感じた差はそこかなとやっぱり大した話でもないんだが。




 アリスターだけが黄昏の格闘家たちの中で唯一全盛期にある選手で、明らかにベシャリの切れ方やエンターテインメントの精神も強さも体格もぶっちぎり。なのに不思議と優勝の結果が前回曙優勝に見えたようなある意味TBS格闘技の贖罪というか(笑)そういうのが見えたのに対して淡泊な印象なのは何故なのか。

 それはやっぱ、製作サイドが意識してのものか偶然か、格闘技マニアに受けると踏んだ人選が結果的に先述した引き際を決め切れなかった格闘家たちとメジャー格闘技という苦さが軸になっており、微妙にバラエティの枠内からずれたせいだよな、なんて思った。これは去年のK-1GPがファンと製作側と選手らが一丸になって、アーツを中心として歴史を共有するみたいな流れになってる時に明らかにアリスターの強さだけ、内向きになる日本格闘技の状況の中で浮いてしまうのに似ていて、唯一全盛期にある現役というのが日本メジャー格闘技という視点で浮く(ハマり切れない、ブレイクし切れない)と言う皮肉。

 決勝のアリスターVS菊田の「はっけよい」の瞬間に室伏のCMが出てきた時に「おーーーーーーーーーい!アリスターとコイツやらせろよーーーーーーーッ(笑)!」とおもった人は少なくないと思うんだけど、第3回ガチ相撲がある場合、格闘技ファン狙いで視聴率を稼ごうという算段の番組なんだろうけど室伏とかプロレスラー小橋とか起用したバラエティ番組らしいしょっきりにしてほしい。下手に日本格闘技界の現状とか歴史とか見越したチョイスにしたら、やっぱりシャレにしているようでシャレになって無いものになってしまった。

 元・紙プロ製作とかこの番組持ち上げてるようだけど、これは格闘家サイドから見た場合の「引き際を決め切れなかったこと」ということにまつわることがテーマにしかなり得ないと思うのだがどうだろうか。

 あと、柳龍拳氏。大晦日に出てほしい。ヘイポー氏と闘うのだ。「ガキの使いの笑ってはいけないシリーズ」で。



 難しい。だがしかし、去年秒殺負けした名城の劇的なアップセットと優勝という結末によって、放送の最後に兄の信男と言葉を交わす映像が差し挟まれた瞬間さすがのオレも感極まってしまったが、去年一年で劇的な活躍をしたはずの自演が何かボロボロな印象になっているのと比較して、感動に飲まれるとともに、これでは安いドラッグ中毒みたいな感動じゃないか。という危うさも感じた。

 それは選手が引っ張った感動がその場その場で消費されて終わってしまってしまうのではないか?という危機感であって、名城がここからどうなるのか分からんがせめて今回生まれたドラマツルギーと、選手の価値を殺さずにいてほしいと選手と運営に願うが、本当のところワンデートーナメントの最大の効用に個人的にしてほしいと願っているのは、その興行自体のその瞬間でのドラマの感動を消費して終わるな、あくまで選手らの価値を上げる契機で未来への通過点にして欲しいということで、安いドラッグ中毒みたいというのもK-1の極めのそのシステムのみでなんとかK-1として成立させている危うさということからの感想だ。

 批判はあったろうがK-1ライト級トーナメントは「電脳ムエタイ」みたいな評価で、感動的な瞬間というものは生まれず退屈なものだった。が、選手の価値的にも、競技能力的にもタイや欧州の高いレベルの選手と渡りあいに行けるということで未来に繋げる可能性という余地が大きく、またK-1甲子園勢が華開いていく場という意味でも、オレは前回のライト級の方に長い目で見て意義があったと感じる。

 今回の久保選手はあれは倒しに行ってほしかったし、評価を下げてしまうのもしょうがないとはいえ、ドラッグみたいに一瞬気持ち良くなって、後に選手がけつまづいたりしたら知らねえよみたいな瞬間的な評価と比べて、ライト級が正式な評価を獲得していくには時間がかかると思った。

 ライト級とミドル級は完全に別のジャンルとなっているし、ミドル級トーナメントは未来というものが不在であるゆえに今回の感動に繋がった、というのが個人的な評価で、もちろんクラウスが3タテして終わりという最悪の結末もあったろうし(その予測される快感と脱力のふり幅も安いドラッグ的ではあるが)、今回の立役者の名城祐司はおおいに称賛されるべきで、ならびに健太と共に、ステップを中心にあるレベルのリスクを背負う、踏みこんで撃ちにいくというスタイルはやはりバダ・ハリ(ちょっとスタイル違うか?)などを見てもスリリングで、距離を制して行きながらポイントアウトでの勝利を根差しがちな選手を撃破するときなど最高だろうし、今回も森田や山本優弥、城戸康裕などキックの距離を作って、倒すより制する闘いを基調にしがちな選手が名城・健太のスタイルに踏みこまれ倒されていく姿というのは痛快だろう。彼らのスタイルこそK-1的であるという評価も可能だ。 

 どうすれば今回の結果によって生成された選手の価値とドラマ、そして競技能力を繋いだものにできるのか?は難しく、今ん所は名城VS自演乙の再戦という安易なものしか思い浮かばなくて申し訳ないが、日本人K-1ミドル級の未来図においてはここから感動のドラッグ切れみたいなのを起こす可能性も強く、MAXの明日無き状態をワンデーの瞬間瞬間の感動(しかもそれが毎回ドラマチックになる確証は無い)でしのぐ中毒患者的な怖い事態は継続中である。




 ありきたりこの上ない言い方になってしまうが、やはりスウェーなどでかわすボクシングの攻防から、距離を制していく試合展開までフレキシブルに展開出来るペトロシアンの不在が目立つか、という感想も残るし、しかしそれほどの完成度の高い選手が不在だったゆえに今回のような、選手の実績や価値で見れば波乱含みの大会であったと見え、興行収入や観客動員など不明だがパッケージとしては成功したのではないか。とやはりありきたりな結論になってしまうけれど。

 とはいえなんとなくキシェンコVSロスマレンは雑な評価だがショウタイムにて実現された海外ボクシング的な対峙(曖昧であるが)で、彼らのスタイルはK-1MAXでの感想同様共にやはりドラマを発生させやすいスタイルではあると思う。




WOWOWの解説でも言及されてたように、ライトヘビー級の王座防衛というのはタレントぞろいである故なのか変動しやすく、早くも23歳にて王者となった若きジョーンズに隙が生まれてもおかしくは無いという意見も見かけ、オレもそれは同意でオッズ以上に苦戦する部分は出てくると思われ、ジョーンズが伝説になるか、リョートかショーグンの領域のままなのか。を判別する試合だったように感じ、ランペイジ戦という決して楽ではない相手に対してクリアできるのか。とかなり緊張して見ていた。

 いきなり待ちを外す奇怪な這いずる姿勢からランペイジに迫るシーンやバック肘みたいなところが目立つが、やっぱ当のジョーンズがかなり緊張しているように見え、結果的に4Rにてチョークで仕留めることが出来たので、まずはスターへの道を断たれることが無くて良かった。

 しかし身体能力の高いジョーンズ、ランペイジ、そして次の挑戦者になるというラシャドなどの黒人ライトヘビーの選手たちの織りなすMMAの王者戦は、むしろもうかつてのボクシングヘビー級が最強であることをアリやフォアマン、タイソンなど黒人選手が証明してきたことを知っている世代のボクシングファンらが見た場合にどう思うのか?香川照之氏が、原功氏が見たジョーンズはどう映るのだろうか?それが気になる。(ゴン格さんなどに企画して見てほしいが)


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