オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


バダ・ハリ、ボクシング転向は「私生児の帰還」か?・K-1とボクシングの暫定的な境界越境史

Category: P・M・BOXING   Tags: 今回超長いのでトイレを済ませておけ  バンナ再評価  K-1  ボクシング  気が付けばガチガチのK-1ファンみたいな記事  クリチコとウスティノフ  
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 バダ・ハリのボクシング転向発表。これは各所で様々なレベルで取沙汰されているが、ここではまずはバダがボクシングでどうなるのか?というその前夜として、あるいはこのトピックスによって南京のK-1の成功する確率が格段に落ちたことによる、K-1のほぼ最後の瞬間の評価として振り返る「K-1ボクシングの暫定的な越境史」を創始者・石井館長からバンナ・ルーファス・スケルトン・ウスティノフ、魔裟斗などを引き合いに出しつつの技術面・歴史面・見立ての三重奏考察。



<<chapter1 1998年のバンナの越境と、K-1が駆け上がるために睨んでいた興行としてのボクシング>>



 石井館長時代のK-1は、「モハメド・アリがフォアマンを破ったことをキンシャサの奇跡と呼ぶようになり、その興行を行った場所の名前が広まった。僕はそれをやりたい」というような発言をしていたり、ラスベガスでの興行を実現に熱心であったりと、90年代K-1は日本での新興プロ格闘技興行としてかなりのところ、和製アメリカ・ボクシングの興行として特筆すべきものだったのではないか?(こう曖昧なのはオレは90年代K-1にしろアメリカボクシングにしろ、映像や動画までしか見ていないのでので確証はないのだけれど)

 中でもボクシングのプロモーターとして名高いドン・キングとバンナのボクシング契約に関して石井館長が競り合ったという逸話などはそうした意味で特筆すべき事実であり、90年代当時の日本での新興格闘技界の状況ではまだ「UWF関連のプロレス団体で開催される筋書き決まってる異種格闘技戦なんかばかりで怪しく、とりあえずガチであるのかそうでないのか」とかそのあたりが争点になり易かったと思うが、ある程度歴史的意義だとか出そろった感のある現在よりK-1を振り返って見た場合にオレが興味深く思うのはそこで、わが日本においてのボクシングは興行として無差別級として凄みのある選手らを揃え、イベントとしてパッケージングした煌めきよりかは、日本人の体格的に通用する階級にてストイックなスポーツとして世界との闘いに勝利することで充足を得る、という風に見え、K-1というのはそういう点で最も成功した興行としての和製アメリカ・ボクシングとも思っている。

 K-1をこうした興行としてのアメリカ・ボクシングを日本にて実現しようとしたものとして振り返ると、各所で「スター」と目された選手は立ち技最大のドグマであるだろうムエタイ、またはそれと対抗しようとする日本キックというよりも、たとえば魔裟斗などを例に挙げて見てもボクシングとの関わりやコンプレックスというものが経歴や発言、そしてファイトスタイルにあたるまで見取ることが出来ると思うし、その意味で自分の評価として和製のオスカー・デラホーヤとして優れた選手だったように見えたように、格闘技興行のプロフェッショナルのモデルとしてK-1は創設者からある種のスター、場合によっちゃWOWOWエキサイトマッチのオープニングCGをモデルにK-1ファイターを当てはめた画像(これがまた、異様なほどハマっている)をトップにしているブログ「K-1心中」様に至るまで、意識的にも無意識的にも興行イベント・K-1にはアメリカのボクシング興行の私生児的な側面であるのを知っていると見ており、K-1ファイターで経歴からそうした関係や構図を見せたのは、K-1の現役でありながらアメリカのボクシングから、さらにはMMA、プロレスと興行格闘技のほとんどの形式に越境したバンナしかいない。 (と思うんだが「いやいるよ」と気付かれたらコメントを・笑)



<<chapter2 バンナの越境前/越境後と、同様の越境者との試合を見つつの、バダのボクシングへの展望>>

<<・ボクシング越境前1997年 バンナVSリック・ルーファス>>




 次は技術的に見た場合にボクシングと越境したことで何が変わったか?のセクションに入るが、完全付け焼刃になるんだが調べている内に上の動画のリック・ルーファス、この選手はあんまK-1の興行の枠内で体格差なんかもあったと思われ戦績は芳しくはないのだが、なんとK-1と並行してボクシングも行っており、本来適正階級なのだろうWBCクルーザー級の王座も獲得しているという実績を持った選手だったので今更ながらびっくりした。(90年代当時のWBCクルーザーが価値的にも選手層的にも技術的にもどれほどなのかはわかってないが)

 ルーファスはバンナの制空権よりかなり離れた位置を保ち、踏みこんですぐに引く打撃や、クロスレンジに入ってもブロックではなくボディワークで攻撃をかわし、バックスピンなどで距離を作り、2Rにてついに踏みこんでのワンツーでバンナを捉えダウンを取る。しかし後が無くなったバンナが前に踏み込むようになることや、ダウンを取ったことでアドバンテージが出来たことなどで若干距離が詰まってきた中での3Rにて、バンナが一気に詰めてのコンビネーションでのローで何とかダウンを取ると、そこから畳みかけることでのTKO勝利となっている。

 この時点でのバンナはオーソドックスなキックスタイルであり、フットワークを上手く使って掴ませないように動くルーファス相手に距離を制する方法を攻めあぐねている印象があり、本当にギリギリの勝利だったと見える。このボクシング越境前の95~97年ごろの戦績は芳しいものではなく当時の前線にいたアーツ・セフォー・ホーストの試合には敗北しているし、勝利するにしてもフルラウンドの判定であったりなどが多々見られる。

 ここで気になるのはやはりボクシングの攻防というのは接触戦を避けるもの、と最近の自分には見えることで、それはK-1の典型的な熱狂や様式美みたいなとこで、セフォーvsハント、先日の優弥VS健太(ユーヤタイケンタとか読んでるとなんかジャニーズのような・いや何でもない)の熱戦やK-1でのブロック&コンビネーションの応酬のサワーVSキシェンコ、蟻田タイ先じゃねえや変換間違えたギタvsサキのバレエ感など、なんにせよ双方の接触戦が興行的にも戦略的にも基調になっているのではないか?と自分には見え、そんな仮説が思いつく。

 バダはボクシングに転向するならば、ところどころで言われる打たれ弱さ、さらに厳密にみたら「顎が上がりがちである」などの防御面での穴が指摘され、ちょっとここ数年の試合をいくつか見たが防御も基本ブロックかステップで離れるなどが多く、これではそうしたガードの隙間を縫って打ってくる能力がK-1の一枚も二枚も洗練されているボクシングではそうした防御能力では、短期決戦を制することはあっても、あるレベルからはフルラウンドを生き延びる可能性は低いのではないか、と乱雑な評価かもしれないが想像され、まずはフットワークやボディワークをボクシング式にアジャストし、接触戦を避ける闘いや攻勢に出た時のあの踏みこみの早さを攻防に織り交ぜるようになったなら、ボクシングでもかなり行けるのではないか、というのは素人考えか。
 
<<ボクシング越境後・1999年 バンナVSスケルトン>>



 越境後は肉体改造による体格の変化に加え、フリッカーの構えを使って、防御するのに軌道読み辛い打撃と言われるフリッカージャブ(スマンここはあんまわかってない)で距離を制しつつ、ボディワーク・フットワークを上手く使い、スケルトンの攻撃をブロッキングではなく、かわしていくことで相手の制空権を潰していくことで、バンナの距離となってきたところでごり押し気味に仕留めた試合。と。見える。

 K-1と並行して、本格的にボクシングに取り組んでからのバンナの戦績というのは、1RにてKO勝利を重ねるというみるみるうちに優れたものへと変貌し、伝説的なフィリオとの一戦でのKOを生み、おそらく数多くのファンが記憶しているだろう最高の時期だったとも思われ、ワンマッチで敵になる相手がほとんどいなかったくらいのようで、逆に言えば当時のK-1の技術的にそうしたボクシング的な踏みこみ・距離・打ち方を制することの出来るレベルがかなり難があったのではないのだろうか?という疑問も湧く。
 それでも2000年のワンマッチでは1RTKOで敗北しているが、99年のトーナメントでこの時期のバンナを仕留めたホーストは半端ねえなとつくづく感じる。

 この時期よりK-1にもマーク・ハントやボブ・サップなどを投入し、PRIDE・総合サイドとも接触していくことによって格闘技バブルの初期段階が生成されつつあり、K-1というパッケージングとしては遠目からみればスポーツ臭いが実際見せ物の興行であるという2極を達成したコンテンツとなっていたことで、日本にて和製のアメリカ・ボクシング興行の煌めきを再現したものが完成されたという風に見える。

 しかしこの時期のハードパンチャーつっても良く見るとサップを挙げるまでもなく、ハントから当のバンナに至るも相手が劣勢になってガードで頭を覆ってコーナーやロープに追い詰められているときに一気に畳みかけていく時、ガードの上から重い強打を思い切り打ちつけてゴリ押しでむりくり打ち倒すみたいなシーンがけっこう見られ、相手の反撃も加味しながら距離を取りつつ、ガードの隙間からアッパーやボディなどを冷静に打ち分けていってフィニッシュするという、上位のボクサーが行ってるスムースな畳みかけってあんま見られないような。(ここはちょっと無理解あるかもなのでできれば「こういう試合もありましたよ」「いや正確にはこういう打ち方で」みたいな反論あると有難い)

 バダもけっこう劣勢でガチガチにガードになってる相手を片手で押えこんで弓引きパンチでごり押しKoみたいなシーンちらほら見かけるし、エキサイトマッチで見られるボクシングの世界戦みたいに相手がそうした劣勢になってもカウンターを警戒して距離を取りつつ、ガードの隙を打っては離れを繰り返しながら的確にKOしていくという鮮やかな攻撃方法になっていくことも必須なのかもしれない。ボクシング世界戦界隈でごり押しKOは見当たらず、K-1で起こるのは実力差だとか3分3Rという短い時間帯の弊害だ、というとナードコア立ち技ファンみたいだけど。

 なんにせよ、バダが綿密なボクシング技術を習得した場合、仮にキック・K-1に戻ったとしてもギタやサキやカラケスなど案外容易に撃破できるのではないか?と浅く想像してしまうんだがこの辺の綿密なアナライズは行っておらず、ここは技術考察なら自分の千倍強い「銀ちゃんの毎日がHappy sweets(笑) days!」様と「キックボクシング・K-1 競技者用wiki」のruslan氏などにバトンを渡したい。渡したぞコノヤロウ!



<<chapter3 不沈艦の名を失ったあとのマット・スケルトン>>
 
K-1から引退したのちに、期間があいた中でボクサーになる、というケース、これはザックリとスケルトンについてウェブ上で調べた範囲ではあるが、K-1での戦績や試合のインパクト、興行での売上や視聴率に貢献するレベルから行って、サップやハントなど次々にタフなヘビー級を連れてきていた当時では干されたのでは?とか、「家族を養うために競技は問わない」などの生活面での理由によって流れ着いた先がボクシングだった。など、当時スター選手一歩手前くらいの位置にいたスケルトンのボクシング転向というのは、ドラマティックというよりかは実質的に数多くのファイターが食べていくことの実情という側面でのもので、新興格闘技興行ではもちろん実力が第一なのが当然にしても、歴史が浅く団体に集まる選手層も厚いわけではないし、勝敗に加えて、華があってエキサイティングな試合を提供できる興行のフックに出来る選手というのが重宝されていくということで、やはり食える選手というのはもっと限られてしまう側面がある。

 この辺はPRIDEなんかもUFCも同じと思うが、現在のUFCは興行の拡大によって選手層や大会数が飛躍的に増加したことにより、基本スター選手がフックになるのは同じだが王座を頂点とする競争力が激しくなることによってかなりのところ実力優先のイベントにスライドしつつある。新興格闘技の中でネクストレベル(菊地成孔さんの言葉パクリ)に入ったことの証左だとも思う。

 

話がスケルトンからずれてきたのでWBAヘビー級タイトルマッチ・ルスラン・チャガエフとの2008年の一戦での動画を置きつつ戻すが、かなりK-1時代は突っ込んでいってる試合が多かったと思う中で、やはりボクシングの基礎技巧を習得し、かなりの勝ちを重ね「白いタイソン」と呼ばれてるらしいこの選手との対戦にまで辿りついているのを見るに、やはり資質と、ここまでに仕立て上げるスケルトンのコーチやトレーナーなどの環境にかなり恵まれていたのだろうか?(情報を集めておらず「K-1からボクシングへの越境」に話を絞っているのであれだが)
 バダは転向した場合練習環境などをどうするのだろうか。間違ってたらごめんなんだがボクシングテクを武器にしたキックスタイルたるオランダスタイルを先鋭化したものがバダ、と思うがジムとかトレーナーとかコーチとかどうなるのだろうか?

<<chapter4 アレクサンダー・ウスティノフの転向とクリチコ兄弟>>

 実のところ、バダの転向を皮切りに今回記事を製作していてざっと転向した人間探っているに、ある意味ではこの選手の意味に関して書くために立ち上げたようなものかもしれない、などとこの選手のボクシングの試合を見て受けた、恐るべき既視感から強く思った。



とりあえずKO勝利を奪っているジュリアス・ロングとの一戦をピックアップしてみたが、直接ここからYOUTUBEに飛んで関連動画に当たる他の試合もいくつか見ればより感じられると思うのだが、これは、クリチコ兄弟のスタイルではないか。

 フリッカースタイルによってボディ&フットワークを主にして、様々な軌道によるジャブによって距離を制し、相手の攻撃をかわし、制空権から離れ、ガードをかく乱してきたところにワンツーを叩きこむという戦法をフルラウンド続けるという、相手を凍りつかせたかのように踏みこませないこのスタイル。

 そもそもウスティノフのK-1の不可解な本戦出場基準に苦しめられたことによってK-1と離れることになり、ボクシングに転向するに至った、というウィキによる大筋の経歴自体が、「クリチコ兄弟の兄ビタリはキックボクシングからキャリアをスタートさせ、高い実績があった時代には既にK-1も設立されていたが、そもそも呼ばれなかったか、こちらのほうがより稼げたからなのかは定かではないがボクシングに転向した。」という経歴を追っているかのようであり、実際クリチコ兄弟のプロモーションに現在所属しているとのことさえ含めて彼らには立ち技とボクシング、世界最強の興行、あるいは権威などの問題において苦い道程が刻み込まれているようなのである。

 ボクシングヘビー級のクリチコ兄弟独占の状況だが、仮に彼らが打倒されたとしてもほぼ同じスタイルを持つウスティノフが控えているのである。ウスティノフは現在全勝という戦績であるという。
 
 前に「競技化された未来的K-1の光景」というギャグで「トーナメント全ての選手がセームシュルトにより全試合判定決着。そうした膠着状況の中で亀田兄弟的キックボクサー一族が劇場的格闘技をおこない暗躍する未来」というしょうもないのを思いついたことがあったが、どうやらボクシングのヘビーではそれがシリアスに展開されているようで、これまでボクシングのみに視点を絞っていての話だったが新興格闘技興行K-1にて敬遠されたという視点も加わることによって、さらに今日のボクシングの「世界最強」の苦みが深まるというか。

 バダvsウスティノフて仮に、バダの能力を数年かけてボクシングにアジャストして実績を重ねたおりに実現したとしてもウスティノフに勝てるのか・・・

<<バダ・ハリ、そしてアメリカボクシング興行の私生児としてのK-1の黄昏>>



 K-1というのは、「立ち技による世界最強を決める異種格闘技戦」とか「様々な個性的な選手が世界から集まってきて繰り広げる格闘技のドラマ、大衆娯楽」とか、いろいろ解釈あると思うけど、今回のバダ・ハリ転向を持って、非常に接触している機会が多々見られるのに、大きく取り上げてるのを今ん所見て無かったように思う、興行と競技としての「ボクシング」との関わりから振り返ってみることをやってみて、自分は創設者・石井館長の発言や実際の興行から「アメリカのボクシング興行の私生児としてのK-1」という見立てによって話を進めて見た。

 そういう意味で、「米国にてデビュー」「ヘビー級のボクシング人気回復が期待される」などのバダの転向発表から伝え聞かれる噂や、もともとのバダの持っているコンテクストとして、移民でありながら出生国であるモロッコの強いアピールなどから、K-1での活躍によって国王陛下から表彰されるなど、自らの出自を強烈に意識していることなども含め、ある意味ではモハメド・アリがアフリカ系アメリカ人の出自を強烈に意識してネーション・オブ・イスラムに加わっていたこと、みたいな故郷喪失者が意識する出自への強い意識といった背景まで含め、世界のボクシングが提供してきた最強を決める興行の私生児としてのK-1が生み出した、最後の正当なスターがこうしてボクシングに行くということ、それはK-1という私生児の帰還なのだと自分は見立てる。

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