オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


タブーであるかのように触れられない視点・「現象」として捉えられて来た日本格闘技

Category: ウェブ線上の批評   Tags: ボクシング  レスリング    歴史や認識は何故ずれたのか?  日本の20年来の格闘技バブルとは?  「私たちがMMAについて知っている二、三の事柄・Ⅱ  
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 ざっくり新興格闘技関連のファンやメディアの言説などを見ているに、意外なほど今回エントリで挙げる物事についての詳細な言及や関連について語られることがないように思え、特に、イベントとしてのK-1(ルールやメソッドは続くだろう)も結末に来ているほどの格闘技バブル以後である現在、そろそろこのあたりの視点を現行格闘技界に絡めたものを見たいと思ういくつかのファクターに関して。




●第一の迂回路 ボクシング

 まずはこれ。ここんところ当ブログが新興格闘技の状況と比較としてかなり持ち出すことの多かったこの競技だ。

 自分の見立てでは新興格闘技がたとえば「競技化」という言葉を代表に一つのジャンルとしてこれから先に行く際にどうしても世界で最も早く成立した興行格闘技といって差し支えないボクシングとの比較が必要になってくると考えるし、特にアメリカ・ラスベガスを聖地とする興行としてのボクシングという部分で、現在のUFCの躍進の背景からK-1が興行のモデルとしていたと思われる、という程度にかなり重要な視点の一つだとか思っているんだけど、これを元にした視点を不思議なくらい見かけにくい。

 ダナ・ホワイトとか日本の格闘技雑誌はインタビューする際は彼にボクシングについても聴いてみればとてつもないくらいのドラマティックな部分も興味深い視点も引き出せる金脈だとか勝手に考えてるんだけど、なんかジャイアン的なやつでえとかそういうキャラ付けで日本に紹介するのはいいにしても、そろそろダナの背景の確信部分にあると思われるそれについて言及してみたらなあと思う。そういうボクシング界との愛憎に関してもちらほらとはインタビューで見えるのだが。

 これはやっぱ日本に置いてのボクシングの在り方と、新興格闘技の発達の歴史が猪木や前田日明、佐山聡といった天才らを元にした新日本プロレス出身者を中心とした非常に独特な歩みかたをしているせいなのかもしれない。

 例えば日本のMMA史のハイライトは「猪木のモハメド・アリとの闘いを代表とする異種格闘技戦。そこからUWF~リングス・パンクラス・PRIDEと流れて行ったことにある」とかいうことが大筋を為していて、旧紙プロのジャン斎藤編集長などはこれを「新日本、UWF、PRIDEと最強列車の乗換の歴史だった」という風に表現している。
 が、自分は格闘技をこうした「最強を追っていくという現象」にセットしてしまっていること、これがもうMMAがどんどんリアルなスポーツというレベルに移行するにつれ明らかに通用しなくなってきてる見方と思われ、それは雑誌メディア側がシーンを作ることの役割(もっと悪く言えば既得権益)が無くなってきたことや「最強」を追うことから新ジャンルの誕生に直結し、それが継続していく上で結局スポーツ化というのは逃れられないことであり、そういう意味で自分は「では世界でほぼはじめにそれを達成した興行格闘技としてのボクシングは?興行格闘技の競技化とは?」という視点からK-1なりMMAなり振り返ってみる形で現代のMMAの位置や意味を見取り直そうとしたわけだけど、格闘技を時代の変動とか現象とかいう意味で捉えている限りは辛いままになるだろうなと思う。

 当のプロレスもMMAも猪木・UWF・PRIDEの現象から完全に分離し、現在のどのプロレス団体も基本、WWEを頂点とするジャンル内を越えることの無い通常の構成になり、格闘技とはほぼ関係は無いものだ。UFCをトップとするMMAの今日の状況というのは「最強」を追っていく現象つってもある時点からスポーツ化や競技化といった視点になることは避けられないと思われ、もう完全一個のスポーツになっている現実がある中で、未だに現象を追うようなスタンス(だからIGFやガチ相撲を支持する)でいたら、もう本当に新興スポーツとして世界的に広まっている現状を見て、自身らもその視点で生きている選手サイドからすればそりゃあ長南亮選手もこう言いたくなるよなと思う。(※)

 もうMMAは日本格闘技内での現象で追い切れる文脈から外れ、ここ日本で再認識するにはまず世界でほぼはじめに興行格闘技として世界的なスポーツになったといっていいボクシングなどを見ながら格闘技の競技化やスポーツ化とはなんなのだろうか?とかそういう視点があったらと思うがどうだろうか。

(※ こう引用して書くと長南選手や青木選手個人の人格を支持してる純粋なファンのようだけど、そうではない。念をおして書くけど現在の格闘技の状況に置いて業界の現象を追っているか、新興のスポーツとして認識し直すべきというスタンスの深い隔たりという意味で象徴的だったので引用した。

 無論青木・長南選手個人の印象というのはツイッターでの発言やら実際の選手としての振舞いやら含めて良い印象を持っているわけではなく、正直新規に客を開拓しないような、ほとんど私信とか下らないことにしか使わないようなツイッターやブログなどの発信なら今すぐ全員SNS辞めろ!とくらい思っているのだが、今回の長南選手のこの発言は数多くの人から「メディアに八つ当たり」という風に捉えられたことから個人への評価がかなり下がったと見えるが、自分はそうではなく今日においてのMMAの認識が、ファンやメディアなどがまったくスポーツしてのコンセンサスを取ることが出来ていない現状を象徴したものとして見えた。)


●第二の迂回路 レスリング
 
 次に、日本の「現象としての格闘技」という歴史を描く土台となった猪木異種格闘技・UWFといった新日本プロレス発のプロレスラーたちのバックグラウンドの問題に関してだ。

 アメリカMMAの基本形を為している、立ち技のボクシングに続いて組み技のレスリング、これがまたビックリするくらいスッポリ抜けている部分になっている。

 日本の格闘技バブルの大筋「猪木のモハメド・アリとの闘いを代表とする異種格闘技戦。そこからUWF~リングス・パンクラス・PRIDEと流れて行ったことにある」というものだけど、プロレスの強さを見せようとした猪木から、プロレスを本当の格闘技にしようとしたUWFの主要人物に至るまで実はアメリカのカレッジ・レスリングのようなアマチュアレスリングの専門的な格闘技術としてのバックグラウンドを持っていないこと、その上で異種格闘技戦や「プロレスを格闘技にする」といった方向に行ったこと、この背景は日本格闘技がスポーツとしての定着に当たらず、2000年代にバブルとして肥大するに当たる「現象としての格闘技」の切っ掛けとして意味深いとも思う。(無論、格闘技バブルは猪木UWFの産物だけで起こったのではないにせよ)

 アメリカのプロレスはショーであるとハッキリ言われることが多いだろうが、しかしそんなアメプロには歴史をザックリ見ても高い実績をアマチュアレスリングの場で叩きだしている選手が数多くいるわけで、ここで「専門的に公式な格闘技をやってきた人間だからこそプロレスの”プロ”の部分に疑惑を抱くことは無かったのだ」とかかなり安易な結論つか嘘に近いこと書きそうになるけど、空手やキックはあろうと組み技の専門的な格闘技経験というバックグラウンドを猪木やUWF勢が持っていなかった、が、プロレスという範囲内で格闘技を指向したこと、これが格闘技バブルにまで繋がる「現象」としての格闘技ではないか。と結論づけるにはあまりに粗いが。

 ただ、猪木やUWF勢がこうして格闘技や、ストロングスタイルといった姿勢を持つに至るそのドグマに、レスリングで高い実績を持つ伝説的なレスラーであるカール・ゴッチ氏が彼らの師となっていたこと、これも何か意味があるのだと思う。

 既成の格闘技での高い実績を持つことなくあるプロレスラーたちがプロレスを格闘技にしようとしたという衝動、これが後に本当に厳しいMMAという真剣勝負の場にまで繋がる日本格闘技史の「奇跡的現象」の大きなきっかけになった。というのは一面的すぎる見立てか。

 また、技術面を元にした専門誌なんかは柔術・グラップリングはかなり取り上げているわけだけど、北米MMAの選手層の根幹にあるだろうアメリカ・カレッジレスリングなどの構造から技術まで考察した特集というのもあまり見たことが無いし、MMAの現在地を知り直す意味でもアメリカのレスリング界のリサーチを読みたいとも思うが、 


●第三の迂回路 ジ・アウトサイダー(つまりMMAの出自としてのヴァーリトゥード的土壌・衝動)●

 今回のエントリにしている自分でもやっぱ取り上げることに多少のためらいはあるが、格闘技バブル以降の現象の一つとして不良の喧嘩を売り物にする全国各地に存在するという「地下格闘技」の勃興があると思う。

 なるべく慎重に話を進めたいが、既にイリーガルな地下格闘技界では場合によっては死傷者が出ているという話も上がっており、確かに堅実にドクターやルールを置いてこのジャンルの普及に努めたい格闘技関係者サイドからすれば唾棄すべきものだろう。ここに関しては自分も同意だし、慎重に、というのはまずはそうした興行の安全面に関してのイリーガルさの範囲の事だ。

 ここから話を展開するが、現在の地下格闘技ムーブメントの代表的なものが前田日明のジ・アウトサイダーということになるのだろうが、まず第一にアウトサイダーと地下格闘技は安全性を代表とするイリーガルさの範囲という意味でなるべく別個のものとして話を進めたい。レフェリーは平直行で暴動を抑えるSP的役割にビッグ村上がいる興行であるし(ここから展開するMMA前夜のヴァーリトゥードの発生や衝動から、単純に出場選手が重複することなどあれど)。

 最近「MMA史の再インストール」というテーマで「日本にはヴァーリトゥード発祥にあたる部分が抜けているのではないか?それはもっと生々しい感情というか衝動というか、その経験や原点が無い」という考察を立て、アウサイというのは「プロレスVSグレイシー決闘の場」「最強を決めるイベント」「打投極により闘いを修める武道」などなど、日本のMMA史は本当にバイオレントなジャンルであるに関わらず、本当にヴァーリトゥードの生々しい部分を迂回してきた。で、格闘技バブル後の地下格闘技勃興というのは、ある意味ではこのジャンルの先祖返りにあたる現象であり、結局のところこのジャンルの根源的な部分を引き出したのではないか?と。

 これは本質論に関わるポイントになるんではないかとクソ真面目に考え、結局初期UFCもものすごくビザールな喧嘩を見せ物で、グレイシー一族のプロモとしたものであり、そこからボクシング的な興行の洗練や実績あるレスリング選手がプロ格闘家として食うために参入してきたりしていくことなどでヴァーリトゥードが洗練されていくことで現在のMMAになった、というのはかなり大ざっぱな出生から成長の歴史ではあるが。

 とりあえずMMA前夜のヴァーリトゥードの初期衝動という意味でのアウトサイダーというのは、専門誌などは地下格闘技全体はアウトにしてもなんとかギリギリ取り上げなんらかの考察の叩き台には非常に大きな物件ではあるが、これもかなり黙殺された対象となっている感はある。(ぽつぽつとは取り上げられているが)

 そして、前田日明のリングス再興というのはヴァーリトゥード初期衝動としてのアウサイから競技としてのMMAに繋げる役割になり、スポーツであり武道の修斗のMMAと対になる構造を作り上げられれば、少なくとも自分にはここ日本におけるMMAの再インストールは30%ほど完遂するのだがどうだろうか。






 以上3つが何かタブーでもあるかのようにそれを元にした考察なりリサーチなりが専門誌サイドでもファンのサイドでも見られにくく、しゃあないから自給自足、自分で記事作って自分で読むオナニーのネタにして(苦笑)たんだが、今回の記事を書いている内に以上の3つの視点は現行のUFCのコンテクストでもあり、まさにそれらが迂回されたままに現在のUFCならびにMMAが語られているように見え、さらには「いかに猪木異種格闘・UWF・PRIDEの格闘技史が厳密なスポーツとしてのバックグラウンドを構成することの薄いままの「奇跡的現象」で終わったのか」ということをを証明する視点になり得るようなことに書きながら気付いた。

 あと、こんな長い記事にするつもりもなかったんだが(笑)あらら何故こんなに~(笑)。さらっとやるつもりが結果的に 「私たちがMMAについて知っている二、三の事柄」の続編になっちゃったが、どうせだし完結編も書くぞ!ということでまた今度。
 
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