オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


エドガーとメイナードと、女性アナウンサーの苦笑

Category: 「見立て」の格闘観戦記録   Tags: UFC  MMA  
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<<UFC136 もはや見立て不要の格闘観戦記録>>

 ネットや書籍などで昔のPRIDE観戦記(2003~2006年の、俗にリボーン後と呼ばれる頃のもの)などを読むと、当時のミルコらを中心に急速度で格闘技界の時間を進めるかのような試合と興行を前に「もう、一つの興行を見通すだけでドッと疲れる。見る側がそうなのだから、やる選手や作る運営側の疲労はさらなるものだろう」というような感想を見かける。これは格闘技史を直に体験している日本人のファン特有の感情なのかは定かではないが、かの興行を見るコンテクストに「プロレスが全ガチ化していく流れの最高の時点」「日本が実現してしまった最大の格闘技イベントの前線」などプロレス・格闘技史の分厚い地層があればあるほど、当時全盛にあったPRIDEの生み出す緊張や時代の更新のスピードのめまぐるしさを持って、見る側が大きく熱狂して疲弊すらする、というのは想像は付く。

 そうした当時のPRIDEを、猪木や大山倍達やヒクソンなどをドグマにするようなプロレス・格闘技と引き裂かれる特異極まる日本格闘技界のコンテクストを肌で感じ得ないだろうアメリカはじめ海外の格闘技ファンは「見るだけでドッと疲れる」ような緊張をPPVやインターネット動画の奥で感じていたのだろうか?




 現在のUFCを、現地・アメリカの観客たち、格闘技ファンたちは一つの興行を見通して「ドッと疲れる」こととを覚えるのだろうか。今やこちらがWOWOWなどで閲覧する・盗み見る・途中参加する側になっている中では試合や興行の気配などから想像するしかないのだが、少なくとも分厚い選手層の中での競争によって凄まじい速度で洗練されることで、わずかなミスや少しでも荒い技術であるならすぐさまKO・一本を取られかねないくらいの緊密さによって試合が成立しているかに見える。

 アマチュアスポーツとしての「競技化」と言うのではなく興行格闘技の「競技化」というのは、特に特定のファンの競技化といいつつその言葉の奥にある目的が「選手の食いやすいスター性とかじゃなくて選手の持っている技術のもっと細かいものを評価出来るような流れに」ということにあるとするならば、個人的にはルールや判定やラウンドの数を増やすことだとかそうしたシステム的なことよりも、単純に高い頂点を設定してそこを目指す選手層を分厚くすることによって厳しい競争力を作り上げる体制が出来ることが第一だと思われ、そうした競争力の場からならば自然と洗練が生まれるとは思うが、しかしこの選手層の増加と一つの頂点を目指させる競争力を作り上げることは難しいとも簡単に思いが行く。

 余談だがショウタイムなど立ち技が「競技化」するというなら選手層の発掘と頂点に向けさせるにあたる名誉と賞金は必須と思われ、オランダを中心にボクシング技術との融合が目立つスペインから、立ち技最大のドグマのタイまで選手を引っ張ってきて一つの頂点に向けて競争させる体制が整い、数年それを維持できるなら、たとえ頂点を決める機構がワンデーだろうが自然と技術革新・融合というのは起きると思うし、見飽きた立ち技の光景からすり替わってくると思われる。




 期待していたメルヴィン・ギラードがカウンターをもらってそのままバックに回られチョークで敗れた。これを見るにいかにジョン・ジョーンズがバック肘や這いずりからのタックルだとかが目立っていても非常にミスのないように慎重かつ正確に闘おうとしていたのかが分かる。階級やリーチの問題があろうと。

 わずかなミスや技術の荒さ、トータルな攻防のレベルの差が今のUFCにおける1ラウンドでのKO・一本に繋がっていると見え、例に挙げるのは心苦しいが五味VSネイト・ディアスなどを見ても強く思うし、フルラウンドが楽しめるとかいうと特権的格闘技ファンみたいなクソさだが、両者ともにミスを許さないように、技術の正確さをキープし続けたアルドVSケンフロの緊張を見ていて重ねて思う。

 UFCは興行全体は分からないが試合の単位のみで見れば恐るべき緊張によって成立しており、そのことを現地のアメリカ人たちはどう感じているのだろうか。画面に15、16歳くらいのふっくらした少年などが移るのを見て現在のUFCはコアなファンを遥かに超えて一般に伝播しているというコンテンツのレベルにあるのか?とも思いながら。

 「90度に移動先が曲がるフットワーク」などという解説でエドガーが評される。エドガーとメイナードというのはこれは本当に好対照な選手なんであって、そうした二人が幾度も試合をするとかなり展開が似通ってくるというのも込みで興味深かった。といっても、「好対照な二人の名勝負数え唄」のサンプルがMMA以上に何故か三沢VS小橋や棚橋VS中邑ばっかり思いだされるのもなんだけど。「展開が似てくる」という視点からだと。

 1Rに、前回と同じくエドガーをノックアウト寸前にまで追いこんだメイナードは、試合展開全体を考えているように見え、行くべきなのか、それともここで勝負に行って凌がれ体力のロスの可能性を考えて見ているように見えたし、ヨロヨロになっているエドガーの方も攻めさせないようにカウンターを打つなどしておりやはり戦法の地層の深さはエドガーが上か、と思わされる。この1Rの攻防の中に現在のUFCのミスの許さなさや技術や戦略の正確さの求められる水準の高さを感じた。

 そしてそこまで水準の上がっているUFCを見続ける観客たちはどう感じているのか?




 ところで、こうしたUFCの試合を例えば何も知らぬ世間が見たらどう思うのか?といった仮説を実行している人間がWOWOW中継に突如として現れ、それはもう興味ある演技すらうすら寒く、別に興味が無くてもいいんだけどアナウンサーとして番組事前に色々リサーチしておくという努力すらしていないかに見え、格闘技は人生に何の関係もなく生きているだろう女性アナウンサーは現在の世間の格闘技に対する興味の水準を象徴しているといって差し支えなく、「格闘技を世間に!」派のファンは要注目だろう。UFCが彼女のスタンスを変えるのを想像するのは難しく、やはり日本格闘技がアプローチし直していかなければな。UFCだけしか見るもの無くなったらこのブログも書く意味やはりはないからな。などと思うのであった。

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テーマ : 格闘技    ジャンル : スポーツ

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