オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


動け、そして踏みこんで打て

Category: プロ格闘技   Tags: 興行格闘技  ドラマツルギー  
ガンボア

 ユルオルキス・ガンボアの試合を見て、そしてマニー・パッキャオの試合を見て、またはバダ・ハリを、長嶋自演を、あるいは、かつての五味隆典を、山本KIDを見ながら、彼らのように高速のフットワークと踏みこんで打ちこむ速さのある、興行格闘技ドラマツルギーを運ぶファイトスタイルについての事を思い、そしてクリチコ兄弟のようにドラマツルギーを封じ込めてしまうファイトスタイルについての事も思った。

 プロ興行格闘技はどの時代にあろうがどれだけ進化しようが、興行のハイライトになるKOやそれから続くドラマというのは変わりはしないだろう。リスクも背負い、「動く、踏みこむ、そして打ち倒す」ドラマティックなファイターたちを見ながら思う、格闘技とドラマツルギーに関して。




 たとえばマニー・パッキャオはその高速のフットワーク、全ての打撃がノーモーションになるというテクニックなどによって数々の他階級にいるスターたちを打ち倒していくことで、今や権威も分裂している世界のボクシングの盲点というか弱点を突く形で現代ボクシング界の前線のスターとなり、このジャンルのドラマツルギーを運んでいるというのはそれほど異論の挟むところは少ないだろう。

 たとえばK-1でワンデーのドラマツルギーを最大限に発揮させるのは、相手を踏みこませないように制してしまうファイトスタイルの完成度よりも、リスクをとって踏みこんで打つファイターたちであったことであることもまた、異論の挟むところは少ないだろう。

 かなり端折った格闘技のアマ・プロ比較になるが(詳しくはこちら参照。以前も紹介した長尾氏の最高峰分析記事。)、アマチュアスポーツとしての格闘技がプロ興行格闘技のように打ち倒して勝つこと・一本を取って観客らに勝つことを見せることがが最大の目的ではなく、厳密なルールの上でポイントを取ることなどが主となっている判定基準の中で勝利を目指すのであり、厳密に判断していく中で競技性と興行制は相反する面が出てくる。


 本稿は「格闘技におけるドラマツルギーの発生とファイトスタイル」という興行論側に寄ったものすごく主観的で抽象的なテーマで進めるわけだけだが、何故クリチコ兄弟のスタイルに苦い思いが残りやすく、デヴィット・ヘイのスタイルには熱狂が起きやすいのか?などなどの観客に公開することで木戸銭を得る全ての興行格闘技に等しく存在するだろうこの感覚、遡れば初期のPRIDEのようなMMAイベントは雑誌媒体などで「何故膠着が起きるのか?どうしたら膠着が無くなるのか?」みたいなこと自体がテーマにさえなっていた時代があるし、PRIDEがああした4点ポジションでの膝やサッカーボールキックなどのルールを許すようになり、ヴァンダレイ・シウバを輝かせていくようになった理由の一つにそうした流れがあったとも思う。

 
 踏み込むか踏みこませないか。今年は何だかんだでウラジミール・クリチコVSデヴィット・ヘイの提示した試合内容と結末が示唆するものが大きく、これが全プロ興行格闘技中の未来の姿なのかそれとも直面している問題なのかは未だ決着がついてはいないが、今振り返っても試合内容に限ればあれほど「クリチコ兄弟に踏み込めるのはヘイしかいない」とドラマツルギーの発生を期待され、そして完膚なきまでに封鎖された試合も無く、それは敗戦後のデヴィット・ヘイの引退発表のカタルシスの無さ、ドラマの薄さにまで及んでいると思う。これはオレ個人の感想であって共感があるかどうかはわからないけれど、普通ボクシングでの大一番での敗者の引退から感じる非情さと切実さの極まったニュースはそれだけその試合に賭けるものがあったという証明であり、そして、権威や王者の問題がどうあれボクシングというジャンルの勝敗というものがプロ興行格闘技中で最も重いことであることを再確認させるものだ。新井田豊がローマン・ゴンザレスにKO負けし、王者を陥落し引退を発表した時の無念と納得、ちょっと違うが内藤が亀田に負けたのちに半引退状態になっている現実の苦み、そして、長谷川が今年あんな衝撃的な敗戦のあとでの、復帰することを発表したときの希望。こうした敗戦以後のドラマツルギーさえも、クリチコ敗戦後のヘイの引退からは感じることが出来なかった。


 安易に具体的な技術論(それも確証あんのか危ういけど)と印象論混ぜ込んだのって危険ではあるけど、自分の気分として「現行の、全ての興行格闘技は突き詰めれば全ての道はマニー・パッキャオに通ず。なのではないか?」などと言う仮説をたとえばフランク・エドガーの高速のフットワークと正確性・戦略性を増した打撃を見て思い(※1年前のBJペン戦での感想では思い切り、MMAの中で屈指の気配を持つペンと比較してか「封殺じゃねえかコノヤロウ」とか書いてたが・笑)、立ち技格闘技が多彩な選手層との競争によって試合内容が退屈な時代になるにはなるのかもわからないが、その競争の中で洗練された選手はパッキャオ的なスタイルになるか否か。余談だが典型的なキックスタイルによる選手らの攻防をバレエ的と評したけれど、あれはボクシングなど様々な格闘技スタイルとの競争がないことによる進化の膠着の産物だったのかもと言えそうだ(だからレトロ的な、という印象もあったのかも知れない)

 
 今も力あるプロモーションの元でプロ興行格闘技は進化し続け、そして多彩なフットワークを駆使して踏みこんで打つ、そして倒せるファイターというのは興行を、ジャンルを牽引する可能性をもつ選手であり、同時に絶対に踏みこませもしない制してしまうスタイルの選手がメインにあるというのは、実はそのジャンルがある種の技術から興行自体の進化の停滞を意味している状態なのではないか、などとも言えそうだ。(シュルトが君臨している時代のK-1の技術的・興行的進化の停滞を思い起こしてほしい。)

 踏みこんで打つ、そして倒す。その光景は単純な興行の目的である熱狂を生むのみならず、ある種の進化の瞬間でもあるかも知れない。

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テーマ : 格闘技    ジャンル : スポーツ

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