オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


日本におけるボクシングの歴史の繰り返しとしてのMMA・前半

Category: P・M・BOXING   Tags: ボクシング  UFC  日本格闘技    白井義男  ファイティング原田  
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 情報収集で役に立つのはネット?いや違う!やっぱ識者がいうように図書館だ!ネットは菓子で本が主食だ!と言った岡田斗司夫さんは実に正しく、プロレス格闘技調べ始めも実は図書館からで、ターザン山本や井上義啓の言葉を気だるいコンビニや薄汚れた駅のキオスクで買う週プロやファイトではなく、なんと清潔極まる新築の図書館からだった。試験勉強中の学生の横で読む「プロレス・元気ですか!Ⅱ」にはそれなりの味わいがあった。それは主食になったのか?なったよ!

 そんなターザン山本氏の本を持っているほどにはオレの地元の図書館のフォローしている範囲は広いわけで、今回の表題のテーマみたいなボクシング関連の調べ物をするのにかなり役立つ本があったので、その引用と、現在のMMAなど新興格闘技の流れと比較しての日本のボクシング史の簡単な検証。ということで「日本ボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年」を見ながらの日米MMA史の発展のベース・ボクシング史の比較です。


アメリカにおける「ポスト・ボクシング」としてのMMA

アメリカにおける「ポスト・ボクシング」としてのMMA・Ⅱ


 上にあるのは今から2年ほど前に書いたアメリカのMMAのジャンルの進化の考察で、当時は五味と青木が米国MMAにて完敗したことを受けての時流を受けており、日本とアメリカのMMAの発展の差をプロレスとボクシングの差として、その構図を非常に単純化してPRIDEの顔の高田延彦とUFCの顔のダナ・ホワイトのふたりの経歴を軸にして発展を比較した形までで終わっている。

 今回はもうすこしこの辺の日米差を考えるに無視できない、プロレスではなく日本のボクシングの側面にフィーチャーしてみた考察だ。ボクシング・マガジン編集部による「日本ボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年」を引用しつつになるのだが、とりあえずこの日本ボクシングの大まかな正史に触れることでもう少し押し広げた考察になる。




 さて簡単な復習になるが日本のプロレスも今の新日本のスター・レインメーカーオカダを一目見れば既に格闘技・競技・真剣勝負などなどと関係の無い世界となり、日本格闘技のプロレス~UWF革命を中心とし、K-1・PRIDEで爆発し、プロレスへのカウンターとなった新興格闘技ムーブメントもリセットされた感があるが、米国UFCの拡大による現代ボクシングへのカウンターは現在進行形であるように思う。

 オレはもう今のヘビー級世界最強ボクサー・クリチコ兄弟よりも、UFCのジョン・ジョーンズにかつてアメリカがヘビー級王座の主権だったころの、アリやタイソンの影を見るし、いまや亀田はじめいろんなボクサーが平然と3階級だか4階級だかの王座を制覇しているけど、ボクシングもMMAも見る人ならば伝わると思うが、今のこのUFCの場で複数数階級制覇することは尋常でないことが分かる。これも半世紀以前のボクシングが階級も分かれておらず様々な形の王者もいなかった時代のパワーバランスはこうだったのではないか、と思わされる。だからジョー小泉さんが今のUFCを見たらどう思うのだろうか?なんて考えている。

 「プロレス・格闘技」という括られ方それ自体が日本における格闘技ジャンル発展の流れを代表しているのに対し、日本のボクシングというのは完全に別ジャンルとして分かれている。世間的にはプロレス流れの歴史の浅いショー格闘技はうさん臭い、ボクシングは歴史もあるし立派だし求道的でだから別だし本物!でも興味ないよ、といったところだろう。乱暴に単純に書いてしまえば。

 しかしボクシングもMMAも立ち技も念入りに見ている人ならば現在のMMAの流れはもう「プロレス・格闘技」でくくられる段階ではなく、競技的にも興行的にもその質はかなりの部分ボクシングに近似したものになってきていることが分かっていると思う。がしかし、もうSRCは停止、DREAMも明日は分からない、ファンやメディアは「ジャパニーズMMAの良さは物語」という詭弁で補正してないとまともに見ることも出来やしないくらいの存在意義のズレが生じており、日本のMMAは本当に歴史が途切れて孤立し、現在はUFCに上陸してもらったりで再インストールの真っ最中、と言う風に見える。

 まずはこの辺の日本における現在のMMAの歴史を鑑みるに、なぜそもそも日本にアメリカのボクシング的な土台や流れが出来上がらなかったのか?と言うことで、そもそもの日本のボクシングとはどういうものだったのか?に関して引用してみる。以下カッコ内黄色文字は引用になります。



<<興行格闘技の現在を先行しているかに映る、日本のボクシング史の発祥から全盛期まで>>

 格闘技を見ていて一番げんなりさせられるのがやっぱ団体の集合・離散の繰り返しであって、今現在の日本のMMAからK-1などなどの新興興行格闘技は平然と分裂を繰り返しているけど、そうした歴史を実のところ先行していたように見えるのはまず日本のボクシングの歴史の興りである戦前・戦後の歴史のこの辺の記述だ。

 日本ボクシング界の統一は1931年の2月11日、「全日本プロフェッショナル拳闘協会」の発足をもって、ようやく実現をみたが、翌年には日俱、帝国拳闘会、国際検討倶楽部のグループと、大日拳、東京拳闘協会、極東、日米拳の二派に分裂するなど、結束力は知れたものだった。



 1946年6月、プロモーション会社の日本拳闘株式会社が設立され、7月8日には「日本拳闘協会」が発足。翌47年8月には、戦後発の全日本選手権も開催され、6人の王者が誕生している。もっとも、協会は1年と持たずに離散集合を繰り返すようになるのだが。

 この歴史も市場を独占するスキームを構築した巨大な団体・企業がない限り、格闘技に限らずあらゆる興行ジャンルでも既得権益の折り合いの問題で分裂して行ってしまうというのはよく見る話だ。 

 第一にガチの格闘技であるボクシングがどうしてここまでの分裂を繰り返したのか?という歴史も、現代の戦極~SRCから修斗の内部問題などの状況を演繹してみるにうっすらと見えてくるし、第二に戦後の興行格闘技として、力道山率いる日本プロレスが市場を独占していきテレビと共に発展して行った、というプロレス史との比較も含めると、興行としてどちらが機能したのか?という点から「日本MMAがアメリカのMMA的なるものに遠ざかる理由」も立体的に見えてくると思う。

 そうしたジャンルを確定できるだけの団体の結束や市場の独占ということが出来ていないおかげで集合離散を繰り返すと言う、もう今の格闘技ファンなら悪い意味で見なれている構図というのを先行していたのも皮肉なことに日本のボクシングの歴史であるとオレには見え、そこからの打開となるのは実際に世界タイトルを獲得してからということになる。それが「1944年、戦争の非常時ということもあり、ボクシング興行は全面的に禁止され」「戦後の混乱期は日本のボクシング界も存在が危ぶまれていたが、ピストン堀口や白井の出現で人気は復活」と記述され、日本で初めて世界タイトルを獲得することになる白井義男選手の活躍になるのである。

 相変わらずまとまりのない業界をよそに、同年、腰痛を抱えたまま復員し、希望に乏しいリングに上がっていた白井義男と、進駐軍の生物科学者アルビン・カーン博士の出会いがあったことを忘れてはならない。異色の新マネージャーによって物的、精神的な援助と米国式トレーニングを施されて復活した白井は、日本フライ級、バンタム級タイトルを奪取して2階級制覇を達成する。 


 カーン博士との出会いによって「1951年5月、世界フライ級チャンピオン、ダド・マリノ(米国)とノンタイトル10回戦」を行い、「当時、「世界」の二文字ははるかに遠い存在だったが、白井は巧妙なアウトボクシングで善戦、1-2の判定で敗れたものの世界戦の実現が夢物語ではないことを誰もが感じていた。」というほどの実績を出すことによって、ようやく日本人が世界戦を実現するためのボクシング・コミッション、JBCが設立されることとなり、現代に至る日本のボクシングの基盤が形成されることになるのである。

 白井の世界戦が具体化していく過程で、世界戦開催には、当該国のボクシングを一括管理する公的機関としてのコミッションの存在が不可欠という前提条件が明らかになった。

 そこで、初代コミッショナーとして後楽園スタヂアム社長の田辺宗英氏が就任し、1952年4月21日、日本ボクシング・コミッション(JBC)が誕生。同時に、現在のコミッションと協会の役割を兼ねてきた、日本独特の機能を持った「全日本ボクシング協会」はいったん解散をみた。

 お膳立ての整った5月19日、4万5000人の見守る後楽園球場で行われた日本初の世界タイトルマッチは、白井がマリノの15ラウンド判定勝ち。日本に初の世界タイトルをもたらした。





 このようにして日本ボクシングの基盤が成立して行ったなかで「新人王という実績しかなかったファイティング原田。急遽世界タイトルに挑戦することになったがノンストップ連打でポーン・キングビッチを攻略。一躍、時代の寵児」となっていったことをはじめ、俗に言う日本ボクシングの黄金期へと向かうのだ。


 ファイティング原田が世界フライ級タイトルを獲得した1960年代前半、日本は未曽有のプロボクシング・ブームを迎えていた。元旦から興行が行われ、テレビでは週に10本以上のプロボクシング中継が行われていたのだ。

 では、先んじてテレビ・ボクシング時代を迎えていた米国とはどこが違ったか。

 1950年代、米国のボクシング興行を牛耳っていたIBC(インターナショナル・ボクシング・クラブ)は、毎週水曜と金曜にボクシングの定期番組を提供するようになっていた。
 
 テレビ・ボクシングは受像機の飛躍的な普及に比例して家庭での人気を確立。IBCには、週に9万ドルの放映権料が流れ込んでいったという。

 だが、テレビボクシングの隆盛は、人々にとってのボクシングを、試合場まで足を運ぶまでもなく、テレビで事足りるものへと変貌させてしまった。

 そのため、長らく米国のマーケットの基盤を支えてきた中小のクラブ・ファイトは廃れ、大会場の集客数も激減の一途を辿っていったのだ。

 一方の日本は、高度経済成長がもたらした生活のゆとりから生じた娯楽の需要が、まずは電化製品に向かい、1962年3月にはテレビ受像機の普及台数は1000万台を突破していた。

 そして、視聴者とテレビ局のスポンサーの需要に合致した「売れる番組」こそ、新たなタレントが育ちつつあったプロボクシングだったのである。
 


 



 「プロ野球のON砲、大相撲の大鵬らと並ぶヒーローとなった原田のラッシュとともに、高度経済成長をやみくもに邁進」していった時代であり、もうここでしょっちゅうファンが揉めてる格闘技興行とテレビとの関わり方も見え、もうハッキリ売れる番組としてのボクシング、と言いきってるあたりが分かり易いというか。しかしそんなバブル的な需要も収まっていくこととなる。


 供給過多とも言うべき状況で、平均視聴率が30パーセントに達する定期番組も存在したが、やがて各局とも週1本程度の放映頻度に収束していった。

 きっかけは1964年の東京オリンピックだったろうか。視聴者もテレビ局も、野球と大相撲とボクシング以外にも、テレビでの観賞に適したスポーツがあることに気付いたのである。まだ幸いだったのは、米国のように、ダイレクトに興行への客足にダメージを及ぼさなかったことだろうか。 



 とりあえずこの本での歴史を見渡す限り、日本でのボクシングというジャンルがもっとも大衆に親しまれたのがこの60年代あたりだと見え、「東海道新幹線が開通した1964年、桜井孝雄がボクシング競技発の金メダルを獲得した東京オリンピックを経て、原田が青木に3ラウンドKOで圧勝した、10月29日の「世紀のライバル対決」を終えたころ、もはや日本は世界で有数のマーケットとなっていた」ほどだという。 先のファイティング原田選手から、「世界タイトルを海外発奪取の快挙を達成する。海外リング育ちのニュー・ヒーローの誕生は、一躍海外遠征ブームをもたらした」という西城正三選手、同じ読みのポケモンの名前の元ネタでもある、海老原選手などなどや、あの「あしたのジョー」の連載時期と言うのもこの頃を反映してのものなのだ。

 オレの琴線にかかった大場政夫選手などは「花形進との日本人対決を制し、オルランド・アモレスにドラマティックな逆転KO勝ちを演じ、さらに1973年1月2日、チャチャイ・チオノイに12ラウンド、再び凄絶なKO勝ちで5度目の防衛に成功。」という実績と内容を見せるも、そこで壮絶な最期を迎えるのだ。



 だが、わずか23日後、大場は、愛車シボレー・コルベット・スティングレーとともに首都高速に散ってしまう。拳一つで両親に家を建てるという夢を実現したヒーローの早逝は、日本プロボクシング高度経済成長の夢の終焉でもあった。 






 このように60年代ボクシングが高度経済成長時代と、選手の競技能力の上昇と相まって実際に高い実績を上げており、かなりのところ地上波で視聴率の取れる番組として大衆に開かれたジャンルとして機能し、この流れは70年代も続くことになる。そして、この時代より世界のボクシングの流れにさらに変化が訪れることになる。ということで後半に。図書館使えよ!。
 

日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年
(2002/06)
ボクシングマガジン編集部

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