オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


K-1ライト級の善悪の彼岸あるいは青春の光と影

Category: 「見立て」の格闘観戦記録   Tags: K-1  ライト級  大和哲也  久保優太    才賀紀左衛門  松本芳道  
Gut
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「邪悪さとは何だろうか。神聖さや正義との関係性が重要なのは言うまでもない。感染や侵食すら感じさせる危険なまでに肥大した自我の力が、ゆっくりとランウェイの上を移動していく。」
「そして、この試合でもっともわからないこととは何か。それは格闘技界のエクリチュールに於ける「狂気」。とは何か。ということだろう。厳密に言えば「何故格闘技界は、体が小さく、拳で殴る者にしか狂気を宿させないのか?」ということだ。

                                      =菊池成孔「サイコロジカル・ボディ・ブルース解凍」より=

<<BGM・モグワイ「Mogwai Fear Satan 」(文字クリック)>> 

<<上松大輔VS松本芳道>> 

 「K-1ライト級」は低予算による魔裟斗システムのトートロジーでしかない、という厳しい見方も本大会前にいくつか見られたが、上松大輔選手というのはそのファイター像の在り方や主催者預かりの立ち位置であることなど、「ミニチュアの魔裟斗」と言う意味で冷徹でシニカルな目線のファンからすれば「TBS&FEGにおけるゼロ年代格闘技バブルの負の産物」の象徴的な存在と言えるだろう。上松には「悪」の判定が為されている。
  が、問題は上松自身にはほとんどと言っていいほど自発的な欲望というのが見えないことだ。それどころか自らの立ち位置であるとかに関しても不透明に見えるし、会見での言葉もカメラの後ろでJOYさんがカンペを提供しているんじゃないかというくらいに試合以外での自発性というのが奇妙なほどに見えない。だからこそ運営側も操作しやすい対象なのだとみるが、選手本人に関しては一切の善悪も存在しないのは確かだろう。
  MMAにおける所英男などにパーソナリティーが近似しているのだがどうしてこうまで善悪の気配に差があるのか?を考えると、それはやはり絶対的な不利から逆転しスターになっていった、(というかプロテクトがスタートした)というのとハナからFEG&TBSが意図的に魔裟斗システムにして興行を操作しようとするというスタートの差だろう。運命が異なれば所英男にプロテクトの悪を感じるピエロを見とるのかもしれないし、上松大輔に「どんなに負けても逆転する大衆的なスター」という感情移入ができたのかもしれない。ただどちらにも自発的なプロデュースも何もないが故に大衆の側か運営の側かのピエロになるかによってこうまで印象が異なるわけだ。
  
   そうした旧魔裟斗システムを前大会にて軽量級狂気の打撃決定戦とも受け取れた大月晴明戦を打ち破り、見事にファイナリストにも選ばれた松本芳道が破壊していくという第一試合にて、もはや今トーナメントにはああしたゼロ年代的な所作は存在しないのだと感じた。

<<久保優太VS尾崎圭司>>

  結局のところ、魔裟斗は「悪」だったのだろうか?格闘技バブルの最悪の産物だったのだろうか?佐藤嘉洋は割を食わされた被害者であり、弱者であり、だから「善」なのだろうか?と自問してみるも、はっきりとではないが「そうだ」とは言い切れない答えに常に辿りつく。
  というのも、オレが見るにFEG&TBSの管理興行の悪を誰よりも理解し、そして誰よりもそれに抵抗していたものこそ魔裟斗だったと思うからだ。あの2008年のトーナメントではそうした魔裟斗の強靭な意思と管理興行の悪が渦巻き、もはやほとんどバレてしまうことに本人が気付きながらも、それでも我武者羅に闘いぬいたことの記憶が、何もかもを「悪」なのだと言い切れないのだと思う。
  むしろ、佐藤嘉洋にこそ強烈な「悪」を見とってしまう瞬間があり、また佐藤に限らず巧みで洗練された技術を持つトップクラスの日本人キックボクサーにはどうしてなのか「悪」の印象が付きまとう。日菜太、祐樹、そして、久保優太。なのだが、久保に関しては前出の彼らと比べて桁外れに「悪」の気配が強い。それは何故なのか?
  
  彼らのようなテクニック重視の日本人キックボクサーが「悪」の性質を保有してしまう理由は「私たちがMMAについて知っている二、三の事柄」(クリックで参照)の「第5の視点」を見てもらえるとありがたいのだが、短絡的に言ってそもそもK-1という舞台の「プロ」がほとんど管理興行であることを彼らは知っており、それに対する憎悪が今日の「実力で証明する」「本物の格闘技を見せる」といった彼らのフォルムを形成してきたのだろうが、今大会において久保は煽りにて魔裟斗が直々に練習を見に来るといった演出からも察せるように、運営側より完全にスター性を管理される側の「悪」の側でもあるのだ。つまり久保選手は「魔裟斗の期待を運営より掛けられた佐藤嘉洋」とも言える一見して競技派にとっては天使とも言えそうな存在であるが、実際には今大会中並みはずれた「悪」の気配を噴出しており、これは久保本人が過去に何らかの事情で試合することもままならなかった鬱屈した時期があったから、とか彼本人のパーソナリティだからというだけでは説明がつかず、これは運営がスターを管理・創造する魔裟斗システムの持つ「悪」と佐藤嘉洋らのようなキックボクサーの呪いによる「悪」が何重にも重なった結果が久保優太の狂気性の正体なのだと感じた。
  当然そこまでの重層的で、芸術的ともいえるなまでの「悪の華」の前に、「裏拳だけど目的は肘うち」程度の官僚がこっそり金を着服するメンタリティ程度の小悪党の攻撃はすべて見切られた。さらにその小悪党の試合後インタビューのすさまじさの前に自分は夢野久作の世界に迷い込んだような気がした。すべての回転打撃がかわされるという結果の残したことで尾崎選手のシュールレアリズム運動はおそらく完遂されたのだろう。

<<石川直生VS才賀紀左衛門>>

 そして、すべての日本のトップキックボクサーはすべからく一種の「悪」にならざるを得ない、ならなければ勝てないのではないか?という自分の極論を推し進めて行けば、石川直生選手も大別すれば「悪」なのだろう。だがしかし、もともとメジャー志向をもち「キックをもっと広めたい」というほどの善意を心に持つ石川選手は、決定的なまでの「悪」に徹しきれないことで、「いい選手には違いないが、大事な試合を落とす」という評価の陰のあるファイターになっているように思えた。
  そうした「限りなく善に近い悪」に対しての才賀はファイヤー戦にて「ヒール」みたいな評価になっているし、無論甲子園組で魔裟斗システム側にあるという意味の「悪」もあるだろうが、運営側の期待度からいってもあまりにも高い実績を持つ相手とのマッチアップなど過剰なまでのプロテクトの「悪」は見えず、また自発的なアピールも出来るファイターであるし、完全な運営のピエロではなく、むしろ今大会のジョーカー的な存在となっているという、「限りなく悪に近い善」となっていた。
  才賀はかつてのUインターのおける山本喧一やボクシングの亀田大毅のように「はじめに噛み付いた人間がまっこうから負けをみせることで相手が上がっていく」ための役割なのだと見ていたが、いざ試合が始まってみるとまるでかつてのK-1のコンセプトのような「キックボクシング」VS「空手」という展開となり、開始早々に才賀の正拳突きが石川のアゴを捉え、巻き返そうと石川が組みついての膝を打ち込んでいく。見る者にもわかりやすいほどの見栄えのいい空手技を放つ才賀は試合の後半には鮮やかな胴回し回転蹴りを当て石川をよろめかせて見せた。時間が経つごとに石川の痛々しさが増幅されていき、才賀の中の意思が強固になっていくように映った。奇妙な形の善悪の相克は「限りなく悪に近い善」の側が勝つことによって終わった。

<<大和哲也VS祐樹>>

  今大会中で「陰の優勝候補同士の闘い」と言われている時点で逆を取れば運営側が一切の期待をかけていない削りあいのあて馬枠なのは間違いなく、どっちにしても上松か久保、ないしは石川に勝ちあがってもらうために消耗してもらうという主催者側の悪意に満ちたカードではあるが、強烈な結果が生まれることとなった。

  祐樹選手は先の極論を適応させていけば、狂拳との闘いを見ても分かるように間違いなくトップレベルのキックボクサーらしい「悪」によって竹内選手の狂気の拳を葬りさったわけで、「悪童」というニックネームがなにに由来するものなのかはわからないがそうしたニックネームが付くくらいにはまだ驚異的に増長した「悪」ではないくらいのレベルの所を、今大会中誰よりもまっとうな気配を持ち、インタビューの飄々とした感じや試合に向ける態度の落ち着き払いかたなどに見られる、実力者であるにもかかわらずの不思議なパーソナリティのあり方はまるで桜庭和志を想起させもし、「誰の色にも染まっていないので、僕色に染め上げます」という「剛腕ペンキ職人」という主催者側の「お前にはいいとこで消えてもらう」のニックネームを上手くかわすかのような、でも上手いことを言ってるつもりなんだろうがなにか古臭い(≒寒い)というか、でもそんな悪い気はせずホンワカとして受け取れるあたりにも桜庭和志を感じなくもない、飄々とした「善」の極致がここにあるように見えた。

  そうした魔裟斗システムによる「悪」も、驚異的なキックボクサーには違いないがパンチ主体である選手特有の「善」を喚起させる明快さによって(完全技術解説放棄観戦記の与太話(ここまで全部そっか・笑)になるが、K-1・キックにおいてパンチ主体の選手とキック主体の選手とではその選手の善悪の気配の配分がかなり異なるように思う。何故なのか?)、祐樹選手の保有しているだろうルサンチマンに由来するファイトスタイルを粉砕したことは驚くべきことで、あそこまで衝撃的なKOを見せても表情をまるで変えない姿に対してはそれがこれまでのK-1MAXを覆っていた「悪」の気配と全く別物のように映った。


アンチアンフォルメル

準決勝<<松本芳道VS久保優太>>

  魔裟斗システムを粉砕した狂気の打撃と、重層構造による悪の華の対戦は「狂拳竹内VS祐樹」に構図が似通っている、とか思っていた矢先に凶悪なまでのハイキック一閃で勝負を決めた久保の「悪」の強靭さはもはやとどまるところすらないように思えた。トップキックボクサーが醸し出す「悪」の気配の前には「狂気の拳」といった恐るべき善悪を超越した攻撃性ですらも蹂躙される。それがキックボクシングなのだと思った。山本KiDはじめウィッキー、高谷、あとほぼ確実に実現しないにしてもジョセ・アルドやマルロン・サンドロらのような「狂気の拳」と対峙してもやはり蹂躙してしまうのだろうか?

準決勝<<大和哲也VS才賀紀左衛門>>

   あまりにも盤石な勝利を得たものと、奇妙な巡り合わせの中でアップセットを起こしたものの、結果「善」対「善」の対決は沈静化した気配に満ちた緊張に包まれ、魅せる闘いをする才賀を大和がさばいて行く中で一撃を決めて沈めた。凄絶な結果を続けて出したにもかかわらずの、この試合後の両者がたたえ合う姿の不思議なまでの温和で穏やかな気配はそれはこのふたりが実質同じサイドだったからなのだろう。キザえもん選手はここまで来ることによって本当にまたプロの顔に脱皮してきたのだとその表情を見ながら思った。



Bos
決勝<<久保優太VS大和哲也>>
Gut
 
   この決勝にて、最大の「悪」の気配に満ちたファイターと最大の「善」の気配に満ちたファイターが対峙することは、単純な下馬評の意味でも、また「魔裟斗無き世界の再創設」の意味でも、「K-1とキック界の国境線の止揚の瞬間」の意味でも、ほとんど必然のようにさえ見えた。完全に抽象的な表現だが、(って、ちょっと読み返したらほとんど抽象表現なんだけど笑)彼らの白と黒にハッキリと別れた色のコスチュームでまでこの「K-1ライト級トーナメント」という舞台があてがったように思えた。
   同い年の人間同士の、ここまでの深い相克が生みだす壮絶な闘いの中で今大会に振りまかれた善も、悪も全てが中和しあい昇華されていくかのようだった。もう3Rでのお互いが死力を尽くす打ちあいの中で久保の悪の気配も大和の善の気配も、あらゆる魔裟斗システムの悪も、あらゆるキックボクサーの悪も、K-1とキックの境界も、何もかもが集約されていき、昇華し、この闘いが大会のクライマックスに用意されたことは凄まじかった。これが新時代を意味するのか、それとも識者の言うように結局魔裟斗システムの繰り返しでこれがまた次の悪につながってしまうのか、黄昏のK-1の抵抗なのか、HIROYAはなんだったのだろうとか、この強烈な打ちあいのなかで様々な思いが交錯した。大和の打撃が、久保を捉えた。
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Comments

いや~、面白いですね。「マサトプロテクトの善悪」という概念を63Kg級に重ね合わせるだけでここまで奥深く検証できるとは。

 >というのも、オレが見るにFEG&TBSの管理興行の悪を誰よりも理解し、そして誰よりもそれに抵抗していたものこそ魔裟斗だったと思うからだ。あの2008年のトーナメントではそうした魔裟斗の強靭な意思と管理興行の悪が渦巻き、もはやほとんどバレてしまうことに本人が気付きながらも、それでも我武者羅に闘いぬいたことの記憶が、何もかもを「悪」なのだと言い切れないのだと思う。

確かに、本当に悪いのはマサトではなく、彼を(熱狂的ファン以外の)誰の目からみても無理矢理プロテクトして優勝させた周りの悪い大人達なんですよね。でも、私がマサトに抱いている「悪」の部分を、諸悪の根源でもある悪い大人達が、おっしゃる通り「がむしゃらに闘いぬいた」「善」の部分を上塗りさせることによって、「全てが絶対善」「意にそぐわない選手は悪」という「マサト教」の価値観をメディアを使って刷り込ませた。それを更に決定づけたのがマサトVS川尻戦でした。最後には「敵」であるMMAファンですらも味方につけましたからね。

久保のような「マサト教の価値観から言って」悪に属するファイトスタイルの選手が、端正なルックスで谷川貞治と女性ファンを虜にするというのはある意味新時代の象徴とも言えますね。ただ、久保がもしブサイクな容姿だったら青木真也化するんでしょうね(笑)。常に主催者が「カワイイ、カワイイ」とチヤホヤしてあげないとすぐにグレてしまうタイプなのでしょう。これからの彼の動向が楽しみであり、また怖くもありますね。


Re: 銀玉宗師仁丹さんに
 
> 久保のような「マサト教の価値観から言って」悪に属するファイトスタイルの選手が、端正なルックスで谷川貞治と女性ファンを虜にするというのはある意味新時代の象徴とも言えますね。ただ、久保がもしブサイクな容姿だったら青木真也化するんでしょうね(笑)。常に主催者が「カワイイ、カワイイ」とチヤホヤしてあげないとすぐにグレてしまうタイプなのでしょう。これからの彼の動向が楽しみであり、また怖くもありますね。

 実はすでに「ある種の呪いに裏打ちされたトップレベルの真実力者」が「主催者側の意思によってプロテクトされる」という構図をもって久保選手も青木選手と一緒なんですよ。問題はK-1がなんだかんだでプロ格闘技のパイオニアのソフトとして通用しているという点に見られる、あんまイデオロギー云々で成立しておらず自民・民主党政治的な現実的な(とりあえず、たとえのレベルの話ですよ。)スタンスによって政治と関わるか、DREAMの新左翼運動のようにイデオロギーを優先させた非現実性によって過激派的な形で(ストライクフォースの闘いを真珠湾攻撃のアナロジーにしてみたりとかね。)政治に関わっているものとの違いです。ただ、久保と青木の相似性も興味深く(ある時期より全く試合自体が組まれなかった、というのも含めて)格闘技界への関わり方は違えど「悪」の絶対値は一緒、と見ております。そういう意味ではもしかしたら「大和VS久保」は、あるいは今後互いが全盛期の力で実現することはないだろう幻の「五味VS青木」であったかもしれず、そして誰もが見たがっただろう「青木に極めかけられるも最後には五味が逆転KOで勝利」とも映りました。

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