オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


小橋健太本田多聞セメント仮説

Category: 「見立て」の格闘観戦記録   Tags: ストライクフォース    ジョシュ・バーネット  
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ストライクフォース・ヘビー級トーナメント決勝
<<ジョシュ・バーネットvsダニエル・コーミエ 見立ての格闘観戦記録
&現代MMAの中でのストライクフォースの意味の考察>>

 今更ながらストライクフォースというのは日本の側から見ていると、プロレス&地上波TV興行ベースのMMAだったPRIDEと米国ボクシング&PPV興行ベースのMMAであるUFCの時代の移り変わりがそのまま興行になっているかに見える。その意味で基本格闘技バブル時代完全崩壊後の格闘技の変化を追ってるこのブログの方向性に一番近いプロモーションだ。

 それは漠然とした興行の雰囲気から実際の技術においてもだ。メレンデスvsトムソンの闘いなどは、それはそのままPRIDE時代から現在までのMMAのバージョンのアップデートの過程みたいなもので、今回3度目の闘いは最新のMMAに更新したものを見せたもののように思う。

 しかし、そんなメレンデスとトムソンがかのPRIDE時代からスタイルやスタンスを更新し続けてく過程と別に、選手のイメージ像が単なる実力差・技術差というものによって実にドライにブッ壊されていく過程を見せるダメージのでかさというのは、元々ドライなUFC以上に、半ばPRIDEでそのイメージ像(または市場価値と言い換えてもいい)を作り上げた選手や、トーナメント制といったフックを使用しているストライクフォースの方が大きい。




 ヒョードルの敗戦、それからの連敗というのを代表に、勝った選手の方が新たなスターとして飛躍する形ではなく、特にそれが一世一代のスターである場合にはその試合内容結果よりも、積み上げられてきたその印象がガラガラと崩れ去っていくことのダメージが勝る。それは現UFC以外のプロモーションではほとんど、いや今成功しているUFCであったとしても未来はわからないのだが、選手層の厚さによる競争によって勝ち上がっていくことによってスターの新陳代謝を行い、王者となった選手を新たなスターとして推していくというような強固なヒエラルキーを形成できない以上、格闘技のプロモーションが興行のフックとするのは選手のネームバリューから煽りV、物語性のショーといった副次的な部分に頼らざるを得ない面はあるだろう。

 ジョシュvsコーミエの決勝とその内容・結果からオレが受けたダメージというのは、これはこの前のエドガーがベンヘンに敗北したこととも、BJ・ペンがニックに負けたこととも、またUFCにてノゲイラがミアに2度の敗戦を喫したこととも別な、先のヒョードル敗戦の印象の延長だ。既にコーミエがペザォンに勝った時点で今回の結果はある程度予想できていたとはいえ、実際に目にするとやはり構築され、共有されてきたイメージやロマンというものがドライな競技能力に破壊されていく辛さがあるのが確かだ。


 しかしこのイメージやロマンチシズムというものが常にドライな現実に負けるという構図も、今回のこのジョシュvsコーミエに限っては観戦中にふとした想像が働いたおかげで少し複雑になる。OMASUKI・FIGHT様の記事に倣って、ジョシュvsコーミエを「プロレスラーvs五輪代表クラスのアマレスラー」という構図でこの試合を俯瞰することで、主にプロレスになってしまうのだが、おそらく昔から議論されていただろう「強さ」と「格」といったバランスによって選手の実像というものが構築されていることに関して、改めて思いが行く。

 試合開始から本当にジョシュはコーミエを警戒しているんだなというのを即座に読み取れるのは、ジョシュがかなりステップワーク重視のアウトボクシング寄りな現代MMAでの打撃を攻めのリードにしていることであり、そこでまず「プロレスラーvs五輪レスラー」といった見立てより浮かび上がる、組み技の能力差により戦略を引き算していった結果の打撃戦と映った。

 しかし、そのアップデートされた最新のMMAにおいての所作に差が出始めるのはジョシュが有効に効かせ、自身の制空権を作るリードの打撃をほとんど当てられず、スタンドの攻防の中でコーミエがボディに効かせる打撃を入れ始めたあたりからなんというかMMAの世代差を感じた。リーチがあるはずのジョシュがこうして距離を作るジャブなりをかわされてボディを効かせられる展開はこの前観たボクシングのピログvs石田を思い出した。

 それよりも観ていて一番イメージがブッ壊される、先に書いた「観戦中のふとした想像」を喚起するに至ったのは、そうしてコーミエの打撃が入るようになっていき、重心が崩れた瞬間を狙って片足タックルを取り、あのジョシュがテイクダウンされ、そこからの下からの仕掛けも外され、パウンドを受けるシーンが繰り返されていくようになることに見られる、組み技での完敗ぶりからだ。

 ジョシュがMMAの中でプロレスラーを名乗るのも正直自称であり、タランティーノがマカロニやカンフーの偏愛を映画史で重要なものとして映画にオマージュとして生かすようなものでこの例えは間違ってるのかも分からないけれど、これはプロレスにおいて地味で選手としてのイメージは構築されていないが格闘技の実績がある選手が、格やイメージを無視して本当にガチで勝ってしまったら、という昔からあっただろう仮説が実証されているかのようで、そして「一番強いヤツを決めたらええんや」でホントにやってしまった場合それは幸福か、みたいな今更なことを思わす内容だったのである。

 




 正直ストライクフォーストーナメントでダニエルコーミエの優勝に釈然としないものがある人は少なくは無いと思う。というのも、ここまで書いてきたとおりにヒョードル、アリスター、ジョシュといった、PRIDE時代にイメージを構築した選手をフックとしたトーナメントであり、厳密な競技能力の削り合いよりもネームバリューや選手の格に頼ったという印象が強い。それゆえにヒョードルを倒し、アリスターとの決勝になるかと思われたペザォンを、リザーバーのなんか曙の付き人みたいな微妙な雰囲気のおっちゃんみたいのがKO勝利し、そして優勝を果たすということや、途中のズッファのSF買収によりアリスターが移籍したりとその興行ビジネスと競技の両面においてのドライなぶち壊しっぷりに、当初期待していたものから完全に待ちを外されたという気分が残る。

 この結末をもってストライクフォーストーナメントはPRIDE時代(日本のプロレスあるいは大相撲的な格闘技観)の尻尾が完全に切られ、UFCの極めて米国PPV興行ボクシングの時代に移行したというのを見せたと思う。が、プロファイターの価値基準がいかにして構築される構造というのも完璧に変わったんだという結論にも達する。
 
 それはなんというか、まだMMAも発達していなかった時代、プロレスラーの実像や、それを共有してきたファンが紡いで来たイメージが、格闘技バブル時代にて叩きつぶされていくのを見ていくというのはもう慣れた話だろうし、今になってプロレス(あるいは、日本の格闘技)と他の興行格闘技(あるいは、米国のPPVビジネスボクシング基盤の興行)との差に言及するのもあれだが、もうこれはオレの感覚だけど改めてボクシング的なるサイクルと、日本のプロレス、さらに掘り下げて大相撲的なサイクルのどちらが馴染み深いのか、という話で、MMAにおいてはもう日本型の選手の実像構築というのは、いまこうしてDREAMも休止状態である以上もうあり得ないのだなと思わされたのだった。
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テーマ : 格闘技    ジャンル : スポーツ

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