オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


ロンドンの時計と橋・オリンピック閉幕・「競技格闘技」の客観性

Category: 欧州構造体系   Tags: ロンドン五輪  レスリング  ボクシング  プロ  アマチュア  競技格闘技  
OR・G3

 いやあこうやって格闘技関連に絞って観るオリンピックは面白かった。サッカー?見てねえよ!ところでポール・マッカートニーやダニー・ボイル、ローワン・アトキンソンなどは日本で言うところの誰に当たるんですかね?

■ロンドン五輪の雑記録■

<<アマチュアボクシングの躍進と、プロとの溝の歴史>>
<<レスリング・アメリカのジョーダン・バローズのMMA転向の成功の可能性>>
<<私見「競技格闘技」の客観性の競技ごとのランク>>




<<アマチュアボクシングの躍進と、プロとの溝の歴史>>

 天国の桜井さん清水と村田がやりましたよ

 清水選手・村田選手のメダル獲得の背景には近年のボクシング界のプロ・アマの交流が大きいことにあるということだが、この記事で書かれている日本で唯一のオリンピックで金を取った桜井孝雄氏の言葉は様々な示唆に満ちている。

 日本唯一のボクシング五輪金メダリスト、桜井孝雄さんに会ったのは昨年10月だった。ちょうど、村田が金メダル候補として注目を集めだしたころ。「久しぶりに楽しみですね」と聞いたら、意外な言葉が返ってきた。「金なんか無理。メダルもダメだよ」。そう言って寂しそうに首を振った。

 「プロとアマがねえ。関係が良くならないと」。すでに両者の関係改善は始まっていたが、桜井さんは信じていなかったようだ。この話になると、言葉をにごした。こちらも、質問に窮した。「まあ、いろいろ大変だな」。取材メモには、素っ気ない言葉が並ぶ。

 桜井さん自身のつらい経験があった。中大4年の東京五輪で金メダルを獲得。プロは激しい争奪戦を繰り広げた。1度は「プロに行かず、大学に残る」と発表されたが、スポーツ紙が「三迫ジム入り」を1面でスクープ。大学側は激怒し、ボクシング部からは除籍。OB会名簿に載ることもなかった。

 実は五輪を前に、すでに三迫ジムで練習していた。「秘密だった。ばれたら代表からも外されていた」。プロ入りで、アマから「裏切り者」扱いされた。プロでも好成績は残したが「殴り合い」を避けるディフェンス重視のスタイルが受け入れられず、世界挑戦も失敗。「しょせんアマ出身」と陰口をたたかれた。



 このエピソードは日本の格闘技を俯瞰するに実に悲劇的で皮肉に満ちている。プロとアマに差しはさまれる形で結果どっちにも歓迎されにくい経歴を辿ったこと、しかし金メダル獲得という結果に結び付いたのはその境界線を越えて練習していたことなど。

 昔から言われていることだけどこのプロ・アマの業界間(というべきなのか)の溝はドメスティックな意味が強いように見える。村田の金メダル獲得の続報ではやはり今後の享受をどうするのかを聞かれていたが、 「アマチュアとプロでどっちが上というのはない。僕の憧れはそこ(プロ)にない」とのことらしい。

 村田や清水が仮にプロ転向するとしても彼らの本職を上回る待遇と保障をプロモーションが提示できないならばまずなさそうだと思うし、また選手である彼らのボクシングに対するプライオリティもプロボクシングには単純にやってることの違いからその意思があるかどうかというのもある。またプロボクシング側としてもメダルの栄光をフックとしてプロ転向へと促すシナリオがあるのだろうか?

 こんなふうに乱暴にプロとアマの作用を考えていても、その競技のルールから最終的にはアマチュアはポイントを取り合い、試合で結果を出すものでプロは興行であるというジャンルの目的地が異なっている
のが見え、それゆえ業界で溝ができ易いものなのかもわからない。

 とはいえ「03年には高校生のアマ選手が小中学生時代にプロ興行でスパーリングをしたことなどを「アマ規定違反」とし、全国高校総体の出場権を剥奪。日本アマチュアボクシング連盟(日連)はプロとの関係を厳しく審査していた。」という本当に潔癖なまでのレベルだったらしく、いや本当にアマが村田・清水のプロとの交流を良しとしてくれたのは本当に良かったというしかない。これも二人がメダルを獲得するまでのバックグラウンドを探れば如何にドラマティックで奇跡的な連鎖があったかというのもありそうだし、この辺専門誌などでの続報を待ちたい。
 
<<レスリング・アメリカのジョーダン・バローズのMMA転向の成功の可能性>>

 五輪は格闘技がらみの種目はなるべく見ていったんだけど、最終的にこうやってプロの興業格闘技の世界でサバイブしていく人間が観たいと思っているのだが基本的にそんな選手はまれだ。またオリンピックのような競技的に整備された場で社会的にも通用する実績を作った人間がプロの場に参入する選手の全てが優れた実績を作れているかというとそうではない結果が出ているし、その栄光もプロ格闘技のルールと興行団体がネームバリューとしてピラニアのように食いつくされてしまうことも珍しくはない。

このあたりは結局のところ個々の選手によってケースが異なるので一緒くたにはできないとしか言えないが、この最大の社会的栄光を手にする手前くらいの位置の選手の方がプロ格闘技に移行して何人かが成功しているというのもその栄光を食い物にされることがないからというのもあるかもしれない。(その部分でオレの石井慧の評価は大部分は溺れかける日本格闘技界が藁をつかむかのようにそのネームバリューに食いつかれたという感じ。もちろん、肝心の試合で勝つことができずに流れを掴めなかったのも大きいが)


 しかしバローズの試合ぶりから、近年のカレッジレスリングの王者を一流のMMAファイターに仕立て上げてしむメソッドが構築されている昨今のMMAトレーニングの光景を見るにこれがいっぱしのMMAファイターに仕上がるラインが一直線に繋がっているのが見え、単なるネームバリューを食い荒らされるケースになることを想像しにくいレベルだと見え、フリースタイルレスリングでのこのトップがプロに移行する場合の安定感というのは本当にUFCが作り上げたものだと思う。

  もう少し先走った話になると、オリンピックでのエリートがMMAでのプロになるってラインが明確になってるってのは、ボクシングの世界においてはデラホーヤなどがオリンピックでのアマチュアボクシングで名を為してからプロでさらに名前を上げていく、という構図に近いものになっていくのかも分からない。あららUFCすげえという結論になってしまった。

<<私見「競技格闘技」の客観性の競技ごとのランク>>


 オリンピックの裏テーマとして「格闘技が極限までスポーツ競技にデザインされた場合とは?」という一つの頂点としてみる五輪競技、というやらしい見方をしていたが、これは有意義ではあった。

 とりあえず武器ありのフェンシングまで含んで格闘競技にあたる種目をざーっと観ていったのだが、大雑把にいって極めて客観的に判定できる基準の条件とはおおよそ以下のように整備されたものと見えた。

①競技の器具がポイントが入ったということを表すように電子器具を使用している
②1ラウンド(ピリオド)の試合内でポイントの加算が提示されている
③ポイント判定にビデオ判定「ジュリー」が導入されている
④選手サイドが判定に不服がある場合にビデオ判定を要求するという行為がルールに含まれた形となっている。選手の言い分が通れば判定要求の権利が継続し、通らなければ今後要求できなくなる。



 つまり、人間の判断ではどうしても主観的になってしまうからどれほど客観的にジャッジし、ルールにしていけるかということだ。その点からオレが思う格闘競技で競技の客観性の高い順ってのはこんな順番で見ていた。

 フェンシング>レスリング≒テコンドー>アマチュアボクシング>柔道

 前の記事でも書いたけどやっぱ「客観性」の究極はフェンシングだ。あれは剣術での決闘というものが時代の中で実戦から離れ、騎士の名誉の象徴として嗜まれ、そして普遍的なルールを設定していく中で護身や決闘と別のスポーツ競技となっていくという、格闘技が実戦性とまた別の安全性と普遍性を追求した結果のスポーツ化の流れの代表的なものと見える。

 フェンシングの整備のされ方を競技性の頂点として比較して見ると、意外にもボクシングはラウンドの終わりに試合中にポイント加算が提示されたり、同点時での判定などなどからまた清水の例の誤審騒ぎ(あっ、極端かな)などなどいささか客観的な判定の整備が弱く、ジャッジの主観の判断が差し挟まれる隙が多いかに見える。

 これはボクシングというジャンルの本質を外さないために、フェンシングやテコンドーのようにポイント加算のやり取りから、そのポイントが本当に入ったのかのビデオ判定の要求などのやり取りをルールにしてしまうのを避けたのだろうか?と想像する。

 そして一番ジャッジの客観性が弱かったのはやはり今大会中でもジュリーの介入が取沙汰された柔道であり、これが「主審の存在意義はあるのか」とさえ言われるほどに揉めており、どうもフェンシング・レスリング・テコンドーがルールの一つにしてしまっている④の「選手が判定に不服な場合にビデオを要求できる」という整備が今大会では為されていないようなのである。

 どうしても審判の主観のレベルでは競技の性質上取りこぼしてしまうし、今後他競技に倣ってそれがルールになるのかもしれないが(柔道なら「審議!」とかいって判定要求かな?)、柔道に関してはかなりのところフランスに権限を握られてるようだが、度重なるルールの変更を重ねる目的が「一本を狙う美しい柔道」ということだったりと、そのあたりに柔道の本質を見てるおかげで完全なポイント化・客観化というのを抑えているのかもわからない。

 こうしたボクシングと柔道の客観性の隙を見てオレが感じるのは、覆せないくらいの普遍的で客観的な整備をしていけば最終的に格闘競技はオリンピック上ではフェンシングとなる。は極端にしても、その整備の段階で格闘技のどこかしらの本質論というのと手を切る必要が出てくるのではないか、ということで、それもまたフェンシングが普遍的なルールを設定し、スポーツの国際連盟を設立した段階で護身や実戦と手を切った、という歴史を最終的に倣うか否かというところにありそうだ。

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テーマ : 格闘技    ジャンル : スポーツ

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