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水のように

Category: ウェブ線上の批評   Tags: アンデウソン・シウバ  MMA  UFC  
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 アンデウソン・シウバが当然のようにステファン・ボナーを下した結果は当然のようでありながらも、これまでのアンデウソンの勝ち方のようなどうにも奇妙な試合内容での勝ち方で、あの金網際のヘッドスリップのシーンを代表にやはりハズレのなかったブラジル大会の中でもアンデウソンの試合でしか見られない特異なものだった。

 しかしこれはグレッグ・ジャクソンをトップとするような北米MMAの作り方、と完全に別の作り方であるように見え、何か前提というものが違うんだろうなということもまた思わせる。このことのヒントというのはアンデウソンのドキュメンタリーのタイトルになった「Like Water」、”水のように”という、東洋武術が提示する抽象的なスタンスのことだ。

 というわけで現在UFCでのスリリングな対置である北米と南米、そして西欧式の入り方や東洋式の入り方ということのアンデウソンを通したエントリ。

 「水のように」ブルース・リーも言った言葉でそれは一つの神秘性あるいはセールストークとしても優秀なそれであるけれど、実際の太極拳などの拳法が身体のあり方としてそうしたスタンスを標榜している。

 その東洋的なスタンスは身体や運動と言うもののあり方を、自然として捉えたそれであり「水は滞れば腐る。常に滞りなく柔らかく流れるように」というものだ。こう書くと何らかの比喩のようだけど、実際人体の7割が水で構成されているということも込みでどっちの意味でも取れるものと思う。

 つまりアンデウソン、翻ってリョートなどを評する武道性うんぬんというのは私見ながらそれは身体や運動に関しての入り方の前提がそうした意識であるかに見え、実際の試合のパフォーマンスで例えばゴン格のMMA委員会の評などで「考えられない」というのはそれは格闘技を実理学的に解析し、構造を掴もうとしている現代の西欧スポーツはたまた北米MMAメソッドの意識から捉える入り方の側からはそういうふうに逸脱して見えてしまうからではないか?

 現代では当たり前ながら西欧式の普遍的な科学・構造といったものが第一とされ、東洋式の身体に、自然に聞くといった方向は飽くまでサブの位置にあり、格闘技において意識的にそのスタンスを標榜していたのは例えば90年代ごろはグレイシー柔術から骨法などであり、あの時代の裏面としてはバーリ・トゥードだとかノールールだとか言われMMAがMMAと呼ばれる前のカオスの他に「武道や武士道の解釈」というのも込められていたのだと見る。

 しかし90年代ごろのそれはどちらかと言えばオウム等のカルトのアナロジーに近いものとして見立てられることもあり、あの時代は欧米型の近代社会を達成し、その価値観が先である中で東洋式の「身体や自然から」という方向が歪んだ形で噴出していた、ともいえ、それは西欧式の近代の捉え方では回収しきれないもののカウンターとしてショックを与えもした。(この辺の90年代観に関してはもう一つのブログ「ゲームスコープサイズ」の方にまとめてみましたんで、あんまゲームに詳しくない方はリンク先記事の真ん中は飛ばして前半と後半の結論を見てもらえれば論旨が集約されてます)

 例えば医学においての西欧・東洋の身体の解釈は完全に異なっており、前者はもちろん徹底した研究により人体や病原菌の構造を解析し、投薬などで対応させるようにするというもちろん誰でもわかっているそれであるが、しかしそれでも回収しきれない部分がある。そこで東洋医学というのはより身体を自然に生かすような入り方をする。人体は投薬や治療で治すという記号的なものというよりも、そもそもの人体はそれ自体で既に治る力は備わっており、よりそれを生かすやり方を取っている。

 その身体の治癒や安定をつかさどるのは自律神経であり、これが環境や精神によって左右されるわけで(簡単に書けば、「緊張や圧力で胃を痛めてしまう」というあれだ)、ちょっと東洋医学に関して検索をかけてみるとコアのところにまで行くと、このサイトの目次を見ても「心のあり方」という所に踏み込んでいる。 

 なので極限まで行くと、精神のありようと身体というのが重要になるがゆえに、どこか宗教やスピリチュアルに接触していく面が出てくるからか、こと格闘技に関しての東洋的な入り方をしているものはどこかで思想家めいてしまうことがある。実際に骨法の堀部正史などは東洋医学の流れの一つである整体師でもあり、それが当時カルトを生んだという構図だったことで今では失笑の対象となっているし、また「武士道」というものでノールールを制す生き方を実践していたものこそグレイシー柔術という東洋思想的な入りも、桜庭活躍&PRIDE(UFC)躍進でMMAのステップが前進したなかでブラジリアン柔術というのが生き方や武士道の変形を示すそれではなく、MMAを構成する一要素へと解釈され、そして一つのスポーツという風に収まることで、UFC登場当初の武士道思想みたいな気配が薄まっていることは、現在のホジャ-・グレイシーを見れば分かることだ。

 それから現在のMMAは一部に東洋的な思想が変形した形で入り込んでいたものが興行と試合を重ねる中で最適化されていき、グレッグ・ジャクソンによるリスクヘッジのメソッドが最善のものとされているほどに、UFC勃興当初のカオスからついにオリンピックスポーツまで目指すようになるという、順当な西欧スポーツ式の意識や試合の解釈、構成になりつつある時に、アンデウソンがこうして「水のように」流れのままに相手を圧倒していく異質さがここ数年以上際立っており、その光景は完全に忘却されつつあった、身体と自然に沿った入り方ではなかったか?ということを、西欧式の科学的・経験的・理性的な価値観こそが正論とされる今のMMAに突きつけ続けている。

 そして重要ながら、アンデウソン(または、リョートなどに)には、かつての東洋式の思想や啓蒙めいた発言はほとんど見られないし、裏返しとしてスポーツ化しつつあるMMAに対して批判めいた発言も今のところ見ない(それはBJペンやニック・ディアズのようなファイター傾向の選手が良く言うのだが)。無論彼らは現代のMMAの体系を熟知したうえであの試合内容となっているのであり、それはMMAが極めて西欧的な意識になりつつあるなかで一歩先んじたものと感じる。

 西欧式の構造解析によるリスク軽減や物事の記号化みたいなものが圧倒的に有効であるが、しかしそれは突き詰めたところでフォローしきれない曖昧な部分があると見え、そこで東洋式の方法というのが見直されるという構図であり、究極的にはその両者の意識を共に持つことが望ましい、とされる。アンデウソンの試合内容というのはそうした示唆に優れていると見え、それはこれまでの興行格闘技ではカルトじみたものとなりがちだった東洋式の意識をもっとも綺麗な形で示した選手なのだと思う。
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テーマ : 格闘技    ジャンル : スポーツ

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