オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


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「DREAM15」ガラパゴス抹殺・Ⅱ/日本MMAテロリズム化の曙光

Category: 「見立て」の格闘観戦記録   Tags: MMA  青木真也  ガラパゴス  川尻達也  ライト級  DREAM  
マルキシズム≒テロリズム

 ストライクフォースのヒョードル敗戦よりUFCの秋山とレスナーがもたらした結末に続き、K-1MAXにて新たなる世界観の仮説が提示されていくという一連の格闘技界の風景の更新の末尾に位置される「DREAM15」にて展開されたものとは、前3つの興行が見せる明快さと全く異なり、追い詰められた日本MMAがさらなる凶悪なものへとシフトするプロセスのように見えた。 
 ついこの前に「連合赤軍」というアナロジーで語った中で、青木真也の赤いトランクスの姿には戦慄した。

<<BGM・YMO「中国女」絶賛文字クリック>> 


<<○水野竜也VS×メルヴィン・マヌーフ(1R アームロック)>>

  まず最初に触れるのは、今大会中でもっとも観客の欲望によって左右される凶悪さが薄い(つまりはほとんどどうでもいい)はずのこの試合が、感動的なものとして映ったのはなぜか?ということで、ミルコに敗れて以来2年以上もDREAM本線に上がれなかったなかで、海外修業の末の努力がついに結実といった煽りの効果以上に、これは「怪物くん」などという主催者側に明らかにどうでもいいと思われているだろうニックネームに見られる、MMAの純競技者であること以上の価値のなさ(それ以上の付加価値、たとえば「PRIDEの継承者」とか「極真の三日月蹴り」とか)が、逆説的に「MMAはスポーツでいいんだよな」という、格闘技を解釈する意味で最も安心できる「努力が結実する瞬間」という「スポーツ」としての物語の解釈に応じた展開を生み出したことは、さらに逆に言えばUFCをはじめ「MMA」というものが社会的なレベルで認められていないにしても「スポーツ」として見られる流れになっていこうとしている中で、今だに大会1週間前に全カードが決まったり、満足な準備期間もないままにオファーを出すことで十分なパフォーマンスを阻害されたりする、(DJ.taikiなど。K-1でもDREAMでも彼はあて馬枠だ。いっそのことWECに行ってほしい。)DREAMはまったく「スポーツとしてのMMA」の真逆の立場にあると思われ、水野が感動的だったのはそうした暗黒の中で今大会唯一「MMAのスポーツらしさ」を運んでくれたことが大きかったと思う。この前のK-1MAXといい、久しく「スポーツとしての格闘技」の清涼感を忘れていたことを思い出させられた。
  
  体重超過で明らかにやる気のない人間がタックルをがぶられてのフロントチョークですぐさまにタップしたりの試合があったりと、明らかに純スポーツというには穴だらけの大会の中で、準備期間をほぼ十分に用意された水野の闘いは「スポーツとしての格闘技の感動」というのを長いこと忘れてさえいたとすら思わされ、唯一「次のムサシ戦は相手MMAの間合いの立ち技切れるから苦しいんじゃねえかな。水野はレスリング力で勝負して判定狙っていくってとこか?」という、技術うんぬんに注視した次の試合の予想も楽しく立てられる試合となった。ウィッキーと共に修業した人間が課題となる相手を倒す、といった、ある種の成長を見届けるということがDREAMには完全に欠けていただけに、この試合の清涼感は掛け値なしのものだった。
  
  だがしかしそうした「スポーツとしてのMMA」の清涼を払うかのように、セミとメインは現在のDREAMに内包されている凶悪性を振りまくこととなったのだった。

アルチュセール

<<○J・ZカルバンVS×菊野克紀(判定 2-1)>>

  今後のMMAの国際規範ということで、北米式の方法論を持ちこむことは賢明であるし、「スポーツ」としての格闘技というのはつまらなさもある一方で、非常に安心もするだろう。
  そうした流れの中の菊野克紀の存在は北米式のオールラウンダーとは真逆を行く「極真の三日月蹴り」という武器を持った、「MMAに適応した空手家」という存在としてファンやメディアに前時代的な「幻想」を実現する存在として期待され、前回弘中戦の鮮やかな勝利により膠着する青木真也の時代を終わらせる一つの可能性として多大な期待を寄せられていくなかで今回のカルバン戦に至ったわけなのだが、その菊野から放たれる尋常でない凶悪性はもはや「幻想復活」などという穏やかなものではないように映った。
  
  アメリカ式のMMAになり、スポーツとしてのフォルムをまとったものになることは、それはつまらないことになるのかもしれないが、格闘技を「スポーツ」と規定し管理してしまうことはものすごく安全で、安心できることのように復帰したカルバンのファイトスタイルの盤石さに対して、菊野の三戦立ちに見られる不安さと共に感じられる凶悪性はどういうことなのか?と思わされる。

  日本人にとってのMMAとはその歴史の根源に「異種格闘技戦」や「ヴァーリ・トゥード」が元にあることは今更に言うまでもないだろうし、スポーツ化が進む現在にかつてのそうした気配を運べる選手が貴重であるというのも頷ける話であるのだが、菊野のこの凶悪な気配はいよいよ「北米化して国際化しろ」「日本はガラパゴス」といった言説で埋められつつある現在の日本格闘技史が抑圧されることで吹きだした呪いが由来しているようにさえ見え、中途半端な「国際化(北米化)」により安易にアメリカのシステムを適応してしまう日本の流れに対しての極端なまでの右傾化の象徴のように映った。
  これからの日本では安易な国際化を適応していくことで、反動的な形で極端なまでの右傾化の流れが生まれることが起こりえるだろう。アイデンティティが危機にさらされる反応の一つとして、自らの由来である民族の歴史に回帰することで強硬化するという、現在の中東のテロリズムの由来となっているだろう感情の変質した形を菊野の中に見たことが、彼の凶悪性の印象の理由なのではないかと自己分析するが、しかし恐るべき仮説として閃くのが「もはや日本MMAというのは、テロリズム化していくのではないか?」というものだ。
  
  この闘いの結果は便宜的な形でカルバンの勝利となったが、自分が「北米MMAと引き分けた右翼テロリスト」という、「現在の世界の流れと引き分ける」という形で菊野の凶悪さを支持することが公になることがこの結果によって抑えられたことを、残念に思う一方で安堵していることに気付いた。日本のMMAが現実に追い詰められ、アイデンティティを揺るがされる中で、アイデンティティを再獲得する方法として「国際化を受け入れ世界基準に適応する」か、「自らの歴史に回帰してその歴史を脅かす敵を破壊する」テロリストの道を選ぶかといった道が提示されるが、心情的にはそれは国際化したMMAになってほしいと誰もが思っているのだろうが、現実にはもう「対北米」という方向で集約される意思がまるでテロリズムの気配を帯びてしまっているように映るのだ。そしてメインの闘いにて、日本MMAの意思がそうした恐るべきものになることの気配を決定的にするのだった。

<<○青木真也VS×川尻達也(1R アキレス腱固め)>>

  <<参照エントリ・「青木真也VS川尻達也」/実録・日本連合総合格闘技団体・DREAM15への道程(文字クリックだ)>>

  この試合の構図に関しては上で語った通りであり、そういう切り口で語った中で今回の青木が大会開幕にて赤いパーカーや、試合にて赤いトランクスで挑んだことも、まるで日本MMAの歴史の新左翼性の意思が、共産主義運動の象徴たるその色を青木に見立てたようにさえ見え、追い詰められた連合赤軍という意味でその姿はこれ以上ないものだった。

  この試合でメディアをはじめ多くの人間が川尻が提供する「格闘技の国際化・北米を受け入れることにより日本MMAの世界基準化・スポーツ化」の、つまらないが、しかし安心できる未来に期待していたのだろうし、異論はあるだろうが秋山道場に通うことに見られる今の日本で最先端の北米MMAを学習しようとする姿勢で今回の対戦に臨んだことなど、川尻のスタンスは「日本MMAの国際化」に注視され、それが安易なものか強固なものか試されるのが今回の試合だった。

  だが誰もが安心したいはずの「国際化」は、連合赤軍の「粛清」によって完全に抹殺された。ここまでの凶悪な勝利を前に70年代を生き延びた森恒夫が「無思想の、ポストモダンの時代」たる、アメリカ性の浸透が決定的となっていく80年代の浅田彰を、村上春樹を「粛清」していくなどの異なった歴史が存在していた場合の光景のようにさえ見え、赤いトランクスにて勝ち名乗りをあげる青木の姿は日本MMAの極端な左傾化の象徴のように映った。
  青木が抹殺したのは川尻だけではなく、「4月の負けが大きかったから。ウダウダ言っているヤツは殺してやろうと思ったし、青木vs川尻の予想で川尻勝利って並べたクソ雑誌見て殺してやろうと思いました。くたばれって感じです……って、質問の答えと変わっちゃいましたね(笑)。」といった試合後のインタビューにもあるように、前エントリで言及した安易な「ガラパゴス化」という批判で「世界基準」を図ろうとする生半可な世論そのものであって、この勝利によって「青木は日本の価値観の中でだけ守られたガラパゴスの生物」だといった批判から、実は安易な国際化を選んだ川尻の方が、そしてそれを支持したメディアが真の「ガラパゴス」だったことを証明してしまった。安易な「世界基準」の判断で現状を批評しきれないレベルの批評能力の内輪観・疑似的な世界基準の判断こそ「ガラパゴス」批判の最低の部分だからだ。
  
  日本格闘技のとっての国際化とはなんなのだろうか?本ブログが「オウシュウ・ベイコク・ベース」を名乗っているのも、世界的にFIFAのような国際規範が不明な状況で、格闘技における「世界基準」を制定するのは、やはりこれまでの歴史通り欧州圏が制定するのか?それとも米国が制定するのか?といった点が日本の格闘技バブル崩壊後の視点として重要と思われ、その考察ということでこうしたブログ名にしているのだが、どうやらDREAMは国際化の道はとらず今後はテロリズム集団として北米に向かっていくのだろうという、極左と極右が共存する流れになったように思う。

  いつの日にか青木真也と菊野克紀が闘うことになった場合、その闘いにセットされている意味は新左翼過激派と極右の青年の闘いという、テロリストとしてどちらが上なのかを競い合う展開となるだろう。日本MMAはK-1のように明快さを表現するソフトとしての道から完全に大きく離れた。「K-163キロ級がTVとしてはまだまだ!」なんて批評はかわいいものだ。日本人がMMAを行うということは、少なくともこの2010年中はテロリストの凶悪性と近似したものとして関わることになるのだろうと思った。
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