オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


クリス・ワイドマンvsアンデウソン・シウバの再戦が発した神話のアーキタイプ

Category: 「見立て」の格闘観戦記録   Tags: MMA  UFC  
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 少々遅ればせながら
▼▼クリス・ワイドマンvsアンデウソン・シウバ 見立ての格闘観戦記録▼▼

前回の王座戦の考察twitcastingはこちらから

 クリス・ワイドマンとアンデウソン・シウバが再び対峙する光景から濃厚に感じられたのは、もしかしたら忘却になりかねない北米vs南米の構図のあまりにも明確な形であるだけでなく、それどころかリマッチによってはるかに明確になった徹底したリアリズムと先の見えない幻想(幻惑)の対峙から青年性と老人性の対峙、純粋と不純さの対峙までを含んだあらゆる陰陽の相克だ。つまり今年の最後の最後になって見事なまでに時代の変化から、あまりにも元型的な物語性までも象徴させたことが驚異的だった。





 UFCが誕生した当初の光景は、ブラジルのグレイシー一族の柔術が用心棒さえ含む大男たちを完封していくという血生臭いコンセプトであるにも関わらずミステリアスな印象を残す勝利を見せ続けていたことだった。もちろん現在ではそれはグレイシーきっての仕掛け人ホリオンの打算的なプロモーション戦略というのがとてつもなく大きかったことが知られていることだし、ヒクソンにしたってあのコピーも日本の佐山聡などが演出したのも込みで自作自演的なものが多分にあったことも書籍や発言を聞くことから感じられるし、いまでは実際の強さの位置もミステリアスさの仕掛けもほとんどバレきっているといっていいだろう。

 初期のグレイシーのミステリアスに当時もっとも対峙することになったのは、ダン・スバーンやケン・シャムロックといったプロレスラーだった。彼らはもともとはアマレスの猛者でもありそれを武器にオクタゴンの中に入っていった。プロレスがアマレスの猛者でなんて書き方はなんだか倒錯してるけど、まだMMAというジャンルがプロ格闘技として今のように広まる以前、カレッジレスリングなどの猛者がその技術を職業にする先というのがそこになる時代だった。

 初期のころからUFCでのMMA前進には振り返れば南米から来たミステリアスなグレイシーをはじめとした一派に対して、フィックスファイトからストーリラインばりばりのアクターまで兼ねるがその底にはどこまでも現実的な強度のレスリング技術が土台であるレスラーたちに見られる北米の対立というのがあった、と思われる。日本シーンではそれが大変に希釈されて「同じくウソや煽りによって観客の幻想を掻き立てる商売同士の対立」ということで「プロレスvsグレイシー」くらいまで単純化されたとも言えるが、北米vs南米の対立は歴史の中で唸るようにMMAというジャンルを拡大させてきた。





 しかし、もう現在は北米vs南米対峙というのは終結しつつあるのかもなという気分がここのところの北米MMAシーンなどを眺めるに思う。それはボクシング&レスリングの土壌でどこまでも現実的で規律のある北米と、世界の多数の格闘技が変節して混ざり合う変調の南米の対立ってのはもう最近の北米vs南米の対立では如実に現れてはいないなと感じるわけで、どの国であれ現代MMAの根本的なトレーニングと戦略は共通しつつあるかに見えるからだ。

 単純極まりない書き方になるけどたとえば南米のレジェンドたるビクトーや北米のアルバレスやエヴァンスを要するブラックジリアンの躍進ってのもあの北米的なフィジカルとタクティクスの作りに加えて、南米的な脱力や変調の詰めの混ざり方というのが今年のビクトーの躍進などに象徴されているかに見え(えー、全部印象論ですね)、MMAシーンの変貌に象徴的でもあったと思う。

  MMAの競技水準が莫大に底上げされていくことによって初期の対立感というのは霧散しつつあるかに見え、事実今年P4PであったアンデウソンとGSPの後退というのは、階級を越えたビッグマッチさえ期待されさえした北米vs南米構図の極地として捉えられそのままその構図の後退といっていいと思う。

 だがしかし、GSP対ヘンドリックスのような「北米vsよりフィジカルの強い北米」という否応なしの強度の張り合いでは時代変化・世代交代的な物語性を放つのにかけていたのに対して、ワイドマンvsアンデウソンというのは北米vs南米構図だけではなく、尋常ではない量のありとあらゆる相克の決戦というのが再戦からより明らかになる。





 前回の王座戦でのツイートキャスティングでも触れたように、また二つ前の記事での「戦績と試合内容を見ての今後の試合予想」の簡単なあらましでも感じたようにアンデウソンは実は現代MMA先端の構図であるレスリングオールアメリカンベースでMMAメソッド習得という選手と闘ってきていない。なのでワイドマンというのは実はアンデウソンの幻影というか、当時ミドル級でそのケースの選手が台頭していない穴を埋める形となったのか、初戦の王座戦はフロックではなく完勝といってよいと思う。

 なので今回の再戦も順当に予想すればワイドマンの勝利で間違いはないのだが、奇妙なことにオレはどうしてもジョシュvsトラヴィスを予想するように、ロンダvsティトを予想するようにどうしてもはっきりとワイドマンの勝利の絵図というのを想像することが出来なかった。どうしても明確な試合の絵が浮かばないのだ。なぜか?

 自分なりにそれを掘り下げてみるに、アンデウソンの特殊性というのは試合の中で、ほとんどといっていいほど強度の張り合いを行っていないことから生まれている気がする。

強度の張り合いっていうと曖昧なのだけども、例えば今年のUFCでも誰もが名勝負と判断できる試合が多く生まれたがあの凄惨なベラスケスvsJDS、メレンデスvsディアスなどを思い出してみればわかるが、彼らの試合の持ちうる技術と知性とフィジカルの限界までの接触戦というのが格闘技を観る視点の基本的なものになっていると思う。なのでその技術やフィジカル、経験を元に試合の絵図を予測していくのは(たとえ大外れだろうが)容易だ。

 ところがアンデウソンは通常の制空権の張り合いからフィジカルの張り合いといったあらゆる局面での強度の張り合いというものを徹底して避けている。おそらくはそのスタンスにより彼から神秘性から幻想性といったものが発生しているのではないだろうか?

 駄目なままになってしまったTUF発の青年グリフィンを完全にスウェイバックからのカウンターによるスタンドで圧倒し、ソネンが向かう強度には一瞬なすすべもなくテイクダウンまで持ち込まれながら、その後グラウンドで逆転。かといって柔術の猛者であるデミアン・マイアやターレス・レイチとのグラウンドでの技術の強度の張り合いには決して応じず、スタンドに離れて彼らを高らかに挑発するのだ。コンタクトスポーツに関わらず、コンタクトを徹底して発生させない脱力と攻撃に転じる変調のタイミングの凄まじさ。それがアンデウソンから様々な攻略法から試合展開予想を困難にしていたのではないか。





 かようにグレイシーから連なる世界の格闘技や武道が変節した形でブラジルより伝わり、決してスポーツの攻防を見る基本形である「ヨーイドンで始まるお互いの技術体力の競い合い」に応じない変調という、南米のMMA史の直系にして最高というほかないアンデウソンに真っ向から対置することになったのは、レスリングのトップの実績をベースに全勝のままトップへと駆け上がり、現実の持つあらゆる曖昧さや揺らぎをもロジックで解明に規律やコードを打ち立てることで対抗する北米MMAの直系クリス・ワイドマンだった。

 アンデウソンとワイドマンの対照は初戦の時点でも大きかったのだが、この再戦によってそのコントラストというのは莫大に増す。それはもはや北米MMAの強度と規律vs南米MMAの変調と脱力といったレベルだけではない。

 アンデウソンが入場する際の途中、座り込み長い時間何かを祈っているような、瞑想しているかのようなシーンが映った。オレは昔魔裟斗が引退し、石井がデビューする2009年のdynamite!を見に行ったのだが、その時のKIDvs金原の試合の時のKIDが長い時間曲がなっても姿を現さなかったことを思い出した。あの年のKIDは連敗しており、キャリアの曲がり角にきていたのだった。

 アンデウソンからはいつになく不安さが漂い、それに伴いミステリアスな幻想を生んできた人間の老化といった気配が漂っていた。それは息子ホクソンを失ってしまったあとのヒクソンの否応なしの現実にさらされた神秘のころさえ思い出すほどだった。そこに向かい合うワイドマンというのは何の幻想も、挑発といった不純さの数々も、そもそものキャリアの敗戦さえないという類のないくらいの純粋性、そして青年っぽさが際立っているのである。

 まったく当日までこの試合のいく末がわからないまま、二人が向かい合う絵図まで映し出されたときに痛烈に感じたのはもはやMMAの歴史では起こりえないかもしれないあらゆる対立が相克しているということだ。北米vs南米。強度vs脱力。リアリズムvs神秘や幻想。純粋性vs不純性。青年vs老人。





 こうした相克が生み出した光景はなんというか、あの結末さえ含めてまるで物語の元型的というほか無かった。


 試合を簡単に解析すればワイドマンはアンデウソンのすべての攻撃に対処し、完全に圧倒していた。初回タックル成功からアンデウソンが金網を背に立ち上がり、組の争いから首相撲にシフトしようとしたところもワイドマンはフックをかけきらないよう対応し、そこからテンプルへとパンチを当て、フラッシュダウンからグラウンドでの攻勢に行くという1ラウンドの展開の時点でかなりの面の勝負は決まっていた、なんて言えるのかもしれない。あのローキックの結末でさえワイドマンの対応の成果という評価が正しいだろう。

 しかし、こうした形でのワイドマンの勝利はもはやそうした技術の攻防など越えた光景であったことは確かだ。これまでの南米がアタックしてきた強度や規律を避ける変調に対しての、北米の規律とコードの最高峰が抑え込む。それは得体の知れない幻想や神秘といったものをリアリズムとロジック、そしてパワーで落ち着いた現実へと帰っていくみたいなそれでもあるし、青年が老人の作り上げたルールから権力を打ち負かす、純粋性が幻惑や挑発渦巻く不純さを圧倒するといったあらゆる緊張と緩和の末の物語性を解き放っているとしか思えなかった。

 ものすごくわかりやすい例なら「スターウォーズ」の最後、ルークとダースベイダーの対峙のようなもので、決戦の末に両者の真実がわかることで和解して終わるといったそれとも言えるだろう。かようにワイドマンのアンデウソンへの勝ち方に漂う物語性は現行のUFCではおそらくは最後になるかもわからないあらゆる対立や、北米vs南米といった対立軸がシーンで融解した現実の中で際立っていた。


 そして長らく暗黒面というか神秘性の根源を打ち破ったワイドマンのこの後に対することになるのは、現代の北米と年米の特性を消化しきり浮上したレジェンド、ビクトー・ベウフォートになるのだという。こんなのは出来過ぎで、青年が根源の皇帝だのを倒したあとには、残党としてナンバー2であったりする相手が立ち向かってくるだなんのもありがち過ぎてびっくりするくらいだ。アンデウソンが破れてMMAの一つの神話が終わったのではなく、今まさに新たにワイドマンから続くのだ。
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テーマ : 格闘技    ジャンル : スポーツ

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