オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


ユリウス・カエサル≒榊原信行・石井館長説・ローマの剣闘士の発生そして終焉

Category: もうひとつの格闘技史   Tags: ---
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よく興行格闘技なんかでも良くも悪くも例えられるローマの剣闘士、そういえばあれ一体どこから来てそして終わったの?
 

 最近「帝国を魅せる剣闘士」という、歴史研究の本ではあるがローマはじめヨーロッパ中で行われた剣闘士の発生と発展、そして終焉の歴史に特化して調べられた本を読んでたら、その闘いを見世物にする根源的な部分はもとより、当時からの興行なんて視点さえもフォローされており読んでいて何やら実に思い当たるふしさえあった。ということであまりに今にも繋がる面を見た本の書評しつつのエントリ。途中途中に何かイメージ動画が挿入されますが、文脈的にズレまくっておりあくまで読書中に想起したシーンという印象です。








 巨大な円形のアリーナにて剣闘士を闘わせるというローマの文化のイメージは未だに興行格闘技に対して神話的な意味合いを重ね合わせるイメージであったり、または人間を生命ギリギリのところを奪い合わせることを見世物にしている野蛮なものという揶揄としても重ね合わせられる。  

 そんな風にありきたりなイメージが形作られているんだけど、実際のところその文化の起源はどこから来たのか?というと様々な民族によって複数に説が分かれるという。その中でも「父祖の葬儀と剣闘士競技の結びつきが深いことが指摘」され「葬儀の図像にしばしば描かれる死霊の供養との関連も想像される」とされ、異なる民族同士が「葬儀の中で二人の戦士が対決する場面」が墓などに描かれたいう風に「もともと剣闘士競技と葬儀の関係は深いのであり、その伝承は深く認められている」と死の供養としての儀式的な側面が多かったとされる。

 ではなぜ殺し合いに近いそれが数々の戦の中での戦没者への供養の意味を持つようになったのか?というのも剣闘を行うのも「まずはあくまでも墓の近くでなければならなかった」ということで「そこでは死者の魂が残存しており、血を流すことが何らかの役割をはたすとみなされていただろう。」と推察される。「肉体を離脱した魂の残存は仮の束の間であり、そのために魂には滋養が必要であり、人間の血はその最高の養分であると古代人は考えていたらしい」のだ。当初は血生臭い見世物ではなく宗教的儀式としての側面が大きかったというのだ。

 だが儀式的ものから「宴会としての見世物」などと極めてシンプルな見世物へと変化していき、広まる。その中で戦没者への供養の意味というのは失われていく。「もともとは追悼競技は葬儀集会の一環として成立したもの」から「民衆は剣闘士競技の見世物にしばしば通うように」なり大衆娯楽と化していく。このあたりから現在のローマの剣闘士の基本イメージは出来上がっていったといえるだろう。

 大衆を動員し熱狂させる剣闘士競技はその人気ゆえに「元老院も剣闘士競技を公の見世物として認めざるを得なく」なり、大会を「主催し挙行する役割を最高公職者のの統領に委任する。」という風に政治のサイドにも関係してくる。「結果として、剣闘士競技を開催することが公職選挙の運動と結びつくように」なっていくという今で考えれば東京オリンピック開催における政治の関係みたいなものなのだろうが、当時のこれはマジもんの命の取り合いでそれなのできな臭さが半端ではない。猪瀬元知事が大衆を動員させる経済効果を見越してPRIDEを…その流れで当時DSE榊原信行氏も政界に…とか少々時系列のゆがんだ妄想ながらそういう感じといえる。失神しかねないきな臭さだ。

 
 剣闘士競技は巨大な娯楽として「公職選挙に限らず民衆の歓心をかう有効な手段として」政治は着目するようになり、その戦略の中で葬儀や供養としての結びつきを失わせ、エンターテイメントにしてしまうことで民衆の注目をより集めるように変換したという。当初の儀式性を失わせたのがまさに政治の戦略ゆえと考えれば実に皮肉な話なのだが、そうした民衆のサイコロジーを引っ張ることを理解し利用したのがあの歴史的政治家であるカエサルというからたまらない。



 
 「彼は共和制の終焉を警鐘したばかりではない。剣闘士競技の歴史においても、画期的だった。贈物としての見世物が堂々とその姿をあらわすようになる。」というようにカエサルはただの競技だけではなく、演劇の上演から「ベン・ハー」でおなじみの戦車競技、体育競技などの多数の催しや「銀製の武器を持つ犯罪者を野獣と闘わせる」というミノワマン路線まで配置するというプロデューサーぶりを発揮したというのである。「テルマエ・ロマエ」で日本の風呂へと時空を行き来するオッサンとして最近では有名だけど、格闘技ファンからすればもはや小泉純一郎が榊原信行や石井館長のやることを同居させているようなキナ臭過ぎる気配ばかりを痛烈に感じざるを得ない。「政敵ポンペイウスが、すでに数百党のライオンや数百匹のアフリカ産の動物を殺す野獣狩りの見世物を催していた。」そのため「カエサルはみずからの勢威がこれまでの有力者たちのおよぶところではないことを見せつけなければならなかった。」という政治闘争の背景も込みでエンターテイメントを豪華絢爛に加速させるという実にマンデーナイトウォー感が爆発する話過ぎるのだ。



 しかし政治闘争のなかで加熱する剣闘士競技バブルも「それが国家秩序を脅かしているとかじる人々も少なくなかった。」ため、「少なくとも見世物の提供される規模や範囲に何らかの規制を」という動きが生じたというのである。これもまた様々なジャンルでびっくりするくらい観てきたお決まりのコースとしか思えんようなことが紀元前の時点からあったことも興味深いが、規制のなかで興行数は減少。とはいえその時々の政治環境や、トップである皇帝の興味次第で変動していったという。


 やがて剣闘士競技が終焉に至る契機がやってくる。完全に死者への供養といった宗教的意味を失い血まみれのエンタメへと走ることに対して反発する政治家も少なくなく出現していったことも関係はあったというが、大きな区切りとしては「キリスト教の普及とともに終焉した」という説である。

 キリスト教の批判は剣闘士競技のみではなく「戦車競走も格闘技も演劇も俎上にあげられている」のだ。「キリスト教作家はこう述べている。”戦車競走場でかっとなり口論している人々を見て嫌悪しないものがいるだろうか”」確かにこの辺は毎日のようにtwitterで格闘技周辺の口論しまくりの現場を目の当たりにしてることを喚起してしまうが、それはともかくこの宗教の浸透による社会環境の変化というのも影響があったという。

 しかし、終焉のクリティカルな理由となったのはもっと根源的なことだった。かつての剣闘士競技では「おおよそ五組10人の剣闘士が闘っても、一人が殺された程度」であり、敗者を生かすか殺すかは「これまでの戦績や戦いぶり」が考慮されており、負けても魅力的な戦いをする選手というのはすぐに殺されることはなかった。当然、興行主にとっても「剣闘士は動産であり資産」のはずだった。ところが、敗者がほぼすべて殺されるという時代に突入したというのである。しかもそれが「手に汗をにじませて熱戦を観ることよりも、人が血を流して殺される場面だけにまなざしが向いているのではないか」とされるほどであり、「民衆は敗者が死を望む場面をもっと見たかったのかもしれない」という凄まじく残虐な部分にアクセルが踏まれ、剣闘士が減少することに伴う競技自体のグレードが下がるという負のスパイラルに突入したことが関係しているという。

 さらにはその当時の国家の環境もパックス・ロマーナの時代が過ぎ去りつつあり、危機の時代に突入。内紛が絶えない混乱期に入り、ローマの内部だけでなく外部からもゲルマン人の侵略との抵抗が始まる。そうした時代の中では「剣闘士の武装は単純化し、戦いが生きるか死ぬかになった」そしてゲルマン人など他民族との戦争によって捕虜にした人間を「剣闘士として戦わせ、その多くが血を流して死んでいった。もはや殺すか殺されるか、文字通りの死闘であった。」という。

 もちろん「そのような滅茶苦茶な流血の惨劇が観衆にとってわくわくする見世物だったのだろうか」ともはやエンタメを逸脱しており「剣闘士の多くが罪人同然の戦争捕虜からなるのだから、敗者は殺されるしかない。剣闘士たちの死闘はもはやスポーツ競技ではなくなっていく。ただただ死にもの狂いで武器を振り回すだけの戦いが繰り広げられる」という。




 ここまでえげつない状態になってもなおこれを見世物としていたのは、もはや内政も混乱し外敵も来ている状態で、ほぼ軍国主事と化した当時の「人心を高揚させ活発にする見世物を与えることなら、ためらいはない」そのため「剣闘士競技の流血は観衆を武骨にする」役割であったゆえだという。なおも政治と剣闘士興行は繋がっているためその時代背景が露骨なほど興行に反映したというのである。

 こうしてキリスト教の浸透や、数世紀に及ぶローマ帝国の平静が終わったことなどなど、様々な要因が重なっていった結果剣闘士興行の文化は終焉を迎えていった、と本書では推察されてている。数世紀に及ぶローマの代表的な文化の発生と終焉には、宗教的な部分から見世物に変わり、国家が民衆を牽引するための意味などがかなりの部分含まれるなど数多くの示唆が含まれているし、そして当然のように存在していて、ずっと続くんじゃないかと見えたそれがパッと失われるという文化の終わりと時代の終わりまでも示唆しているかのようである。
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テーマ : 歴史    ジャンル : 学問・文化・芸術

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