オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


ついに日本で”リング・サイコロジー”という英語圏の活字プロレス用語は翻訳されたのか?

Category: プロレスの生む物語   Tags: プロレス  
 AJスタイルズを破り、リングに寝転がって観客を挑発する内藤哲也

 すげえすげえと話題になったオカダ・カズチカvsケニー・オメガを地上波で見て、そのあとちょろちょろと反響をネットで眺めていてもっとも興味深かったのが青空プロレスニュースさんによるレスリング・オブサーバーの抄訳だった。

 なにが琴線に触れたかというと、単なる試合の質の高さに共感するみたいな部分ではなく、とある用語を使って批評していることが向こうではオーソドックスなの?、ということ。その用語とは「サイコロジー」(psycology、Ring psycologyとも)という言葉だ。

 レスリング・オブサーバーの記者デイブ・メルツァーは棚橋vs内藤を「この試合のサイコロジーは凄まじかった(トレメンダス)!」と評している。なんとなくその感動の様子はわかる。だけどこの言葉はしばしば聞くけれど、いったいどういう意味なのだろうか?なにか現行のプロレスをスムーズに見通すことのできる概念ではないかということであらためて調べてみたのだった。ひっさびさのプロレスネタですが、今回は激烈に長いです。

日本での「サイコロジー」って言葉は(ネットレベルで)どこまで使われているのか?

 「リング・サイコロジー」 レスリング・オブサーバー誌を購読してるような方にはほんと今更な用語だと思うんだけど、いまの日本のプロレスを捉える意味で腑に落ちる用語だと感じる。かつて国内のプロレスとは「闘い」、プロレスとは「殺し」などなど、裏に真剣勝負かまたは潰し合いかというニュアンスから批評がしばしば見られたと思うが、2000年代に限界がきた。では時代の変わったいま、そこにとってかわる活字プロレス(すごいジャンル名ですね)言語はなにかというと、このリング・サイコロジーというのはいい観点だと思う。

 しかし実際のところ、国内でこの言葉はどれだけ使われているのだろうか?Wikipediaのプロレス用語には存在すらしていない。例えば1997年の早い段階でWWEの方向を評価し、国内のプロレス論評の方向を変えようとした田中正志の「プロレス・シュート宣言」で使われた用語をまとめたページを見ても、「プロレスはいかに演じられ作られるか」という観点でアングルやセルという業界内部の用語がまとめられているのだが、サイコロジーという用語は見当たらない。ここで上げられた用語の多くはネットでおなじみになった。でも「プロレスは勝ち負けが決まったうえで楽しむべき。だから裏の作り方を知るべき」というのは当時、「闘い」を標榜する国内プロレス文脈のアンチとして意味があったと思うけど、でもやっぱり足りないんじゃないの、というのが今の気分である。


 いまちょっと「プロレス サイコロジー」って感じで検索をかけてみてトップに出てくる記事はなんと今からおよそ10年前、2008年にTAJIRIがある団体のある選手を強く批判した記事だ。「○○選手の試合には基礎が無い、サイコロジーがない」というやつ。その次が2014年に週刊SPA!による元WWEのFUNAKIのインタビュー。ここではフミ斎藤が文責を務めているのもあり、リング・サイコロジーについての簡単な定義が書かれている。

サイコロジーPsychologyとは心理学、(個人・集団の)心理、心理状態、人の心理を理解する力のことだが、プロレス用語でサイコロジーというと“プロレスラー”と“観客”のコミュニケーション、“リング上”と“観客席”の対話といった意味になる。プロレスラーと観客のコミュニケーションには、基本的にはコトバによる会話ではなく、非言語コミュニケーションNonverbal Communication(言語以外の手段によるコミュニケーション)が用いられる。

 非言語コミュニケーションは体の動き(身ぶり・手ぶり)、顔の表情、視線、相手との距離の置き方などを使ってメッセージ(感情・意思)を伝達するコミュニケーション方法で、人間は日常生活のなかで、コトバによるコミュニケーションと同じくらい、この非言語コミュニケーションを使っている。


 主にレスラーが観客に対してエンターテイメントを提供していく手法という側面が強く、いかに肉体や行動を使って観客に伝えていくか?という意味合いが強い。検索のトップにWWEで長く活躍した日本人であるふたりが出てくるゆえにアメリカンプロレス的な「作り」みたいな意味合いも暗に感じるかもしれない。実際、非英語圏の言説で日本語圏限定の文脈である個人ブログで「サイコロジー」という言葉が出たケースは2010年の記事だが「サイコロジーなんていらねえよ」という鮮烈なタイトルで、2010年に行われた丸藤vsプリンス・デヴィットで大技を連発する試合に感動したことを評して「最小の力で最大の効果を得る。少ない技で最大のフィーバーを得る。それがスマートである。(中略)でも、それを見る側が唯々諾々と受け入れるのはちょっとどうなんですかね。僕らファンから見たら結果が全てじゃないですか。サイコロジーをふんだんに使っていようがなんだろうが、凄いものは凄いし、凄くないものは凄くない。」と辛辣である。要するにプロレスにおけるサイコロジーとは大技を多用し受けきったりするプロレスの凄みというやつを伝えるそれではなく、しゃらくさいものとして捉えられている。一方でレスリング・オブサーバー誌の抄訳をよく行う、北米での言説にも明るいOMASUKI FIGHTさんではサイコロジーという言葉での評論は当たり前のように使われている

ではRing Psychologyという用語は北米ではどうなのか?

 国内ではWWE経験者などや、レスリング・オブサーバー誌など北米の言説に触れている方が主に使っていると見える。では実際の英語圏ではどうなのだろうか?ちょっと検索すると「WWE: 10 Awesome Matches That Showcased Great Ring Psychology」(WWEで偉大なリング・サイコロジーを見せた驚くべき10の試合)などの特集が出てくる。ここではフレアーやブレット・ハートはもちろん、CMパンクやクリス・ジェリコなどなどのWWEスーパースターらの名前が挙がっている。

 一方、国内における「闘い」「殺し」みたいな用語の定義がはっきりしないように、Ring psycholgyという言葉は非常に重要な用語としてファンやメディアに多用されながらはっきりとした定義は確立されていない。いわゆるバズワードの一種として横行している面もあるようだ。フォーラムなどをちらっと覗いても「99%が誤用されているクソッタレな言葉だ」という辛辣な意見も見かけるし、このあたりもなんとなく国内における「闘い」とか「殺し」みたいな用語の、なんとなく概念はわかるがはっきりと定義しないまま使うかんじに近いかもしれない。

 ざっくりとレスリング・オブサーバー誌の抄訳やアメリカでのレスラーのインタビューでも「サイコロジー」という用語は頻発するのだが、やっぱ明確な定義がないからある程度、概念を整理しようとしている記事も見当たる。むこうの個人ブログなんかでは「What is Ring Psychology?」とまとめている。ここでは、「二人のレスラーが織りなすストーリーだ」ということを主にしている。

 ふたりのレスラーを想像してみる。レスラーAとレスラーBだ。レスラーAは飛び技を使うレスラーで、シン・カラを想定している。レスラーBはヘビーウェイトのレスラーで、サイズ的にはトリプルHあたりを考えている。二人がやり合うと考えたら、勝つのははっきりするだろう。しかしながら、ストーリーテリングがそこに入り込むと、物事は一転する。

 レスラーAはレスラーBの背中に飛び技の目標を定めるだろう。同じく、レスラーAが飛び技を使うのは知られているので、レスラーBは可能な限りグラウンドに相手をキープしておきたい。まあこれは理にかなっているんじゃないか?ところが、そうはならないんだ。一例として、この試合を一通り見てくれ(解説の音を下げるかはご自由に)。このタッグチームの試合はフェニックス・レスリングというイギリスのプロレス団体で、試合順を見るにメインイベントの試合だ。こりゃあまったく流れの無い試合、なにが起きたのがまったくはっきりしないんだ-いくつかの点をまとめると、”説得力”が足りない試合をしているんだ。もし彼らが試合中に飛び技のレスラーのひとりを完全に潰したなら、もうすこし説得力が出ただろう-あなたがちっちゃな敵ふたりを相手にしているとして、まずひとりに集中して相手するってのは理にかなっているだろ。

 リング・サイコロジーはもう一方では、観客をどう沸かせるのか?を重要としている。レスラーが何らかの大技を当てたなら、彼は技を受けた側がよろけて動きがスローになっていること、痛みと苦しみを訴えるアピールをすることを期待する。もし受け手が立ち上がって、普通にリングを動き回ったとしたら、なにしてんだって小突かれてりゃいい。同じように、試合が始まったとき、観客は試合に興味を持ちたがっている。レスラーはそんな観客の注目を掴むことを求めてる。もしレスラーが観客を試合中に巻き込めなかったら、そいつらは原っぱのド真ん中でレスリングしてりゃいいんだ。




 TAJIRIのブログでも「ストーリーを形づくること」という考え方が出てくる。まだ若きオカダ・カズチカとの試合をのレポートなのだがいかにして自分の体格やキャラクター、持ちうるムーブから説得力のある試合内容を構築していくのかが書かれている。オカダの左腕を狙った試合展開をして「左腕を主人公にした一話のストーリー」そういうプロレス、ボクは好きなんだよなあ。で、こういうのが「ひとつの」サイコロジーと呼ばれるものなわけ。‘‘理詰めである‘‘ということね。」と語っている。また、後日の棚橋と絡んだ試合でのレポートでは「重要なのは「技」を見せることではなく、「キャラクター」を見せることなんだって。誰がどんなキャラクターなのかハッキリさせておかないと、リングで織りなす「物語」を楽しんでもらうことなんて出来るハズがないんだから。登場人物にそれぞれ個性がなかったら、どんなに優れたストーリーだろうと面白くもなんともないでしょ?」とシンプルにまとめている。


 さっき上げたFUNAKIのセミナーのインタビューなどと組み合わせて簡単にまとめると、リング・サイコロジーとはレスラーが自らのキャラクター性を活かし、感情を見せるようにムーヴを使い、試合の中でストーリーをくみ上げていくこと。そして説得力のある内容を生み出し、観客に披露する一連の考え方であると捉えられる。そしてそれはアメリカンプロレスに限定されるわけではなく、振り返れば「闘い」を標榜する国内の往年のプロレスであったとしても、見て取れるようだ。

広い意味を捉えるサイコロジーという用語 

 長らく闘いや殺しみたいな視点に囚われていた2000年代、水面下で各所で進んでいた日本のプロレスのWWE的な現代化も、いよいよ日本でもブシロード新日本が表だってWWE化的な形をぶち上げ、収益を上向きに変えている現在。往年のような水面下で真剣勝負や勝敗を競い合う緊張感、はたまたヒエラルキーの逆転やマウンティングで潰し合う内部抗争的な空気を救いとる言葉よりも、別の視点にシフトしてるのはそのリング上の内容からしても明らかだ。

 国内では闘いや殺しという観点がなくなると、途端に極端な評価が横行してしまいがちだった。例えば「じゃあプロレスは演劇か」「プロレスは学芸会か」。実際、闘いが限界に来たということで無理やりWWE的なことをやろうとした団体ハッスルなんかは極端なくらい、旧来の闘いの要素を排した結果、上記の言葉はよく言われた。しかしそうした批判を吹き飛ばすほどはっきりとハッスルが質の高い内容を提供できていたかというとそうではなかった。ハッスルは試合内容を簡略化し、主にWWEのスキットや極端なキャラクターを演じるギミックの点を特にコピーしていた団体だったが、逆説的にWWEが決して試合内容が何もないわけがない、ちゃんと試合内容でも語れる代物であるということを証明してしまった。このあたりに変な話なのだがプロレスというジャンルのもつ、コアな何かがあると思っている。

 そのコアな何か、を捉え、比較的広い意味で「サイコロジー」という言葉が指示する範囲をまとめていると感じたのはTv troopでまとめられた用語解説だ。「サイコロジー」という用語はアメリカでのプロレスに限定される先入観はあったのだが、ここでは新日本プロレスの永田裕志の名や、アメリカンプロレス的な観点とは対極にあるだろうUWFも取り上げられており、そこでは高田延彦や藤原喜明、タイガーマスクが挙がっている(とはいえ全員俗に「上手い」と評されやすい選手ではあるが)。ここでのエントリは比較的、この用語が指示する範囲の広さを示しているため、なにかプロレスというジャンルにしかないコアなそれを見取るヒントにはなりそうだ。

まとめると


 こうしてリング・サイコロジーという言葉をざっくりまとめてみて、とくに腑に落ちるのは、闘いか、そうでなければ演劇かという観点から離れ、プロレスをやる側の意識とみる側の意識をつなぐ意味でスマートなことだ。少々定義の定まらないバズワードなきらいもあるが、このジャンルのもつ深遠を特にこの時代に捉えるにはいい言葉な気がする。昔格闘家のやるプロレスとか横行したけど、あれは今考えれば一応格闘家で勝ってるので「強さ」「闘いで勝ってる」説得力はあったってことだろうが、軒並み格闘家本人のキャラクター性(実際にやってる格闘技を生かすことを含んで)をまったく生かすことも、試合の中でストーリーを語ることもなく、うわべだけのプロレスムーブを繰り返すといういわばサイコロジーのまったくない内容とはあのことだよな、とかおもったのだった。

 「シュートを超えたものがプロレス」という言葉があるらしいが、これは「プロレスはエンターテイメントで観客を楽しませればいいもの、ただ勝てばいいわけではない」という風に解釈されがちだったとも思うのだが、これもいまからすると実際にプロレスを行う側の観点を外した解釈だ。プロレスを形作るサイコロジーについてまとめながらこの言葉を反復すると、みるみるうちに味わいは変わる。当の試合を構成するレスラー側の闘いを考えると、これも深遠な意味を持つ。
 
 国内のトレンドは完璧にWWEを意識してかわったわけだけど、では言説のほうが変わっていくこともあるのだろうか。サイコロジーという、キャラクター全盛で試合に筋書きが決まっていようと、当のレスラー側の意識でたゆたう部分を救いとる言葉は日本でももっと使われるようになるのか、そうではないのか。
 
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テーマ : プロレス    ジャンル : スポーツ

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