オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


記憶喪失・石井慧・K-1・疑似的なアメリカ・キックボクシング・MAX・MMA

Category: 「見立て」の格闘観戦記録   Tags: ---
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<<K-1MAX2010 FINAL TVでの記憶障害観戦記録>>   

○○BGM・英雄葬送曲 ○○ 

<<pm 11:04 放送終了から10数分>>

 何に一番近いかと言えば記憶喪失した感じで、ジャメビュともいうべきか試合内容自体の強度は保証されてるにも関わらず知らない内に、日が浅いとはいえ、自分の見てきたMAXの記憶や歴史と分断された知らない光景がそこにあった。
 「これが世界の闘いで~」とアナウンサーが喋るのが奇妙なまでに空疎に聴こえた。それはブアカーオもアンディ・サワーもいないせいなのが関係しているのかは分からなかったが、何か解説が何を言っているのかがよく理解できないという瞬間に加え、なぜこうした試合、こうした客席の静寂があるのかまで理解できないという瞬間が続いた。自分がさっき見たのは何だったんだ?とさえ感じた。




<<pm 9:00 放映開始・長嶋自演乙雄一郎>>

 具志堅氏のところでのトレーニングというのはマス的には知名度+コア的にはザンビディス対策という意味で長嶋の次の段階へのシフトって意味では絶妙だと思いながらネットで前日の記者会見のニュースを覗くと、なんと急遽参戦となった石井慧に、興行のジャンルの問題のズレに対しての言及はいいにしても「なんなら大晦日K-1ルールで石井とやる」と発言したことは間違ってるように思えた。
 運営の方式やTBSへの怒りが結果的にその発言に結びついたとはいえ何に気配が近かったかというとかつての青木真也の秋山成勲への挑戦のマイクの気色悪さで、自称する「格闘技オタクならわかるはずなんです」という長嶋の部分の嫌な面に、実のところ「本業はコスプレイヤー。格闘技はバイト。」という、表層の面で反感を買いやすい半面、初期のメジャー進出時のピュアさから、あのクラウス・シューイェンとの敗戦を経て日本トーナメントを優勝するまでに、真にメジャーで生き残るためにスタンスを変えた結果、格闘技に真摯になることで逆に繋がってしまったように思え、皮肉な話のように見えた。

 「闘うのは世間ですから!」という格闘技オタクなら今石井を叩くことに関してのカンの鈍さは気付いてもいいものなのだが、アニオタとかコスプレに関連しない具志堅氏に師事を受けるほどに真っ向から取り組むこと(を、TVの煽りでフックとして使ってしまったこと)が、奇妙な逆転現象として青木や佐藤のような「TVや運営側の便宜的な仕掛けに嫉妬や怒りを元にした発言させる」ことに行きついたように見え、実質的には先の「世間と闘う」の宣言と真逆の典型的な格闘技オタクなら誰でも言ってるような所に行きついてしまってることが今回の最悪さの一つだった。なんか前に思った石井の解釈の仕方で大体その人の格闘技観が分かるとか書いたが、それに当てはまってしまったという感じだ。
 
 ザンビディスとの対峙で距離を思うように作れない序盤の展開の中から、2Rから膝や前蹴り(三日月蹴り?)を使って距離を取り始めていく、という中で、ポイントがリードされる中で3Rにザンビディスが長嶋を捉え、ダウンを奪った時、立ち上がる瞬間の長嶋の不服そうな顔は、中島戦での気迫と別の、去年のシュー・イェン戦で始めに取られた時と同じ「違う」「こんなはずじゃない」というような予定が狂ったのを示す後味の悪いもので、セコンド陣営から練習内容、戦略などの競技力の底上げはこの1年で為されたのだろうがそれ以上の自己のファイター像の成立、という面では先の石井への発言も含めて未完成であることを露呈したように思えた。長嶋の不服な表情が払拭されるときがファイターとしての本当の進歩を示す時だと思う。

<<pm 9:27 ペトロシアン・クラウス・ドラゴ・佐藤嘉洋>> 

 格闘技を見始めた初期はHero'sとK-1MAXを主に見ていて、自分の中ではそれらFEG・TBS連による「テレビ格闘技」のドグマにおいてある感情は、直感的な評価で共感が得られにくいかもしれないが、華のあるタレント性のある人間たちによって視聴率を狙うというスタンスがアメリカのドン・キング的なショー・ビジネスとしてのボクシングの疑似的なものに直結したものだと思っていた。(そういう意味では亀田三兄弟も系列に含まれるかも)
 間もなくPRIDE崩壊に伴い、旧DSEがFEGと繋がることでHero'sと併合する形でDREAMが誕生したあたりから「ヒーローが勝つ」ショービジネスから「幻のPRIDEライト級トーナメントの実現」というショースポーツに急激にシフトしようとする捻じれ方が、現在に繋がる格闘技バブル以降のうすら寒さなのだが、そんな旧DSEとの併合以降でもコンスタントに疑似アメリカボクシング性を保っていたのがK-1MAXで、魔裟斗を中心にサワー・ブアカーオ・クラウス・佐藤らによって生み出される興行と競技の強度のバランスは、テレビ格闘技番組という評価ではあるが今更ながら非常に安定していた。

 そのK-1MAXも、今年あのPUJIによる資本の提供をFEGが求める現状になっている中で、ペトロシアンに優勝賞金が支払われないというニュースなどやアンディ・サワーとブアカーオのMAXの欠場などによって、大きくその形を歪めることとなった。K-1ライト級の創設に加え、K-1甲子園組の躍進などによる、キック団体とメジャーとしてのK-1という場としての境界を破ってヒエラルキーを形成しようとする流れという好材料があるにしても、もともとのミドル級の分裂のダメージは「石井慧の出場」を象徴に今大会が極に達していたと思う。
 
 佐藤の表情はわからなかった。強靭な意思だとか魔裟斗なき後のMAXだとかについて去来する心中は不明で、空疎な印象ばかりが残り、ペトロシアンの強固なテクニックは雑誌やコアファンの技術分析によってようやく伝わる質のもので、GSPやBJペンになれるはずなのだがこの国のこの興行の基礎構造と相反するものであり、彼らの空疎さの底には元々いち競技者であり場としてのK-1に関してはそこまで思い入れが無く、K-1がどうして今日までのメジャーの位置を保っているのかのコンセプトを追う気も無いように見えた。

 11月23日の「S-CAP」というのがこの日のK-1MAXの裏として誰もが捉えるのだろうが、サワー・ブアカーオの出場に加え、MAX参戦が望まれていた梅野孝明からDJtaikiの出場などMAXが抱えていたアグレッシブな部分が明らかにこうした形で分裂し始めているのを見て、ここがやっぱり歴史の分岐点なのだろうと思った。

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<<pm 9:54 石井慧とAKB48の新曲>>

 石井慧がこうまで叩かれ、おまけに叩き方にも叩かれ方もまったく豊穣でなく後味が悪い。それだけに語り方だけで大体その人どれくらい意味で格闘技を見てるのかすぐ分かる。基本的に諸海外に具体案で闘っていくのはなれないのに対し国内でのドメスティックな的当てはみんな強い。自戒を込めて思う。
 
 K-1と銘打ちながら石井投入に関して適当な良識ある誰もが適当な良識ある文句を言うわけだが、叩くにしても正直言ってここまで的のでかい所に、良いとは言えない現状の格闘技界に対して夜半の餓が引き寄せられるかのようにして不満を当てに行きやすい。それだけに長嶋自演のミスはでかい。

 しかし、ナンセンや噂された代わりのファビアーノ・サイクロンという立ち技の選手ではなく、柴田勝頼が選ばれたというのもTBSの慣れた手駒としての判断(ここまで書きながら思ったが、柴田も推すプロレスファンもそういう立ち位置怒らねえのかな?プロレスに戻ってこいとか言う人もいるし、良く分からない。総合で負け越してる人間がもどれるのがプロレス?それでいいのか?ふざけんな勝ち越して戻ってこい!じゃねえのか?何故猪木の真似事ポーズに怒らねえのか?)なのだろうが、どうにも石井の評価の変動という意味でツイてないマッチメイクの変更で、「ミノワマンの復讐」とか心で思うしかなかった。MMAに渡ったプロレスラーとの連戦がこうも続くならその決着戦として大晦日は新日本プロレスの中邑真輔を当てろッ!!と強く心で願ったのだった。誰も望んでないしもはや時期的に決まったとしても場当たりで唐突。それでもそのカードを年始から私が願っていたことは黙っていようと思った・・・・


<<pm 10:08 HIROYAと狂気>>

 今大会中で最も残酷なマッチメイクが、唯一自分の今年のK-1の記憶を繋ぎ止めていたのでこの「HIROYA VS 久保優太」が消去法で今大会ベウトバウトだ。
 谷川氏の「もうこの選手は推してたけど繋がんなさそうだからいいや」と捨てかける瞬間の暗黒性の強いマッチメイクは、予想通りに「雑草久保と魔裟斗の認めた男の対立」なんて煽りが完全に逆転し嘘のようにしか聴こえないという意味でものすごいカタルシスがあった。
 もうホントにHIROYAの、あの丸みのある顔立ちから感じる温室育ちの雰囲気と対比して久保の凶悪性は尋常でなく、対峙するHIROYAの泣きだしそうな表情を見るに同情してしまうほどだった。

<<pm 10:46 決勝・記憶の分断>>

 気迫の空疎な試合が続く中で石井慧VS柴田勝頼という番組の段取りが巻き起こす記憶喪失感はあまりにも強く、今本当に自分がK-1MAXという番組を見ているのかどうかさえ分からなくなっていた。今年1年の締めくくりとしてのこの大会は毎年疑似的なアメリカンショービジネスとしての完成度を保っていたのに対して、そうした魔裟斗をはじめとするショービズ性が取り払われた今回というのはある意味では競技的に理想的な大会として後年評価されるか埋もれるのかは分からないとしても、その競技的な気配の大会というのはこうした光景になるのだなと思った。会場の静寂はおそらく魔裟斗後の世界でほぼ全員がブルジョアのコアファンだから「歓声=ショービジネス=野蛮、だから静かにたしなむように見る」からだろう、きっとそうなんだろうと思った。ペトロシアンに対してはおそらく「肉声を発して応援すること=底辺の人間による応援の行為」みたいに解釈され、会場からは同一のESPの能力を持つ人間ならば感知できるテレパシーによって大声援を送っているのだろうと感じたのだった。心の中で記憶が寸断されていく感覚がある。

 今年の上旬に望まれるも、ファイトマネーによって先送りされたなかで、遂に決勝にて実現した、という今年のドラマ性を心で加味するも、そこで実現された「佐藤VSペトロシアン」が生み出した光景はドラマの決着点・新時代の幕開けによる高揚も生み出しはせず、奇妙な印象な逆転がここでも行われ、どこかで「K-1ライト級は
ただのキックボクシング興行の換骨奪胎に過ぎない」というのを見た覚えがあるが、自分にはここで行われている闘いこそがK-1でなくキックボクシングの世界の転移のように思えた。
 ショービズ性をほぼ「石井の参戦」にのみ留めたことによって展開された今大会の終幕は、そんな風にして行われた。ここがきっと歴史の折り返しにあるのだろうと思った。会場の観客たちは優勝したペトロシアンにテレパシーでエールを送っているようだった。テレビを切る。
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Comments

会場組で、帰宅後にTVの映像をちょこっと見たのですが、実際はTVで拾った音声よりも全然歓声は多かった印象に思いました。特に佐藤に対する応援は過去にないくらい多かったですね。そう考えると、マサト時代がいかに異常だったかですね。
会場のファンの欲望が完全に一致していたマサト時代と違い、今回はファンの欲望が完全に分散されており、それが声援の小ささに繋がったのだと思います。プロモーション不足も原因としてありますね。
試合は、WOWOWボクシングやUFCを見ている層から見ると、到って普通の水準で、むしろ海外競技のほうがつまらないと思ってしまうこともあったりするのですが、3月の日本トーナメントのような神興行のクオリティを毎回求めるというのも酷なものであり、ここに今の現状の苦しい立場を認識し、スターを求めようとする層と、技術ヲタ層との考え方の乖離を感じてしまいました。
Re: 銀玉様(現地観戦お疲れ様です!)
> 会場組で、帰宅後にTVの映像をちょこっと見たのですが、実際はTVで拾った音声よりも全然歓声は多かった印象に思いました。特に佐藤に対する応援は過去にないくらい多かったですね。そう考えると、マサト時代がいかに異常だったかですね。

 自分が気にかけているのは日菜太や自演、佐藤ら個人についている応援団のエールと別物の、試合や興行が生むスペクタクル(分かりやすい例をあげるなら、ザンビディスVSシャビットのような)に反応しての歓声の水準が過去最低であった、というのが気にかかっております。

> 会場のファンの欲望が完全に一致していたマサト時代と違い、今回はファンの欲望が完全に分散されており、それが声援の小ささに繋がったのだと思います。プロモーション不足も原因としてありますね。

 K-1MAX正史の記憶たる魔裟斗時代を振り返ると、魔裟斗のスタープロテクトの害悪が的になるのですが、しかし一方ではサワーやブアカーオらによる競技能力の水準なども保証されていて、決してかの時代が異常なのではなくテレビ格闘技(この言葉にはいろいろ語弊があるかも知れませんが、表層から内容までのトータルなパッケージの象徴として)のクオリティとして、PRIDE崩壊以後では屈指のものを保っていたわけで、そこの崩れ方がここまでになったのはなぜか?正直言って過去のGPもKOではなく判定での決着が多かったのに、試合内容自体の強度も比較的高いのにこの空疎さは何故なのか?という。イージーにTBS批判に行くのも可能ですが、それ以前に佐藤もペトロシアンも多分MAX潰れてもそこまで本人にダメージはねえんだろうな、少し気に病む程度で。というくらいの思い入れに見えたというか。

> 試合は、WOWOWボクシングやUFCを見ている層から見ると、到って普通の水準で、むしろ海外競技のほうがつまらないと思ってしまうこともあったりするのですが、3月の日本トーナメントのような神興行のクオリティを毎回求めるというのも酷なものであり、ここに今の現状の苦しい立場を認識し、スターを求めようとする層と、技術ヲタ層との考え方の乖離を感じてしまいました。

 「K-1MAX」でなく海外の格闘技を専門に取り扱うチャンネルが海外のキックを扱ったのが今回の大会の内容だったならそれはいいんですし、また3月の日本トーナメントのような大味な興行内容を毎回求めるというわけではなく、正直K-1MAXを振り返っても判定決着があったとはいえ競技力を元にした興行の強度は安定して高かったわけで、今回の空疎な印象の質は単に「UFCのあの大会は膠着試合ばかりでつまらなかった」という、良カードだろうが好試合にならなかった、というレベルの問題ではなく、これはMAXというコンテンツが下降する分岐点に来てることを示す代物で、今後も好試合が興行中数試合存在しようが興行全体での印象は空疎で後味悪くなるといういまのDREAMに近似した現象になりつつあると見ています。いっそのこと封印した
ヨーセングライ・フェアテックスをいきなり大晦日か来年一発目のMAXにペトロシアンに当てたらいいやとか思ってしまいました。

 銀玉様は奇しくもMAXの分裂先となったように映るS-CUPがご覧になられるのでしょうか?

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ビデオゲームというフィルターから俯瞰する、現代エンターテインメント総合批評
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