オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


欧州米国基地外読書録

Category: ウェブ線上の批評   Tags: ---
PEN

 プロレス・格闘技批評の代表格たる村松友視氏の本や、中古書店にあった昔の紙プロなどを手に入れて読んでみたら驚いたりゲッソリしたり目が痛くなったりいい目薬ないもんかな?という、典型的な合間のエントリ(笑)。

<<①村松友視の「私、プロレスの見方です」>>

 格闘技に興味を持ち始めた時期にまず手始めにやったのは、TVやDVDで近過去や現在進行形の格闘技を追う他に、古本屋などで投げ売りされてる格闘技関連の書籍や雑誌を買って読んだりしていくことで歴史を知っていくという吉田豪さんみたいなことしていた(笑)のだが、村松氏のこの代表的な一連のプロレスに関して綴ったシリーズを読んでまず驚いたことはそれまでに自分が読んできた格闘技本の文体や言葉が明らかにこの村松氏の影響を受けたあとが見受けられたということだった。
 紙プロ編集長だった山口日昇氏や論客としてたびたび最近の紙プロに登場する菊地成孔氏などの文章に村松氏の影が見受けられたものが散逸されるのを見るに、この本発刊当時に与えた影響というものの大きさを、単なるプロレスファン以上の視点を持って観戦する人間を「プロレス者(もの)」と呼んだのをはじめ、「凄み」「一回ひねりのセンス」「過激なプロレス」「プロレス内プロレス」「ルールのある喧嘩」などなどのプロレス批評にてたびたび見受けられた言葉の原点を見つけたことから感じさせられた。

 それ以上に驚かされたのは、このブログのテーマの一つにしているプロレス・格闘技と権威についての関係にも言及している点で、しかもそれが今日の状況と差がなく、本書にて語られる「世間はプロレスには権威も何もないから蔑視の視線を投げかけるが、オリンピックに採用される柔道や、歴史あるボクシングに関してはOKとされている」って部分などは、いまなお通じてしまうところがある。そしてここからがポイントで「プロレスが胡散臭いなら何が胡散臭くないか」という問題提議をふくんでいるのです」と語り、「何が胡散臭くないのか、という逆照射がプロレスのもつ大きな意味だ」ということになる。プロレスは胡散臭くオリンピックは何故胡散臭くないのか、という逆照射だ。」と返して考えてしまうあたりにみんな引っ張られたのか?なんて思った。

 ただ問題は、本書刊行から数十年後の現在、こうして名のある文化人や有名人などによって語られることで、プロレス・格闘技自体の世間的な権威のレベルは変化していなくとも大手新聞からNHKなどの主要なメディアでもたびたび取り上げて語られたりしてしまうくらいの生煮えな認知のされ方(少し前の政治に関してだったかで、朝日新聞にて何故かミスター・ポーゴが論客として登場していた記憶がある)になっているのだが、一方で、元々のプロレス自体もこの数十年間にて世間の短絡的な蔑視から外れ、コンプレックスを失ってしまっていることで力を失ってしまっていることで、(「ストロングスタイル」に関してのプロレス内プロレス的なコンプレックスなら継続中なんだが。ハッスルからDDT、現在の新日本などなど)また一方の格闘技も「すべてがガチのイベントの登場。真のルールのある喧嘩の場の完成」まではよかったんだが、現在競技として見るべきとかイベントなんだとかのコンセンサスが作る側からして取れていない現状になっており、数十年前と現在のプロレス・格闘技を巡る環境の差の中で大きいのはそうした世間からのコンプレックスとの闘いの有無だと思った。

 というのも、当の「私、プロレスの味方です」自体も、当時のプロレスの見方(あっ今気付いたけどダブルミーニングになっていたのか?笑)も世間の単純な蔑視の他にファンのものすごく単純な見方か裏返しのシニカルな連中の皮肉な見方しかされなかったりの現状に対してのフラストレーションが冒頭からの村松氏のプロレスの視点について綴るときの文に強く現れており、自分は村松氏の語る批評以上にその感情から逆算して昭和のかの時代にさらされていたころのプロレスが受けていたコンプレックスの深さを見た思いになった。

 いまプロレスと言わずサブカルチャー全体が生半可な世間への評価のされ方をしているけど、正直それがコンプレックスをかき消すことに繋がってしまっているのだとしたら、などと思った。村松氏の別の著作になるのだが、「男はみんなプロレスラー」にて、当時雑誌か何かのプロレスに関しての質問コーナーをまとめたものが載っているのだが、そこに寄せられた質問は壮絶だった。なにしろほぼ全ての質問がプロレス八百長問題に関してのものでほぼ全ての回答が「八百長とか真剣勝負とかの問題ではなくそれ以上のものとして見るんだ!」というもので、ここにかの時代の世間とのコンプレックスとの闘い、の一端をみた思いになったのだった。

<<②PRIDE26REBORN直後の2003年と、ハッスル新日本乱入の2004年の紙プロラディカル>>

 そんな「私、プロレスの味方です」の影響も受けている山口日昇氏による紙プロが、初期のPRIDEの「高田VSヒクソン」などの時代の変化にあたるところを大きく取り上げていくことで、その後に本当にPRIDE内部に関わっていくことになる、という、批評が取り上げていくことでその内単純な広告効果から、対世間への効果まで望めることから団体にオルグされていってしまうなんて現象はしばしばあるが、その中でも紙プロ―PRIDEラインは特筆に値するケースであると思う。特にこの屈指の批評機関が入ったのちの、プロレス界に放たれた攻撃性は後から調べたものとは言え尋常ではなかった。

 どこから本格的に関わったのかはわからないにせよ、いよいよ凶暴なまでの格闘技バブル前夜時代の、新体制での一発目のPRIDE26の総括の時の山口日昇氏の発言を見るに、「ミルコこそプロレスラーだ」と吉田豪氏の対談で語っていたりするあたりに、長らく紙プロがテーマとしている昭和のプロレスの憧憬をPRIDEから見取ろうとしているあたりに、下衆な意味ではDSEとの結び付きはじめを感じさせる一方で、格闘技に対してここまでかつての憧憬を投影しているところになんとなく先の「ルールのある喧嘩」という視点でのプロレスの話を思い出した。
 アントニオ猪木の作り上げた昭和新日本の流れの中で、UWFなどの誕生と解散からこうして格闘技界のメインストリームにまで繋がることによって、PRIDEに至る以前もリングスやUインター、はたまた格闘探偵団バトラーツなど各所でそんな昭和新日本のプロレスラー性を投影しようとしてきたのだと思うが、今のところPRIDEでそんな投影は最後になっているよなあなどと思った。
 
 しかし、PRIDE全盛に当たる時代とはいえハッキリ言ってノゲイラやシウバのインタビューなんかは面白くは無い。2004年大晦日を控えた時のルーロン・ガードナーなんかのは物珍しさって意味の面白さはあるが、基本的に彼らは日本格闘技史とか昭和新日本の憧憬とか関係のない文脈で格闘技に接しているから、ジャンルや時代の変化といった文脈とはあれだけ有名でも強かろうとも、かけ離れていて関係がないのだな、ということを感じさせられる。むしろそんな外国人ファイターのインタビューで自分が面白がれるのは最近のメイヘムやディアズの日本MMAに関しての言説だったりするのだが、それは一端失われた日本MMA史の外国の評価って意味から日本を見たいって気分が当てはまるからで、格闘技バブル時の主要な外国人選手の話すことって実際退屈だったりする。
 
 その代わりめちゃくちゃおもしれえなあと感じてしまったのがやっぱ高田統括本部長インタビューから、WJ当時の鈴木健想とか、果ては鈴木みのるに挑戦のマイクをしてボコボコにされた当時の佐藤光留をなんとターザン山本がインタビューするという代物だったりと、要はまだこの当時では格闘技バブルに入るのと並行して分裂していくプロレス界と関連する格闘技の境界線を行き来する言説が見られる部分で、そしてそれが極に達していた、と思われたのが、あのハッスルが新日本にまで乱入してくるという頃の記事で、いよいよPRIDEのトランス性が増していくもう一極として、昭和の憧憬とはまるきり別物になった新日本を攻撃する意味の強いもので、その時の地上波アナウンサーの狂乱の実況まで誌上採録してたりというタチの悪いことしてるんだが、このハッスルと新日本の闘いに関しての紙プロの編集の小さな座談会も含めてやはり批評によって出来たプロレスの、その最高の攻撃性を持ったものだったなあと振り返るのだった。


 とはいえ、どこかしら俯瞰した視点にてあのハッスルの意味なんかを前にも書きはしたけれど、一方ではこの当時の小川、川田、大谷、中村カントクや島田二等兵、そして笹原GMがいた頃のハッスルというのは懐かしかった。というのも、なんだかんだでハッスルが提唱していたコンセプトにあったと思われる複雑化して技も過剰になりすぎて新規の人間が入りにくくなってしまったプロレスというジャンルを、仕切り直してわかりやすくし直したい、という部分に、本格的にプロレス・格闘技について知ろうとするきっかけとして、素直に乗っかってみて初めてまともにみたプロレスだったから、やっぱり思い入れはあり、好きだったな、とこうして振り返って感じた。小川や大谷や川田、そして安生、高田延彦ら全員をを初めて知った媒体が、あの1999年1月4日でもなく、黄金の新日本ジュニアでもなく、伝説的な四天王プロレスでもなく、グレイシーに討ち入りしてやられてしまったことでもなく、全ての期待を背負ってヒクソンに完敗した姿でもなく、すべてハッスルから彼らを知ったのだった。

 だから自分の中では、格闘技と越境していた小川直也と高田延彦は別として、純プロレスラーたる川田や大谷、安生からグレート・サスケ、金村キンタローや田中将人、鈴木健想やアジャ・コングたちのイメージというのを、レイザーラモンHGやインリン・オブ・ジョイトイと織りなすプロレスとともに忌憚なく知れた舞台として、2004-06年ごろのハッスルには、全体としては小さなものとはいえ純プロレスラーの綺麗なイメージが記憶として残っている。川田利明というと全日本にて気難しく無骨なファイトを見せるイメージがオールドファンにはあるのだろうが、自分はハッスルの舞台にてその無骨さに加えて切れのいいマイクやカラオケを披露する側面が記憶にある。

 2004年当時の紙プロではRG登場前のハッスルでの名やられ役・石狩太一と川田の対談が載っていた。この頃のバランスのハッスルは本当に最高だったとしみじみ思ったのだった。
スポンサーサイト

Comments

いちいち長文で読みにくい文章ですね。いろいろ勉強してるってことをアピールしたい人によくある傾向です。
そのとおり優秀な頭脳をお持ちなんでしょう。しかし読みにくい。私の頭が悪いだけですかね。
Re: 本当に、匿名の文句の場合名前のとこをこのように文章の切り出しにするから不思議だ
> いちいち長文で読みにくい文章ですね。いろいろ勉強してるってことをアピールしたい人によくある傾向です。

 ハッハッハッハ確かに今回無駄に読み辛い!こんなんにする予定はなくて軽めにするつもりだったのに
うっかりクセですみません(笑)

Leave a Comment

プロフィール

EAbase887(葛西 祝)

Author:EAbase887(葛西 祝)
mail: kyukakukaizoudo@gmail.com

人気ブログランキングへ

ビデオゲームというフィルターから俯瞰する、現代エンターテインメント総合批評
「GAME・SCOPE・SIZE」もやっております。ゲームの他に映画・アニメ・小説なども取り扱っており、興味があればこちらにも。

人気ブログランキングへ


ひっそりとド偏見アニメネタレビュー「14ー21歳のセックスか戦争を知ったガキのモード」「もスタートしましたので、妙に少なくない格闘技ファンとアニメファン兼用の方はこちらもよろしくお願いします。

TweetCasting

ツイキャス・LIVE放送中はこちらからでも視聴できます



 
検索フォーム
 
 
 
 
 
 
ブロとも申請フォーム
 
 
QRコード
QR