オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


K-1、ゼロ年代との別れ/モノクロームに映る、格闘技バブルクロニクル

Category: 「見立て」の格闘観戦記録   Tags: ---
フグ・2001

<<K-1 2010GP FINAL 観戦記録>>  

<<BGM・「Kids Return 」>>

 会場が有明コロシアムへとスケールダウンしたことも、こうして終わってみればこれまでような大会場に客を集め、アグレッシブな試合によって観客の熱狂を生むような大衆娯楽としてではなく、観客自身が選手側と共犯関係を組んで劇に没入し、集団で感情を浄化するかのような優れた小演劇のごとき、内面から感動を呼び覚ますような大会だと感じた。冒頭から結論を言ってしまえば、この2010年のFINALは、バダが活躍し鮮やか過ぎる試合内容が続出した2009年の熱狂のコインの裏だ。

ミルコ

サップ

アリスター

 今回大会は観客と選手との距離を示す、神棚に祀り上げられたファイターを見送るかのような花道から入場するのではではなく、一般席の脇の階段からあの錚々たるファイターが観客たちの間をすり抜けるかのようにして入場する姿に、自分は「K-1の没落」よりもなぜかそのように「観客らと共犯関係を結ぶ」というような光景に見えた。これは後楽園ホールやJCBホールのような小会場のような選手とファンの距離の近さや密度による熱狂、とはまた別で、「観客との共犯を結ぶ」ことが重視される昨今のプロレスのような(観客席までいって場外乱闘とか・笑)興行と別に、今回の特異な点は運営から選手、そしてファンらが、間違いなく衰退しているこのイベントを見届けようとする意思が一点に集まっているように思えた。

ハント

 これはフジテレビの構成も、やはり今大会が最後なのを自覚してのことなのか、これまでのK-1の歴史上の、フグやアーツ、ハントの優勝などのハイライトとなったシーンがCM前に挿入されるなどこれまで以上に歴史や「K-1ならではの光景」を意識した、達観しながらも内的な番組構成をとったことに加え、自分がここ1年で見てきた、リンクさせて頂いている方々はじめ、ネット上でのK-1ファンの皆さまの傾向が、思想の差異こそあれ、全員に共通していたのは「いちファンでありながら自分たちが愛着のあるK-1の世間に向けての発展と成功」を願う意思であり、正直言って近年紙プロやゴン格などのメディアは「ネットメディアとの対応」という意味でのトピックスとして情報系のサイトの管理人を取り扱うことでネット上での格闘技のあり方を解釈していたりするのだが、実際に様々なネット上の言説に触れて見て驚かされたのは、先の主要な雑誌メディアがK-1を取り扱わず、情報提供という意味ではかつてはフジが深夜に「SRS」として宣伝していたものの終了した現在、奇妙な逆転としてネット上のファン自身がK-1に対して深い思い入れを込めており、しかも単なる情報以上の批評性があるものも少なくはない、という、「雑誌でなくネットだけで見られるような格闘技評」という意味で完全に盲点だったのがなんとメジャー格闘技イベントの元祖とも言えるK-1であったことなどを知り、ファンが業界以上にこのイベントに強い思い入れを込めていたことを知ったことが、自分には何か今回の「観客とイベントの共犯関係」に繋がってるように思えた。

アーツ10

アーツのハイ

飛び膝

 もちろん、観客が意思を託そうが、選手らがイベントに対して意思を示さなければそこに感情を揺り動かすこともなく、この前のMAXのようにもうすでにイッツ・ショウタイムへの参戦の算段を立てているかのように冷めきった意思でのファイト、格闘技地上波放映に対して予算削減か知らないが宣伝したりする意思の薄いテレビ局など完全に意思が分散した大会に共犯を結びようはなく、自分は完全に記憶と歴史の寸断を感じたのだが、今回の黄昏のK-1に対しては全く逆で、それはこの20何年間というこのイベントの歴史の記憶の回復(あるいは走馬灯)を、選手・ファン・運営・TVら全ての共犯関係によって 成した感動があった。

 グーカン・サキやダニエル・ギタ、タイロン・スポーンに見られるように、もはや高い防御技術同士の拮抗の中では単純なKOのスペクタクルが生まれにくく、興行自体が斜陽にある一方でのこうした技術の拮抗は留まることを知らない中で投入されるアリスター・オーフレイムに、運営側が停滞を壊す期待を託すというその光景の、かつての格闘技バブル時のボブサップのフラッシュバック。創成期から関わるアーツの、そのキャリアを凝縮させたかのような、過去の全ての歴史と記憶が現在と直結したパフォーマンス。K-1の長い記憶喪失を生み続けたセーム・シュルトの敗退に伴い、自分にはここで格闘技バブル時の熱狂の記憶が全てこの興行に刻印されたようにさえ思えた。

 意図した効果ではないだろうが、こうして大会場型のメジャーの凋落がここまで追い詰められ、さらにはこの有明コロシアムですらも完全に埋めきれないほどになってしまった今年のK-1であったが、むしろそれによって選手と運営とファンの中のこのイベントへの思いが集中することによって生まれた光景はまるでこのゼロ年代の歴史を快く再構成しなおしたかのようで、ハントの優勝やサップがホーストを破ってしまうような波乱でさえも、アリスターの優勝に感じられるように予定調和の枠内にデザインしたかのようであった。

 こうして当初「外敵」などと呼ばれたアリスターが予定調和のように優勝することに漂うムードは「K-1が破壊された」ではなくそのようにサップの登場の頃のような記憶のリメイク(というより、今年のK-1でのアリスターは言うまでも無くサップの記憶のリメイクとしてファイター像を構成させている)として映る一方で、今年には京太郎に敗退することで「日本人選手代表の誕生」を作りだし、シュルトとの凄まじい死闘を越えて最後にアリスターと対峙し、敗退することで、主催が望んでいた「外敵のK-1の破壊」の光景を完遂させたピーター・アーツの内面の世界であったようにも思え、だからこそ冒頭にて思ったように、アーツを座長とした優れた小演劇のごとき、内面から感動を呼び覚ますような大会だと感じた。アーツの内面そのものがK-1の歴史であり、記憶だったからだ。その感動は熱狂ではなく、今まさに何が日本格闘技の歴史であったのかさえも見えなくなっている現在の観客の内面に触れ、何が日本格闘技の歴史だったのかの記憶を回復させる浄化を与えたように思った。

アーツ

 2010年、この年はやはり時代の終わりを演じる年だと思った。ヒョードルの敗退など、新時代を意味するのではなく時代の終焉を意味する事象が数多く見られたが、この大会はそんなゼロ年代の終わり、という意味では記憶を美しく結実させた意味で非常に良質だった。格闘技バブルというものはいまからすれば「間違っていたんだ」というイメージも強い。だがしかしこの大会はそうしたバブル時代の記憶さえも美しく昇華させた意味で優れていた。K-1は去年と今年の2年によって、ゼロ年代と決着をつけたように思ったのだった。
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Comments

コメントではお久しぶりです。

はじめに、拙ブログの予想大会にご参加いただきありがとうございました。
それにしても、なぜそんなに当たるのですか(笑)。

次に、今回のエントリーについてですがなるほど同感です。非常に感動的というより「感傷的」な大会だったような気がします。実は同日It's Showtimeのギリシャ興行がありましたが、こちらは選手に熱気の感じない、山もオチもない興行でした。歴史も文化もない国にいきなり興行ですよと言ってどかんと持ってきても駄目だということですね。
Re: かかとおとしさん
>> 次に、今回のエントリーについてですがなるほど同感です。非常に感動的というより「感傷的」な大会だったような気がします。

 会場縮小すらも、こうして格闘技バブルのクロニクルを凝縮させた内面からの感動に変えたあたりは、興行というのはどう転ぶとは分からないとはいえ、選手・運営・ファンの長い上澄みがここで出たと思いました。(全試合一本・KOの興行であっても後味が寒々しかったり、何も残らなかったりというのも容易にありえることですし。)

>実は同日It's Showtimeのギリシャ興行がありましたが、こちらは選手に熱気の感じない、山もオチもない興行でした。歴史も文化もない国にいきなり興行ですよと言ってどかんと持ってきても駄目だということですね。

 手厳しいですね(f^^;)ショウタイムはまあまだわからんし、サイモン・ルッツの意図や格闘技に関わるまでの軽いバイオグラフィーを知れれば私は乗れるんですが。UFCのダナ・ホワイトなどはそのアメリカでのボクシングへの愛憎みたいのも興行を彩ってて面白いんですが。

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