オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


code:GSP・日本格闘技に存在し得ない、最も遠い可能性

Category: 格闘家たちのプロファイル   Tags: ---
ラウドネス

―もはや格闘技というのが異種格闘技戦のなれの果てやすさまじいまでのフィジカルの持ち主同士の削り合いや何でもアリのバイオレンスを披露することを見せるのではなく、その次の段階に進むに当たっての技術的進歩に加え社会的に認知されるような「純粋競技化」の段階にどうあれ入った「日本格闘技バブル崩壊後」の世界の中で、逆説的に日本格闘技界の文脈からでは誕生、または成立しないことを証明しているかに映る、そのファイター像のフォルムの中に完全に現代MMAの世界を凝縮させてしまった異形ジョルジュ・サン・ピエールに関しての考察―

<<BGM・ニューオーダー「The Perfect Kiss 」>>

 ―GSPの異形性は、先日のジョシュ・コスチェックとの対戦だが5Rフルにジャブで圧倒してフルマークでの判定勝利をものにしたのだが、この試合の展開と近似した防衛戦をこれまでに行ってきたBJ・ペンとの比較で、BJの、俗に言う「殺し」のような気配での圧倒でもなく、またはエドガーのような封殺による圧倒でもない、まったく別種の気配を残した試合内容にあるように思えた。 
 

<<1節・日本と米国の距離としてのGSP>>

「GSP」ジョルジュ・サンピエールの名前をしっかりと目にしたのは確か2年くらい前の紙プロで、PRIDE崩壊後の「やれんのか!」から一年後の、旧DSE勢とFEGの大連立による最初の大晦日の前くらいの号で、UFCの取材での記事が最初だったと思う。その時の記者の「桜庭以来のスター性を感じた」という感想が今も頭に残っている。

 海外のMMA事情も全て把握しているようなハードコアなMMAファンが昔から知っているのとでは認識に差があるのは承知ながらも、今から評価してしまえばこうして日本の格闘技メディアにも大きく取り上げられはじめた時期が、日本の格闘技バブル崩壊直後の光景たる大連立の向こうで、PRIDE買収後に加速しようとするUFCにて評価されはじめた、というタイミングも込みで、それから現在に至るまでのGSPが示唆するものとは、まさしく現在の日本と米国UFCとの、競技能力・興行の体勢・ヒエラルキー・それに伴うスターの発生などなど全てにおいての距離だ。
 これからの日本であってもフランク・エドガーからグレイ・メイナード、ジョン・フィッチからジョシュ・コスチェック、BJ・ペン、さらに高望みしてアンデウソン・シウバやケイン・ヴェラスケスなどの気配を持ったファイターが、日本人あるいは外国人の日本の興行参戦から成長して発生する可能性はありえなくもないと感じるのだが、GSPだけは絶対に誕生不可能だと思った。

  それは単純に考えてもGSPのファイトスタイルが現在の日本国内の格闘技の空気に馴染むことは考えられにくいこともあり、自分が思うに立ち技においてGSPの完成度に似通っているペトロシアンの評価が技術中心にK-1を判断する好事家限定に留まっており、運営側も谷川氏の発言を見る限り決して絶対的なエースとして据える気もないようだし、ペトロシアン自身の意識もK-1に殉じるほどにはのめりこんではいないように映る。(※下世話で、真相も不明な噂を持ちだして恐縮だが、ファイトマネー未払いなどの噂から察してもペトロシアンとFEGの関係も決して良好ではないだろうし、そのあたりもまた日本においてのペトロシアンのファイター像構成を妨げていると邪推する。)

 また、かつてのPRIDE時代にしても、いまでこそ世界トップランクのファイターと認知されているアンデウソン・シウバ、ジェイク・シールズらにしても、その当時の競技力や戦績、PRIDEのルールと現在の北米のルールとの差を差し引きしても当時のPRIDEにて推され、支持されるタイプではなかったことを考えても、いくつかのGSPの試合を見る限り、アグレッシブとバイオレンスが求められがちな日本では成功しにくかったとも思う。(しかし、GSPならばアグレッシブが求められるPRIDEだろうが適応して振舞えそうな気も少しする。これはある意味北米幻想にの飲まれてるってやつでしょうか・笑)

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 UFCカナダ大会で大歓声を受けるGSPを見ていて感じるのは、出来る限り分かりやすい例えでいうなら「(向こうにおいての)魔裟斗のスター性を持ち、同時にペトロシアンの能力を持った人間」のように映った。日本国内では相克するこのふたりの要素がかの国で混ざりあっているところに異様さを感じた。

 今現在のMMAはもはや異種格闘技戦の決闘でもヴァーリトゥードによるバイオレンスでもない、MMAはMMAであるということが近年の様々なレベルの格闘技関係者から語られるが、BJ・ペンの相手を血みどろに変える試合や、桜井マッハVS青木真也などに感じられた高揚から逆算してやはりどれほど競技性が叫ばれようがバイオレンスが発揮される瞬間というものに心踊らされるものがあるし、「極真空手」のバックグラウンドを持つ菊野克紀や、レガースを装着して試合に臨むUWF系統のアグレッシブなサブミッションを持つ中村大介から感じられる異種格闘技的な気配もまた、試合に強く感情移入させる効果を今だ持っていると思う。

 しかし、GSPの試合から漂う気配はそのすべてを逸脱したもので、現代MMAのベストなフォルムというものが先の異種格闘技戦とヴァーリトゥードのなれの果てのなかで洗練された末に、バイオレンスも決闘も全てフラットにした、一種の人造的なものさえ感じさせるものだとするなら、それを実践しているかに見えるGSPの異質さの質はそこにあると思う。
 「MMAを10年進めた男」とのコピーが時にかぶせられる理由にそのようなコンテクストの深さが存在すると思われ、異種格闘技もバイオレンスも完全水平化した「完璧なアスリート」と呼ばれるファイトスタイルの背景として、ベースの一つにMMA=ミックスド・マーシャル・アーツの、マーシャル・アーツの側面として極真空手の経験を持ち、入場時に鉢巻きと道着を着用することに見られるのアメリカ人による(GSPはカナダ人だが)「東洋武術を消化させた形でMMA」という新興競技の歴史や由来までも踏まえたかのようなファイター像を構築していることのコンテクストの深さも凄まじい。

<<2節・競技化されてフラットなMMAと呼応する、アメリカのポップスターのフラットな人造性>>

 格闘技のカタルシスとして一種の殺伐さや豪快さを見取ることがハイライトになるとは思うが、異種格闘技・ノールール・ヴァーリトゥード・総合格闘技など様々な呼ばれ方をする中で殺伐さと豪快さを削り合わせ続けた中で、荒い石が川の上流から転げていくなかで丸く滑らかな石になるが如く洗練された姿となり、「MMA」と呼ばれる現在をこうしてGSPがファイター像の中に凝縮させてみせているかに見え、 そしてそれがかの地ではスターとして大いに受け入れられている。

 そして自分にはそれが、このUFCでしか見られない、とても異質な姿のように思えた。格闘技の最先端を行くスタイルでありながらそれは、ふつう格闘技に望まれる光景と正反対の姿を為しているということが、自分にはアメリカの数々のスターの、人造的な面を突き詰めた末の異形性―場合によってはマイケル・ジャクソンや、最近ならレディー・ガガのような人造的なスターに近い印象がGSPに残るのだ。 

 「アメリカでのポップスターが成り立つにあたっての、人造の気配」。なるべく単純に書いてみるが、先のマイケル・ジャクソンに見られるような、白人を主体とした多様な人種とそれに伴う差別がある国と歴史の中で、スターが成立するにあたって人種から性別まであらゆる壁や差を突破して広く支持されて浸透するようにするプロセスの中で、人種の壁や差別を意識して名を上げていくのではなく、その壁や差をどの人種や性別や年代だろうが気持ち良く消費しやすいようにフラットにしていくことで、アメリカのポップ・スターは時に恐ろしく人造的な表層をまとうことにケースもしばしばある。マイケルはその中でもあまりにも有名であまりにも極端な例であったと思う。

 そして、このアメリカのポップスターがどのような人種であろうと気持ちいい表層にしようフラットに突き詰めるあまり、人造的になるのに重なるように、現代MMAの成立があらゆる形の決闘を消化した末にフラットな競技となったということがGSPを通して重なっているかのように自分には見えた。そしてそれこそがアメリカならではの、「大衆が気持ち良く消費できる表層を極めていくことで、人造的な気配となる」というポップスターの異形性の一種として自分にはGSPが映った理由のように感じた。


 異種格闘技やバイオレンスを越え、競技化されたMMAのもたらす光景というものが、アメリカにおいてはボクシングに並ぼうとすることのほかに、決して他の野球やサッカーのスポーツのような完成度を指し示すこと以上に、むしろまったく逆にルールの整備されている他のどのスポーツよりも人造的な気配を残すものになるのだとしたら?などと極論にまで思考が及んでしまうが、以上のファイトスタイルからスターとしてのあり方など逆算すると、GSPという選手そのものがそのまま日本と米国の距離というのを示しているように映る。


 ここ日本では自分らしさを持つスター性のある選手と、競技性を信じ込み高い技術を持つ選手とでは存在感が見事なまでに水と油のように乖離し、五味隆典と青木真也、魔裟斗と佐藤嘉洋の対称などにそれが見られ、またそうした対照ゆえに日本格闘技最大の試合内容と物語性を生むカードとしてファンに望まれもする。
 が、アメリカUFCのGSPにおいてはこの相反する2つをあわせもってしまっている。そのことが恐ろしく、日本人、または日本の興行育ちの外国人では近付けない領域なのではないか?などと思った。ヴェラスケスでもマウリシオ・ショーグンでも、アンデウソン・シウバでも、フランク・エドガーでも日本人、または日本の興行育ちの外国人でも近づく可能性はわずかに残されているが、GSPに限ってはそれが限りなく低いように思えた。今GSPに関わる可能性のある日本人など考えるに、秋山成勲が階級を落としての挑戦でタイトルマッチに行きつく、くらいしか思いつかない。
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