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もう片方のMMA・デジタルカメラ撮りのドキュメンタリーのように

Category: プロ格闘技   Tags: ジ・アウトサイダー  SRサイタマノラッパー  神聖かまってちゃん  ドキュメンタリー  アメリカン・ニューシネマ  
ハト

 UFCでの、「完全な競技MMAの光景」の極致たるGSPと対照に、日本メジャーは興行論と競技論の著しい乖離の中で苦しむ後ろで、「では今の日本のMMAならではの、MMAでしか見れないだろう光景とは?」ということでの、ジ・アウトサイダーなど中心に映る、もうひとつのMMAでしか見れない光景の考察。同時に格闘技界のみならずあらゆるメジャーの苦しみの後ろの、「SR サイタマノラッパー」から「神聖かまってちゃん」までの、ドキュメンタリーのように生々しく鮮やかに映る近年の作品に関して。



<<BGM・ザ・バックホーン「未来 」>>



 去年からこうしてブログをスタートさせ、考えを書き連ねながら「今の感情移入や共感しやすい物語」みたいな疑問がずっと背景にあったのだが、格闘技のみに限らず不況下によって成長が鈍くなってる現状に呼応しているのかあらゆるメジャーが新味を打ち出しにくくなっており、既得権益の保持の気配ってのがどの分野だろうが漂ってくる。

 それゆえ、国民を束ねる日本人勝利の物語を共有するナショナリズム、だとか、信仰するジャンルの決闘を見取る異種格闘技戦、だとか、そののちの数々の異種格闘技とヴァーリトゥードの果てに新たなる「格闘技」という新たなジャンルの誕生を見取る、だとかの「大多数の人間が共有できる物語」というものが断たれた、完全に途切れた歴史の中の日本MMAには「最強」とも「異種格闘」とも「競技」とも別のポイントに現在熱量がかかっていると思う。

 そういう意味で、「能力ある選手がメジャーに上がっていくことによってプロの顔や気配を獲得していく」という「アマからプロへ」の構造やプロセスが見える「k-1ライト級・k-1甲子園」や「戦極フェザー・SRCウェルター級GP」あたりが今、「格闘技の競技化と興行のバランス取り」の意味でまっとうな所を突いていると思われる一方で、格闘技というジャンルが色濃く表現できる性質を強く突いているように思わされたのが、最近になって初めてDVDで見た、あのジ・アウトサイダーだ。



<<ドキュメンタリーのような生々しさ>>

 すでに十数回の大会を開催し終え、メディア上でたびたび取り上げられ、「あの前田日明のリングスが再び」みたいなリバイバルの評価ではなく既に独自のものとしてリアルタイムでの評価を受けている「ジ・アウトサイダー」の、「不良同士の喧嘩」というのをフックとしたMMAは、出場する人間の簡単で壮絶な略歴を描いた煽りと、この競技の簡単な歴史の先祖返りとさえ思うような大味な展開による試合は、見慣れているものなのに初めてみたもののような感覚をもたらした。

 どっちかというとアウトサイダーはメジャーがどうにもフックとなる部分を打ち出せない中での「不良同士の闘いに焦点を絞ったことによる熱」などが評価されているんだと思うが、自分が先のような感動を受けた理由には、これがちょっとした生々しい不良や前科持ちの人間のドキュメンタリーのようにしか見えなかったことにある。
 MMAという新興ジャンルは「ヴァーリトゥードによる潰し合い」「決闘・喧嘩」「異種格闘技戦」などなどを実現する場、という部分が長らく見る側のフックとなっており、現在はUFCがそうしたフックから独立した新競技としてこのジャンルをセッティングしている最中で、変な見立ての見方ではなくいち競技として受け取るべき、という、生々しい闘いを表現するジャンルではなく洗練された最先端の競技、またはショーという時期に入っている一方で、アウトサイダーの抜き身の生々しさを見るに、MMAというジャンルは、ボクシングやキックのように制限された打撃格闘技(あるいは既に競技として完成しているものすべて)などと比較して、なんの虚飾も洗練も無くそのままに映しだしてしまえる点が飛びぬけているという事実を再確認させられる。

 以前ツイッターやってた時に「メジャー格闘技はどうしてもテレビ越しに見つめているような感じがあるが、女子格闘技に関しては非常に感情移入して見ていられる」とのことを書いていた方がいたが、そういう選手の人生や感情の生々しさというものの強さを表すジャンルとしてMMAの表現の範囲が広いという意味で納得したことなどを思い出した。



<<メジャーの傾きとドキュメンタリ・アメリカンニューシネマっぽさ>>

 それで現在の、格闘技に限らず様々な媒体のメジャーが旧来の形式を維持できず傾きつつあり、それに伴ってか感情移入もし辛くなっている一方で、現在ではアンダーグラウンド界隈での評価には違いないが、最近の「SR サイタマノラッパー」という監督自身の地元の埼玉で撮られたヒップホップというジャンルを介して描かれる半ば私小説的な味わいさえある映画や、以前に長嶋自演を語る時に「ネットメディア発の人間による表現」みたいな意味から語る時に比較して取り上げた、ニコニコ動画やYOUTUBEからの活動から浮上してきた神聖かまってちゃんの、リストカット癖のあるいじめられっ子の見つめる自分の住んでいる千葉の集合住宅地をPVにした音楽の表現の鮮烈さに加え、ちょうど日本のメジャーから完全に抜け落ちてる部分をフォローしているという示唆に富む逆転を生んでいるあたりが、近年の作品で印象深く、どれも見なれているはずのものだが初めて見るもののように映った。

 現在の構造の疲弊と、それに伴う既得権益の保持が主となってしまうことによる不況感というのはエンタメの分野でも例外ではなく、それゆえ失われる部分が目立ち感情移入のし辛さというのも生まれやすいんだが、MMAの「生々しい感情や人間性」を他のどの格闘技よりも最速で伝える速度を思い出させる「アウトサイダー」と、先に上げてきた作品の生々しいドキュメント性を見るにつけ、思い起こされるのは「現在の日本の状況というのは、どれだけアメリカン・ニューシネマの誕生の背景に近いのだろうか?」ということだ。


 まあ安易な気がするでもない例えで、当時の世界情勢や時代までも含めたわけじゃない概略程度の比較だけど、例によってウィキ要約だが1950年代までに栄華を誇ったハリウッドの、テレビの登場などによって時代が変化し、旧来のシステムが立ち行かなくなってしまった上、さらにベトナム戦争などを背景に国民の国家への信頼というのが失われる事態が続発し、そうした鬱屈した時代を反映した作品を総称して、アメリカン・ニューシネマといい、ハッピーエンドばかり作ってきたかつてのハリウッドを過去にするように、現実の生々しい、敗北や没落をいかんなく投影することで「新しい」映画とされ、後の評価でその時代は「もっとも観客が感情を投影して映画を見た時代」とされているらしい。
 
 外れてるかも知れないがそれと比較しながら「アウトサイダー」や先のインディーの優れた作品を見ながら感じる今の気分というのは、もう簡単な感情移入や共感出来るものってのはどうしても崩れつつあってつまんなくなりがちで、未来も見えづらいのかもしれないが、こうした生々しいドキュメントにさえ感じられるものに触れながら、価値の変動が大幅に変わっていくにつれてここからが面白くなってく萌芽にあふれた時代でもあるんじゃねえのかな、そういう生々しい感情やプロセスを見ていければ、なんて自分は考えている。
   
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