オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


エドガーとメイナードと日本人における亡命にまつわる3つのコラム

Category: 米国基地   Tags: MMA  UFC  ライト級  五味隆典  青木真也  
90年代の栄華と狂気 初期PS名作群

 先に結論言ってしまうと、もう「やれんのか!」以降の2008-2010年での「PRIDE崩壊に伴う、格闘技バブル以後」の世界ってのは完全に終わった、完結した。と年末の大会二つと、今回のUFCを見て感じた。

 今のアメリカのMMAを端的に凝縮して見せているとエドガーとメイナードの試合に感じざるを得ず、そして五味隆典の敗退にここまで感情が動かなくなっているという自分自身に動揺しているというファンも、直感ながら少なくないような気がする。


<<B・G・M デペッシュ・モード「Peace」>> 

<<「PRIDE崩壊後」の終わり>>

 去年は日本が北米に世界最高の舞台を奪われたということに対して、取るべき行動とは?ということの考察として、青木メレンデス戦以降のDREAMというのはテロ集団みたいになって、海外で勝利することで、世界最高の場や市場がもどってくるわけじゃないが、かつて自分らが世界最高の格闘技のイベントを行っていたんだという、まさしくプライドのみが充足されるというものになるのか?と考えていたけど、もっと斜め下を行く展開になっていくものなのだなあと感じるばかりだ。

 好況時に乱暴かつ短絡的な言い方だがバブルと言われる資金力で実現したものを日本国内で「世界最高の場」と自称しているものはほとんど自分は最低だと思っているが、不況下で縮小傾向にある中で人間性の器自体も同調して縮小していってしまう(というか、最初からそんな程度の器でしかなかったのが単に流れで増長していただけ)というのはさらに最悪という現実を思い知らされる1年で、背景に用意されている歴史性や物語性のコンテクストの層がそこまで厚くなくとも、試合展開で名勝負を展開した日沖発や三崎和雄、長谷川穂積などなどはこういうふうに人間の器が露わにならざるを得ない時代と環境の中で、決して流されずに押して忍ぶ強さを見せた結果なのだと自分には映った。

 しかし、日本国内に残ってそんなふうに押して忍ぶ強さを発揮する人間は限られ、実際のメジャーシーンに居座りシ-ンを形成してる人間たちの「日本格闘技のため」が建前なことが発覚していき、ほんとに魅力ある選手から日本格闘技から去っていくという現象はどういうことなのだろうか?五味・KID・小見川・・・場合によっては北岡悟まで海外に行きかねないというくらいで、もはや「北米に行く」ということが果たして挑戦なのか亡命なのかの区別がつかなくなってくる。




<<エドガーとメイナードの決戦>>

 五味対グイダなど、「バチバチの殴り合いに期待がある」とか、このタイトルマッチに関しては「相手の持ち味を殺すレスラーの膠着試合」など同タイプの選手同士の闘いでは戦前にその選手についたイメージでの展開を予感させるが、UFCに限っては「案の定そうなったか」というか「予想外な」という結果に行きつくことが多く、そのこともまた、日本のイベントとしての意識よりも、ボクシング&レスリングの土壌があり、興行を開くのにも背景にアスレチック・コミッションがあり競技力の方面に軸が寄らざるを得ないUFCならではの光景ゆえとも思う。

 しかしエドガーとメイナードの二人のタイトルマッチの予想の外れ方は、かの地のMMAがまた一つ次の段階に言ったように思え、これまでも数多くのレスリングのバックグラウンドを持ったファイターの闘いが行われたが、その中でも屈指のアメリカにおいてのMMAの技術的な系譜や土壌などが全部ここに凝縮されている試合のように映った。

 これまでもアメリカUFCの作り出すMMAと日本MMAとの距離を「ボクシング」を軸に置いて、レスリングの高い実績を持つ人間がプロになって稼げるスポーツとしてMMAを選択していく、という流れなどを加味して考察してみたりしたが、このタイトルマッチはそういう距離の意味で、新年早々に端的に示している試合と感じた。

 日本のMMAにおいてその興行や団体の系譜やバックグラウンドとしての柔道・レスリングなどの土壌が技術的に凝縮された試合、というのを考えてみると、とりあえず思い当たるのは修斗の日沖発などで、やはり戦極フェザー級というのはそういう系譜や土壌からプロの選手に仕立て上げていくという意味で正解だったなあ、と思わされもし、またアメリカMMAと別個のボクシング&レスリングの土壌と差があり、興行的にはプロレス・異種格闘技戦の見立てが(いまだに)フックになっている日本MMAの中の系譜と土壌の最先端としての試合というのは「所英男VS中村大介」の展開をもう少しトータルに水準を上げたものか、やはり唯一と言っていい競技体制を組んでいる修斗の「日沖発VSリオン武」が日本MMAだからこそ醸成された試合、などと言えるのだろうか?

 しかしちょっと考えてみたのだが、「日本MMA」の独自性というものを技術的な側面で現した試合というものを「一般に受ける視聴率に貢献するもの」とか、「ファンを喜ばせるアグレッシブさ」などの格闘技バブル時代の価値観の残滓が混ざりこむことで捻じれを起こしている現状も込みで考えると、答えは出なかった。




<<日本人の亡命、それから・・・>>
 
 「北米との闘い」というのが専門誌先導的なアングルとも取れるが、去年の現実を良く見るとどうも日本格闘技界の裏の政治的な問題に差し挟まれることによってメジャーの舞台に上がることができなかったり、もしくはメジャーの舞台に縛られざるを得ないという実体が見えてくる。

 五味隆典青木真也というPRIDEが生み出したこの二人の日本人選手の見事なまでの相克と、そして生み出す結果のシンクロ具合は屈指だと思うが、しかし今回のシンクロから察せられる結果は寂しい。

 日本格闘技に政治的な面によって留まらざるを得ず、そして長嶋戦を受け、敗北したことによって今後の享受がさらに追い詰められることになった青木。日本格闘技の政治的な面によって出ざるを得ず、挑戦というよりも亡命の痛々しさというものが目立つ五味。クレイ・グイダに完全に戦法を読まれ、対処されたのちの、まさかのギロチンチョークでの敗戦を目にして、その結果以上に「日本格闘技は通用しないのか」とか「五味が負けるなんて」などの感情の動揺、それ自体が無くなっていることに気付いて悲しくなった。

 UFCにて数多くの日本人選手が挑戦し、そして散っていったが、この敗戦の気配がそうした前例のリリース間際の気配とほとんど同じであり、あの五味が遂にそんな凡百のケースに収まってしまうのか・・・?という予感。それに呼応しているかのように、一時は世界ライト級に繋がれる実力者と目されていた青木も、大晦日の結果によってさらに世界にメインストリームから離れざるを得なそうに見え、まさかここで「もっとも世界のトップに近づいた栄光なき天才」で終わってしまうのか・・・?という哀しさを見せる。
 
 K-1MAXで魔裟斗と佐藤嘉洋がFINALで当たるというのを実現し、相克する二人の決闘を地上波で放映出来たというのは幸福なのかもしれないな、と静かに思う。日本MMAにおいて不世出の選手たる五味と青木という相克について今思うのは、選手としての全盛期の終着地点に当たる季節がこうして業界のがんじがらめのなかで光を消され埋没していくことなのかと思った。

 日本MMAで屈指の価値を持っていたKIDと小見川が、UFCに上がる。しかしそれは日本MMAを背負ってのものではなく日本MMAの世界から逃れてのものという印象が強い(無論、個々の理由やモチベーションは異なるにしても)。
 ここ日本では「亡命」ということに関してのリアリティというのはどうしても理解しがたい側面があると思われるが、なにかここのところの格闘技を見つめていると理解しがたいはずのそれがいかにして起こり、そうせざるを得ない社会状況が存在するのか?というのが戯画的になっているように映る。そのことに気付いて少し泣く。
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