オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


スポンサーサイト

Category: スポンサー広告   Tags: ---
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

石井慧と中邑真輔

Category: プロ格闘技   Tags: 石井慧  中邑真輔  プロレス  柔道  MMA  
album-16350-8563.jpg
isiisatosi.jpg


自分の中でこの二人の印象は似通っている。

それは単純な「期待されていながら、結果を出しきれない」という評価から、さらに遡ってこの二人がどうして期待をかけられるようになったのか?ということや、さらに遡って現在の「プロレス・格闘技」という区分、そして最終的に遡って、単純な「強さとは何か?」と、それに繋がるMMAの捉え方が共通していると思うからだ。


<<mike oldfield 「to france」>>



 2009年の終わりごろに、石井の大晦日での吉田とのデビュー戦が発表され、中邑が突如として猪木に対戦表明した時に掛けられた期待と、その後の去年1年の評価というのを振り返ると、格闘技バブル前くらいの、かつての日本のプロレス・格闘技史を思わせる事象だと思えたものがゼロ年代も終わった今に行われることの効果というのを、バンナ戦を判定で勝利した石井にかけられたブーイングから思い知らされる。

 今現在のプロレス・格闘技の区分というのも、もうとっくに「住み分けは為されているし、混同して考えるのは間違い」だから「プロレスはエンタメとしてプロレスに徹すれば」よく、「格闘技はもう変な仕掛けをやる時代ではなくいち競技として固めることに今後徹していく姿勢であるべき」という賢明な意見が少なくはないし、自分も同意する一方で、「でも本当にみんな割り切れてんのか?」という疑問も湧く。

 というのも、先の確かで賢明な割り切り方を表明する人の意見と別に、会場の歓声と沈黙、ネットなどで散見されるヒステリックな意見(もう蒸し返したくはないが、青木VS自演乙の顛末のことです)の流れを考えていると、根本的な面白がるポイントなんてなんにも変ってはいないが、しかしそれが気付いていない内に歪みきってしまっている、というのが、自分が見立てた2010年の日本格闘技の光景の端的なもので、そういう時代の気配の中での石井と中邑の過去の歴史を想起させる期待感の、時代に当てはまり切れないゆえの途切れかたの中に、いくつかのねじれを感じるからだ。


 
 「かつてを思い出すような」という気配のあるこの二人も「木村政彦が呼ばれた「鬼」を継承した石井」だとか、「中邑選手の意識は闘魂三銃士よりも以前にあるように見える」などと過去の歴史のコントラストを見せ、その底に「プロレスラーは強くなくてはいけない」とか「現役のメダリストが60億分の1を目指す」というところに目的を置いているあたりに、かつてのような気配を感じさせ、期待されたのだと思う。2009年の中邑の猪木への挑戦直後には、昭和からのプロ格ファンであるカクトウログ様も「中邑真輔は前田日明や橋本真也になれるか!? 」という記事を残しているほどだ。

 しかし、彼らがこの「強さ」を追求しようとするところに、「MMAでの強さ」という視点が入り混じっていることに第一のねじれがあるようにも思う。「かつてのような」という気配を持ちながら、着地点がどうも想定したところに落としこめていない感じがあり、それは彼らの(現在の)試合内容にも表れている。

 ここで、あんまりにも単純かつピュアな疑問に繋がるのだが、「強さとは何か?」ということの、現時点での意味ということで、これはおそらく各時代によって答えも変わってくるには違いないのだが、プロレス最強だとか柔道界の権威だとか、そんなものまでも全て飲み込み、壊し、フラットにしてしまう場となった格闘技バブル時代以降の「強さ」というのを注意深く紐解く場合、「MMA」というのを「様々な出自の格闘家の闘いの場。そしてそこで勝ち残ったのが最強」か「間口の広い新興の競技である。そこでトップが最強といってもその競技の上での最強でしかない。」として捉えるかで大きく意味が変わるし、またMMAという場を下に見せるために自分たちで仕掛けていくのが強さ、なのか、MMA出場は追いやられたジャンルの失地回復なのか選手本人のプライドの問題なのかによっても意味が変わってくると思う。つまり、「最強を決める場だ!だから勝てば強い」と子供のまま突っ走るか、「競技は競技。別のものだ。だからこそしっかり挑戦し、自身を納得させたい」という大人としてはっきり対応するのか?という話のようにも思う。

 そして、石井と中邑の二人は自分にはそうした二律相反の姿勢が求められる環境の中で、子供にも大人にもなり切れない、はっきりしない感じがちょうど青年(恥ずかしい書き方・笑)の位置のように見える。ある意味、実年齢相応というか。

 こうして振り返るとUWFの流れではなく、新日本やノアからMMAの場に参戦したプロレスラーや、柔道からMMAに転向した人間らの「強さとは何か?」の捉え方を子供か大人か?それとも青年にあたるのか?で判断してみるのも一興かもしれない。大体、子供か大人かのどっちかに分かれるように思う。




 第二のねじれとして、MMAという場がこれまでUWFからグレイシー、果ては骨法・空道・ジークンドーなど様々な人間が作り上げた独自の思想(大体、実戦での最強や真剣勝負、という)による新興格闘技の創設の果てに、PRIDEバブルを経て現在のUFCの限りなく競技に近いMMAにまで到達してしまっているという現状で、もはや骨法に惹かれるような人間も想像し辛い中、中邑や石井が「強さ」を表現するもう一つのラインとして、旧来の興行を否定し、自分で新団体を作る、とか新興の武道を生み出して客を引っ張る、という、平たく言えばかつての前田日明や佐山聡のような流れというのが、ここまで自分で書きながらまずないだろうな、とか思わされ、何か時代錯誤も甚だしい一文になってしまったけど、要は「自分が座長として新しい時代に向けた格闘技をやるのか、それとも一選手として強さを求めるのか」という話で、さらに突き詰めて今現在というのは「新しい格闘技や団体を作りだして未来を目指す、という見立て」の時代より「日本国内での市場が縮小する現在、海外で現実的な結果を出していくことで取り戻していくべき」にある以上、本当の意味で二人が「かつての先達のような」団体創設や新興競技開拓をファンともども見せていくことにシフトするというのが想像し辛い。

 この二人の共通点としてさらに、「強さ」を表現できるという漠然とした新時代への期待をかけられる一方で、何か不自由さや周りにいささか翻弄されているような印象が残るのもそのあたりの背景も理由になりそうだ。
スポンサーサイト

テーマ : 格闘技    ジャンル : スポーツ

Comments

Leave a Comment

プロフィール

EAbase887

Author:EAbase887
人気ブログランキングへ

ビデオゲームというフィルターから俯瞰する、現代エンターテインメント総合批評
「GAME・SCOPE・SIZE」もやっております。ゲームの他に映画・アニメ・小説なども取り扱っており、興味があればこちらにも。

人気ブログランキングへ


ひっそりとド偏見アニメネタレビュー「14ー21歳のセックスか戦争を知ったガキのモード」「もスタートしましたので、妙に少なくない格闘技ファンとアニメファン兼用の方はこちらもよろしくお願いします。

TweetCasting

ツイキャス・LIVE放送中はこちらからでも視聴できます



 
検索フォーム
 
 
 
 
 
 
ブロとも申請フォーム
 
 
QRコード
QR
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。