オウシュウ・ベイコク・ベース廃墟


「引退試合」にて「バレる」・<概略考察編>

Category: プロ格闘技   Tags: ---
 今年はゼロ年代にて名を為した格闘家たちが次々と引退していっている。とりあえず日本の格闘技史上、実質初の「プロの格闘家」「プロの格闘技興行」というものが成立した時代でもあるとゼロ年代を振り返れば思うが、「MMAではロングスパッツを禁止してユニフォームを統一しろ!」などとしょっぱい競技化を求める批判など起こる前のずっと初期の時代では、まだ「MMA」という競技名よりも「総合格闘技」とかあいまいな呼称であったり「K-1、PRIDE」などのイベント名が先に来るほどの、第一に興行が志向されていたころに存在を確立させ、有名になっていった格闘家は、すべからく幾ばくか「バレない」ように振舞っていたと思う。プロレスファン的には「ケーフェイ」とでもいったらいいだろうか?さらに補正すれば「ゼロ年代型のケーフェイ」と。
ネオン


 修斗(※1)などのような強固なコミッションや競技統括機構が格闘技イベントに適応されていない以上、「全ガチのプロレス」でしかないとも言え、先日のDREAM14にて宮田和幸選手が試合後インタビューにて「この世界で生き抜くには相手を選ばなきゃいけないと学んだので。ボクは今後、勝てる相手しかやらないと決めたので、嬉しいというよりホッとしています。」と(真意や内情が分からないにしても)あまりにも正直に話すゆえに、逆説的に著名な選手がいかにしてその地位を確立してきたかの構造を幾ばくか垣間見ることができる。
 だから桜庭和志や所秀男選手のような「当時最強のグレイシー撃破」とか「絶対的不利の強敵を撃破しシンデレラボーイに」と言った本人の自己演出性なしに誰もが支持しやすい朴訥な印象にて物語性を昇華する仕事をした人間と別に、その選手がいるだけで興行に華を与えるような「物語」にからまないファイターというのは勝敗いかんで常に進退に関わってくるわけで、(現実問題ジムを持っている選手などはその戦績しだいで入門する人間も変わってくると何かで読んだ覚えがあるし)自分としても一種の作為が不可避になりがちな「スター格闘家」像よりもゴッドアングルにて生まれた桜庭選手や所選手の方がなじみやすいが、そうした運命みたいな形でスターになるというのはよっぽどのことが無い限りありえないし、多くの格闘家は「バレない」ように振舞うことで、格闘技史の物語にコミットしていると思う。

ブログ4回目にして早くもこの言葉が今後の常套句になる気配を感じながら「前置きが長くなってしまったが」と打ちこむが、今回のテーマは表題通り「これまで完壁に自身の格闘家としての在り方をまっとうしたかに見えるが、ピリオドとなる引退試合の在り方にてバレてしまう」ということで、この言葉も常套句になるだろうがまあ「私見」「独断と偏見」で最近の引退試合を見て行くと、吉田秀彦選手と魔裟斗選手が引退試合にて「バレた」と見ている。

「引退試合」というのは、当然ながらその相手に誰を選ぶかによって大きく意味が変わってくるという振り幅が、こと「プロ格闘家」に関しては非常に大きく、これは自分が数を見てないゆえのもので、短絡的な評価であるかもしれないがプロレス(とりあえず、ここでは「UWF系」の区分も「プロ格闘技」として扱う。)やプロボクシング、大相撲においては明確な「引退試合」を売った興行というものをあまり聞かず、振り返れば当たり前にあるようでありながら明確な「引退試合」というのをそれほど知らない。やはり先にも打ち込んだようにコミッションや競技統括機構が無い以上「引退」までを興行のフックとしているゆえ(※2)に、こうしてファイターの「引退試合」という、当たり前にあるように思いこんでいながら実はそれほど存在していないものというのをこうして検証していくことでそのスター選手たちが、なぜスターたり得てきたのかの構造が見通せると思うのだ。そしてそれが、ここでいう「バレる」ということだ。吉田選手と魔裟斗選手の何が「引退試合」でバレたように見えたのか?または「引退式」ではなく「引退試合」を選択し興行としてしまうこと自体がすでに「バレる」ことと表裏一体なんじゃないのか?といった考察を、次回にて行う。

(※1 修斗がこうして強固な競技性を確立していった根底には「この競技をプロ興行として全世界に広めたい」という意思よりは、その「修斗」の名称がプロレスの「ガチンコ」「潰しにいく」の隠語である「シュート」が元になっていることによる、「どうしても疑似格闘技性から逃れられないプロ格闘技イベントへの失望と憎悪」という一種のルサンチマンが元になっているように思うし、プロを憎むことによってアマが異様に潔癖化するという構図はPRIDEが崩壊し「修斗」発の数多くの日本人が日本格闘技界のプロ格闘技イベントに本流に上がっていくことにて見直されなければならないように思う。

(※2 この前のUFC115にて以前より引退を勧告されていたチャック・リデルがリッチ・フランクリンにKo負けを喫するということになったが、MMAの州解禁を目指すほどの競技化を進めることによる社会性を獲得しようとする現在のUFCならばおそらくはこれからのリデルに対して「引退試合」を組んだりはしないだろう。競技性がこれからさらに加速していく団体ほど「引退試合」を売りにすることは少なくなっていくと思われるし、逆に「引退試合」を売り物にするところほど目先の興行の成功を優先させ団体の競技的(≒社会的)信用性に欠陥がある可能性があると思われる。「バレる」というのはこうした構造の欠陥性が関係してるゆえの独自の考察だ。)
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