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2011年のキャプチュード・現在の格闘技のネガ・フィルムとしての前田と猪木

Category: プロ格闘技   Tags: 前田日明  アントニオ猪木    棚橋と中邑  ジ・アウトサイダー  
歴史学

 いまや、「日本のメジャー格闘技団体であるものは全てIGFである」くらいの極論を言っても外れないんじゃないかというくらいの昨今。ここに来て、K-1ファイターの筆頭格だったはずのバンナがIGFに上がったり、FEGの窮状に対して真っ向から批判を展開し、リングスの復興を口にするなどの発言が目立つ前田日明らを見て思うのは、何にせよ2000年代からここ10年近くプロレス・格闘技の双方が様々な形で黙殺しようとしていた部分・前田日明アントニオ猪木のこの時代からの評価とは?ということだ。



<<キング・クリムゾンの宮殿>>




 格闘技のブログをこうやって始めて見て、いつかは書くだろうとか、書きたいがタイミングではないなということで先送りにしていた前田と猪木だが、こうして格闘技バブルの残滓も全て去り、このジャンルの水位が下がりきっていった際に奇妙な形で彼らが浮上するようになってきた。ということで、このタイミングでこの二人を振り返ってみると、まず確信を持って書けるのは、前の2000年代の10年は彼らをプロレス側は最初からいなかったものとして、格闘技側は時に興行の顔として担ぎあげたり、祀り上げたりする形で黙殺しようとしていた、ということだ。(ヒーローズの時のスーパーバイザーだった前田日明というのは当時のPRIDEの高田延彦に対してのリングスという半端に過去の歴史をいうのを担ぎあげるためのフック以上のものになっていなかったことなど、まさに「祀り上げながら黙殺する」の典型的な例だろう。)

 今の純粋に新日本プロレスとかDDTとかを追っているプロレスファンと、純粋に修斗やパンクラスをまっとうな格闘技の形として追っている格闘技ファンの双方にとって、現在の猪木と前田というのは時に業界を荒らしさえする老害で沈黙すべき過去って点で共通しているように映るし、彼らに直接引導を下すのではなく黙殺という形で存在を消そうとするって意識の方を強く感じる。2000年代の格闘技バブルの発生とその終焉の時代というのもそういう観点から見れば猪木と前田を必死で消そう消そうとしている時代でもあったのだなあと思うのだった。


 ここでそうした猪木と前田の導いたプロレス・格闘技史の対応に関して、ちょうど黙殺するか相対し直すか?というテーマがそのままリング上に結実していると思われるのが、現在の新日本プロレスの棚橋弘至中邑真輔の対照だと思う。

 2000年代の序~中盤ごろの新日本プロレスが猪木によってグチャグチャにされたことの過去からか、ユークスが新日本の株式を買収して親会社になってからはもう完全に猪木の格闘技路線などの思想や歴史を黙殺し、封印するラインを象徴するのが棚橋で、格闘技やらキングオブスポーツだとかストロングスタイルやらの記憶を完全に封印していき、残されてる純粋なファンに向けたスタイルにシフトすることで徐々に復興し始め、プロレスはエンターテインに振り切った、というところで、中邑の例の猪木挑戦のトピックスがあり、前田日明やヒクソンにさえ会いに行き、ここから中邑が本当に過去の歴史に向かうのか?と思っていた所で立ち消えになり、前に書いたようにどうにも不自由な感じを残したままになっている、という対照がポイントと思われる。

 個人的に棚橋と中邑の闘いというのは商業的なコンテンツという意味では正直もういいよってくらいやってるし、新味はないとはいえ、それでも何か見てしまうのはそれはプロレス・格闘技の、ここのところ見立てたように数々の矛盾を抱え、それらが事件によって臨界するというこのジャンルの真実と本質を露出させていた、危険な過去の歴史というものをエンターテインメントやスポーツの名のもとに黙殺するか、それとも真っ向から相対しようと努めるかの相克であり、そこに猪木と前田、プロレスと格闘技の相克という過去との対応が試合として構築されているように思う。

 
   

 さて、バンナやシルビアが流れてきたり、予想してたとおりの相撲八百長問題で追い出された力士の窓口に名乗りを上げているIGFの間接的な格闘技界への接触と別に、非常に直接的な形で現行の格闘技界に対してのカウンターとなっているのが、冒頭でも触れたように前田日明ジ・アウトサイダーで、初見の感想は以前の記事にあるように「MMAとはある角度から見ればボクシングやキック、または柔道などの競技化されたジャンルより遥かに生々しくドキュメントのようにさえ選手を映しだすという可能性」ということで評価していたが、例の前田のインタビューやここのところのZSTや、パンクラスとの交流の中で「リングスネットワークの再考」を口にしている現状、アウトサイダーというのは、メジャー格闘技が孕んでいたプロ・アマの問題、興行・競技の問題などをピンポイントで突く、現行の格闘技界のネガ・フィルムとしての意味がどんどん強くなっていってるように見える。
 
 ジ・アウトサイダーが重要だと思うのはそこで、それは競技的に見れば試合は大味な殴り合いであるが登場する人間たちの生々しさの競い合いというハイライトの部分を背景に、格闘技のメジャーが削り取っていってしまっているあらゆる問題がここで再構築され、興行と試合によって構築されている点だろう。
 完全に妄想だがFEGが仮に無くなることに呼応して、アウトサイダーに立ち技の部門が設立されるなりしたら(それも、交流がUWFの頃からあるというシーザー武志繋がりでシュートボクシング若手と交流もしたら)完璧だ。アウトサイダーは全てのメジャーと競技団体らが黙殺している深い影だろう。そういうことを興行から思わされるのだった。

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